2008年4月28日月曜日

オコナーから鶴見へ

去年のいつだったか、朝日新聞に掲載されている大江健三郎の連載コラム「定義集」で、Flannery O'Connorという名前だけは知っていたアメリカ南部の早逝した女流作家のことが書かれていて、読みたいなと思ったことがあった。大江の文脈では、簡単に言えば、同じカトリックの作家なのに、ここのSという功なり名遂げた女流と、アメリカはディープ・サウスの短編作家の切実な生を対比することで見えてくるものを迂回しつつ言おうというものであった。その回りくどさに、私は躓いたが、今ははっきりと私なりの言葉で言うことができそうだ。というのは、私はそれからオコナーの全短編を読んだからだ。

Sという作家は、沖縄の戦争中の「集団自決」を、「殉難」「殉教」というCatholic(普遍的な)的な「物語」のなかに回収し、だれも責任のとりようのないものとして、むしろ自発的な行為として「美化」する。オコナーはもちろん、このことには言及していないが、彼女の作品から私が想像するかぎりでは、どのような意味づけもたとえばこの「事実」には与えないであろう。その「悲惨」さにどれだけ接近できるか、というのが彼女の方法である。「事実」の動かし難い「悲惨」さに圧倒されること、そこからどうして生き延びるかということ、その生き延びる生のなかでの新たな「悲惨」を、その原因の事実の悲惨に対峙させる、彼女の方法はこれだけだ。愚痴や救いはここではタブーである。とくに解釈としての、メタフィジックなものははっきりと乖離される。ここに浮かび上がってくるのは、エホバの顔を避けて生きるしかない人間のとりうる「経験」の諸相に対する眼差しの差違であると私は思う。

オコナーの短編全集の訳者、横山貞子が鶴見俊輔の伴侶であるということを私は不覚にも最近まで知らなかった。鶴見の「期待と回想」(朝日文庫で今年再刊)を最近読んでいるのだが、ここにあるのは自らを「悪人」として自覚した人間の、「生き延びる」ための方法である。オコナーについて鶴見は次のように述べている。

― アメリカ人は、まだ、第二次世界大戦とヴェトナム戦争の二つをとらえるだけの力量をもっていないんです。今後、それは現れてくるかどうかはわかりません。日本の場合、大岡昇平の一連の作品『俘虜記』『野火』『ミンドロ島ふたたび』、その後に『レイテ戦記』がある。この四つはたいへんなものだと思いますね。アメリカ人はそれだけのものを第二次世界大戦について書いていない。しいていえば、オコナーの『善い人はなかなかいない』。これを読むと、アメリカ人はどうして原爆を日本に落としたのかがわかる寓話のような気がする。二十世紀のアメリカ作家の中でオコナーはずぬけていると思いますよ。―

オコナーの『善い人はなかなかいない』という短編は、祖母をまじえた車での家族旅行の最中に道に迷い、脱獄囚のグループに出会い、一家が射殺されるという悲惨な話である。Sのように「気品」の好きな祖母は、脱獄囚のリーダーとキリストの奇跡について問答する。その場面を横山訳で引用してみる。このリーダーの名前は、原文ではMisfitだが、その意味をとり、横山貞子は<はみ出しもの>と訳している。

― <はみ出しもの>は話を続ける。「死人をよみがえらせたのはイエス・キリストだけだよな。そんなことはしないほうがよかった。イエスはあらゆるものの釣り合いを取っ払ったんだ。イエスが言ったとおりのことをやったとすれば、おれたちはすべてを投げ出してイエスに従うほかない。もし、イエスが言ったとおりのことをやらなかったとすれば、おれたちとしては、残されたわずかな時間を、せいぜいしたいほうだいやって楽しむしかないだろう―殺しとか、放火とか、その他もろもろの悪事を。悪事だけが楽しみさ。」話すうちにだんだん声が大きくなる。
「もしかすると、イエス様は死人をよみがえらせなかったかも。」なにを言っているかよくわからないまま、おばあちゃんはつぶやいた。目まいがして、堀の中にひざを折ってすわりこんだ。
「おれはそこにいたわけじゃないから、イエスが死人をよみがえらせなかったとは言い切れない。」<はみ出しもの>が言う。「おれはその場にいたかった。」彼はこぶしで地面を打った。「いられなくて残念だよ。もしいたら、はっきりわかったのに。そうだろうが。」声が高くなった。「もしその場にいたら、はっきりわかったのに。そうすればおれはこういう人間にならずにすんだんだ。」泣きわめく声に変わる寸前だった。
おばあちゃんはその一瞬、頭が澄みわたった。目の前に泣きださんばかりの男の顔がある。男に向っておばあちゃんはつぶやいた。「まあ、あんたは私の赤ちゃんだよ。私の実の子どもだよ!」おばあちゃんは手をのばして男の肩にふれた。
<はみ出しもの>は蛇にかまれたように後ろに飛びのいて、胸に三発撃ちこんだ。それから拳銃を置き、眼鏡をはずして拭きはじめた。 ―

悪人と、死を前にした人のいい祖母の会話を書き写しているうちに、鶴見が勉強したアメリカのプラグマティズムの考えが、この悪人にも徹底しているのだと思った。こういうふうに段階を踏んで攻められると、おばあちゃんのイエスばりのヒューマニズムの日和見主義がはっきりと区別される。
疑うこと、経験に即して疑うこと。この話が「アメリカ人はどうして原爆を日本に落としたのかがわかる寓話」という鶴見の評とどう関係するのかは私にはよく分からないが、このMisfitという人物の理詰めの仕方の書き方に、私は今ひかれる。どこにも<救い>はないが、<救われなさ>にとどまる自由というか、態度がある。要するに、これがオコナーの信仰だったのだ。

鶴見俊輔という人も、そういう人ではないか。

2008年4月27日日曜日

翡翠を見た。

 午後5時15分。城址公園の池のなかの止まり木。憩うのか獲物を狙っているのかわからないが、初めて翡翠に遭遇した。いつもと異なり、カメラは一台のみ。その人と、犬を連れた女性が、息をつめて注視している方向を、散歩帰りの私も、足音を立てないようにして近づく。まさに宝玉のような色の鳥が静かに止まっているではないか。そのうち、低く飛翔して、沼杉の新緑の枝に乗り移る。静かに私も移動して、今度は、遠めにしか見えないが、約2分ほど見つめあっていた。池に向って飛び込んだように見えたが、もう消えていた。正確にいうと私の場所からは視認できななかった。生の最高の色合い。

 ○ 翡翠は一羽の生を午後に飛ぶ
 ○ 暗緑の姿を隠す空もなし
 ○ 生とうは飛翔の青に秘めし死ぞ
 ○ 翡翠にエメ・セゼールの死思う午後

  

2008年4月26日土曜日

お互いの体のぬくもり

 恩師のような存在と一人で思っている大先輩から、今朝福井の酒が送られてきた。奥越前は勝山の「一本義」、もう一本は大野の「花垣」という大吟醸。越前は奥様の故郷だったと記憶している。吃驚し恐縮した。本来ならぼくこそ今まで受けた恩義のいささかなりともお返しするために、何かをしなければならないのに、いつもゆったりと自然に見守ってくださる。ぼくの人生の節目にあたって、元気付けるために贈ってくださったのだ。日本酒好きの友人たちが連休あけに集るから、そのときみんなで味わってみよう。先輩がどういう人か、その奥様がどんなに気品に満ちた美しい人であるか、話しながら。

福間健二が『夜』という詩で切ないことを書いている。表記の通りではないが(私はタグは使えないから)引用してみる。


体の一部が
  いつまでもつめたいことが
(目覚めとあきらめが
          いつまでも整理のつかない)
          老いる事務の
          はじまりだ
 音楽のなかに
閉じ込められた永遠が
   階段をおりてくる
        どう立つ?
        (目も耳もあまり自信がない)
        この抒情詩の
   かがんだ姿勢から
 「お互いの体のぬくもり」を
表現として読む


私は私一人でこの詩行を切実に受け止めるのだが、それは「この抒情詩のかがんだ姿勢」という経験を私も共有するからだ。その姿勢で私たちは今いる、それ以外の姿勢はとりようがない。そこから「お互いの体のぬくもり」を読むこと。この詩も私にとって、かけがえのない贈り物になった。



   
 

2008年4月25日金曜日

つつじの女王

湯殿川のいつもの散歩の道から少し外れると、ドトールがあることを発見した。そこで、コーヒーを飲み、道草を食う。散歩にならないのだが、無理することもない。

詩集のことを考えているのだが。ほっておけば、気力がなくなるのが目に見えている。「どうして、詩集を出そうと思うのか?」「出さないなら、出さないでもいいのではないか」「いや、これまで書いたものを単にまとめたいのだ」。その他、いろいろ考えて、そのうちに、山吹の花などを見ていると、忘れてしまう。

でも、出すだろう。というようなこと。でも、つつじの花をどれだけ「私」は描写できるだろうかということ。

○ 歩道に出ると、豊かなつつじの群れに圧倒された。色の波が庭を横切って白い家の正面に打ち寄せている。ピンクと緋色の波頭。色彩の豊かさが知らない間に喜びになって作用し、息も止まりそうだ。

○ 日没に近い光の中でつつじの色は濃くなり、古い家々を護るように枝を拡げた木々は葉ずれの音をたてた。

○ 「雨でつつじがすっかりやられたわ」

以上は、Flannery O'Connorの『パートリッジ祭The Partridge Festival』(横山訳)からの抜き書き。これらの描写がこの短編のなかで占める意味はさておき、こういうつつじのさりげない描写を、自分の詩の中に、私は入れてみたいと思う。

○ つつじいけてその陰に干鱈さく女 (芭蕉)
○ 近道へ出てうれし野のつつじかな (蕪村)

2008年4月23日水曜日

アゼリアと私

棒の折れから岩茸石山まで歩いて
御岳駅に出た
山つつじの色が浅い緑に映えて
見ている私も美しかった
微笑を
あんなに持続した日は珍しい
山つつじ
講師のパトリシアさんの言葉では
アゼリアに
始終見つめられていたから
照れ笑いを浮かべていたのかもしれない
5時過ぎの帰りの電車に乗った
アゼリアの朱
その濃淡について考えながら
青梅駅
若いカップルが前の座席に乗り込んだ
二人はキスを交わすと
マンガ雑誌を読み始めた

2008年4月22日火曜日

This Is Just to Say

This Is Just to Say by William Carlos Williams(1883-1963)

I have eaten
the plums
that were in
the icebox

and which
you were probably
saving
for breakfast

Forgive me
they were delicious
so sweet
and so cold




William Carlos Williams was born in Rutherford, New Jersey, in 1883. He was a practicing doctor, and a principal poet of the Imagist movement, which stressed precision of imagery, and clear, sharp language.(この簡潔な説明はhttp://poem-of-the-week.blogspot.com/というblogから借用しました。)

2008年4月21日月曜日

成熟すること、崩壊すること

丘をのぼる。
つぼみの桜と大きなメタセコイアの樹。
信と不信とをからませて花粉が飛び交う春を生きる。

斜面から富士が見える、
朧に。
高校生たちが腰を下ろしてお昼を食べている、
若さとともに。

のぼってきたのだ。
大丈夫?という声がときどき上滑りするのを
道の草は何回も聞いたことだろう。
「自然に匂うこと」と、生きる息たちに教えてくれた。

幽霊のように白い雪柳!
ものを言わないから言葉になって、
小さな鼓動が風のそよぎになった。
のぼっていることだけでいい。

終りのポイントはもう見えている。
おまえを送ることができなければ
おまえが送るのだ。

別れるまで
成熟すること、崩壊すること、
真昼のかすんだ富士の
分かち難さ。

斜面から湖が見える。
物語が波立ち、
渦を巻き、

若さとともに
道々の草がにおい立つ。

(註)タイトルはレイモンド・カーヴァーの文章のもの。村上春樹の訳を借りた。

この詩は、福間塾の「アンソロジー2008」に載せた詩です。小山さん、小峰さんはじめ、皆様ありがとうございます。今日拝受しました。すばらしい、粒そろいの詩篇がならんでいます。読むのが楽しみです。

2008年4月20日日曜日

シフのワルトシュタインを聴いた。

金曜日の夜、友人たちと八王子で飲んだ。酔っ払って帰宅した。女房が観ていたテレビで、A・シフのピアノを始めて聴いた。ヴェートーヴェンのワルトシュタインを、酔っているのだが鮮明に頭脳に響き、心に残る演奏だった。すごいと思った。女房からいろいろ聞いたが、全部忘れてしまった。でも、このピアノの響きはまだどこかに残っている。

夢うつつのような感じで読んでいた、オコナー短編集(下)も読み終わりに近づいた。オコナーのような「想像力」はまったく私にはないが、その展開の予測のしがたさが、実はこの日常の予測のしがたさと密接に対応しているということ、つまり、「奇想」やファンタジーではなく、ごみためのような「生活」が、こんなにも深く、こんなにも暴力と光りに満ち満ちているものであることを、彼女はまさに「啓示」して見せる。

一音の深さと拡がりがピアニストによって全く異なる、それと類似している。

2008年4月17日木曜日

お粗末

昨日、詩を26行まで書いた。

今日はいちばんしんどい日で、5時限の授業をどうにかやっつけて帰る。まだ咲いている桜(なんというのか、染井でないことはたしか)の木の下に車を駐車していたら、落花がフロントガラスに貼りついていた。なんか優雅な気分になった。雨の中、朦朧とした気分で運転して帰った。

漢文の専門でもないのに、三年の漢文の授業が二限あるのが苦痛だ。「史記」の張良の話、留侯世家の一節。生徒と読んでいるうちに、気分は漢の時代に。「生き恥をさらしながら」授業をした。

躾の行き届いた学校で、授業の始まりには一斉に起立して「お願いします」という、終りには「ありがとうございました」と斉唱する。「いえ、いえ、お粗末でした」と私は心のなかで呟いて退散する。

つい最近までの喧騒に満ちたクラスがなつかしくも思われる。

2008年4月16日水曜日

日常

3限と4限だけ。3年の特講という授業で、問題演習。自己紹介など、生徒にもさせたが、みんな、おとなしい。そのあと同じ非常勤で、前の前の職場で一緒だった数学の友人を乗せて、片倉駅まで送った。彼は町田は鶴川の住人である。

疲れるな、という言葉を期せずして二人で呟く。適応力が減退していることは否めない。まあ、まあ、ゆっくりやろう。

家に帰って、仮眠をとる。いつのまにか、猫が胸のうえに乗っていて、二人で?鼾をかいていた。この一週間は、すべてはじめてのことばかりで、リズムが作れないけど、来週あたりからは、どうにかしないといけない、などと考えている。明日は一番きつい日で、5時間の授業がある。

2008年4月15日火曜日

見晴らし

三年生の教室は4階にあって、しかも山の上だから、眺望がすばらしかった。生徒たちの後ろには大きな窓があって、そこから緑の丘や道路がどこまでも見えるような感じ。「きみたちは、ぼくのような老人を見ないで、後ろの景色を見たほうが、どんなにかいいだろうに」と思いながら、鷲田清一の文章を読んだ。せめて90度、生徒たちの座席が変わっていたら、いいのに。ぼくが生徒だったら、絶対にそう思うな。

帰ってから22行、詩を書いた。昨晩は、正確には今朝だが、眠れずに、午前2時頃に起きて、読書をした。そのせいか、体がだるい。こんな調子が続いている。

2008年4月14日月曜日

久しぶりの授業


退職して、新しい職場で久しぶりの授業をした。朝から4時間。高校一年生たちとの新鮮な出会い。
いつになっても、緊張する。でも、授業が終われば、すぐ帰ることができる非常勤の仕事も新鮮。

3時過ぎには帰宅。

そのあとの時間を持て余しているうちに一日が終わる。

2008年4月13日日曜日

反転

前に書いたオコナーの短編、’Everything that rises must converge’「すべて上昇するものは一点に集る」は、実はカトリックの思想家で、古生物学者、地質学者でもあった、Teilhard de Chardin(ティヤール・ド・シャルダン)の、何かの引用であるということが分かった。

アマゾンのオコナー短編集の書評の一つに、ある人が次のように書いてあった。
―― The Complete Stories combines two previous collections, A Good Man is Hard to Find and the posthumously published Everything That Rises Must Converge. Nothing against the first set, but the stories in Everything are among my favorite. All her stories are about so-called fundamentalists in her home of Georgia or the deep south. The title of the volume is an ironic inversion of a phrase by Teilhard de Chardin (who meant it optimistically).――

この書評子によると、
―― Her novel Wise Blood was made into a cult classic film by John Huston. Reading her inspired Bruce Springsteen's best album, Nebraska. One could go on and on. I would add that she ought to be a hero of the civil rights movement (read any story to find out why). Instead she was unceremoniously kicked off the Catholic recommended reading list for the language used by some of her characters. But being forbidden might make her more attractive for some readers. ――というような興味深い事実もあげられている。

’River’という短編を読んだとき、Bruce Springsteenの歌を思い出したのだが、ブルースは彼女の影響もあったのか。

The title of the volume is an ironic inversion of a phrase by Teilhard de Chardin (who meant it optimistically).という見解、「皮肉な反転」であるという意見、そういうことかという思い。でも、シャルダンという人、名前だけは記憶の彼方に埋没していたのが、今よみがえったが、彼はどういうところで’Everything that rises must converge’と言ったのだろうか、オプティミスティックにとあるが、それを知りたいものだ。

今日の散歩は寒かった。一時間あまり、湯殿川の道。城址公園も人影は少なかった。
詩集のタイトルを考えるが、これだというのを思いつかない。

2008年4月12日土曜日

石楠花を見た。

散歩の道すがら片倉城址に行くと淡い紅色のシャクナゲの花が咲いていた。

「石楠花は木曾奥谷ににほへどもそのくれなゐを人見つらむか」
という茂吉の歌にある通り、もともとは山間の花で、その昔、よく山に登っていたときに、この花の鮮やかさに、疲れが癒されたことを思い出した。

低地でも、美しいと私は思う。

湯殿川はすこし濁っていたが、上流に行けば行くほど、その濁りが薄くなるのを感じた。セキレイが沈む夕日を追いかけて、鋭角的に飛んでいた。

2008年4月11日金曜日

すべて上昇するものは一点に集る

立川での用事を済ませてから、友人に電話する。
二人で、喫茶店で一時間ほど話す。五月の中旬から、家を自力で建築するために、田舎に帰るという。
まず、半年の基礎工事、寒くなったらまた東京に戻る。

バイオを利用したトイレのこと、それから温泉を引いての風呂のこと、すべて
これから、彼がたちあげていくことだが、ゆっくりと焦らずにやるという。
今年の十二月にはながく中断していた二人の雑誌を再びやろうということなど。

ぼくはくだらない話ばかりをして、友人にはすまなかったと帰りの電車で思った。
友人の企画する、静かな大地での静かな仕事を、ぼく自身の心の糧にしようとも思った。

ノルテ書店で、オコナーの短編全集の下巻を購入する。その第一篇目のタイトルが、
原題は'Everything That Rises Must Converge'、横山訳では、
「すべて上昇するものは一点に集る」となっている。この内容に、この邦題は?という疑問の前に、
この邦題でも、原題でも、非常に謎めいている。
なぜ、こういうタイトルなのか、さっぱりぼくにはわからない。
それと横山訳ではMustを故意に省略している感じがする。これも気になる。

帰りの電車の中で、一読しただけだから、分からないのかもしれない。もう一回読むことにしよう。

友人が、オコナーの原書があるかもしれないというから、あったら送ってもらうことにした。

「おまえの今のような生活を何十年も続けると、それはそれで大変なんだ」というのも友人の言葉だった。
暇を謳歌するばかりじゃ、やはりダメなんだということだろう。

でも平日の昼間に、友と閑談できるというのも、ここまで生きてきたからだ。

分岐(diverge)と収斂(converge)、そういうことを考えた。

2008年4月10日木曜日

AFTER LUNCH

食後       白居易(772~846)

食罷一覚睡(食罷わりて一覚の睡り)
起来両甌茶(起き来りて両甌の茶)
挙頭看日影(頭を挙げて日影を看るに)
已復西南斜(已に復た西南に斜めなり)
楽人惜日促(楽しき人は日のあわただしきを惜しみ)
憂人厭年余(憂うる人は年のながきを厭う 注・ながき はこの字ではないが)
無憂無楽者(憂いも無く楽しみも無き者は)
長短任生涯(長きも短きも生涯に任す)         ―閑適詩―より


口語訳(高木正一)

食事がすんでからひとねむりし、目がさめると二わんの茶をすする。
頭をもたげて空をみると、いつしか日は西南に傾いている。
快楽を追う人々は、日の移りかわりのあわただしいのを惜しむし、憂いを抱く人々は、
一年の長いのに閉口する。
憂いもなく楽しみもない私は、長きもよし短きもよし、すべて生涯のなりゆきまかせ。

英訳(Arthur Waley)

After lunch―one short nap;
On waking up―two cups of tea.
Raising my head, I see the sun’s light
Once again slanting to the south-west.
Those who are happy regret the shortness of the day;
Those who are sad tire of the year’s sloth.
But those whose hearts are devoid of joy or sadness
Just go on living, regardless of ‘short‘ or ‘long‘.

2008年4月9日水曜日

ぶらぶら

ぶらぶらしている。授業が始まるのが、来週の月曜日からなので、昨日の式の後から結構休みがあるということになる。職場に行かない。こんなことは長い仕事の経験のなかで初めて。非常勤という身分の気楽さを味わうとともに、それになかなか慣れない貧乏性の自分もいる。今頃は学期の初めで、あれこれと雑用が多くて忙しかったな、などと先月までの仕事を振り返る。しかし、今のこの気楽さを味わおう、すぐに忙しくなるのだから。

主婦の仕事の大変さを、今の自分の一日のリズムの作り難さなどから改めて思う。女房に、そういうことを話したら笑われたが。昼飯を、饂飩だが、がらにもなく作って進ぜたりした日もあった。

今日は八王子に、女房のお使いで行ってきた。郵便局で20分も待たされて、いらいらするのも、新米の定年者だから。

たまに、新聞の投稿欄に「主夫」という呼称を見ることがある、これはどういうことだろう。主婦にかわって、夫が家の面倒をすべて見ていることを示すものなのだろうか。そうなら、私もいつかは「主夫」になりたい。これは一番難しくて、大変な仕事であろう。

簡単にはなれないだろうから、理想として抱いておこう。

2008年4月8日火曜日

新しい人

雨の中、車で新しい職場の始業式に行く。
大きな講堂、百名余りの新入生を迎えて、校長は、
新約の「エペソ人への手紙」から次の言葉を引用する。
―あなたがたは…古き人を脱ぎ捨てて、心の深みまで新たにされて、
真の義と聖とを
そなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである―
だから、命を大切にしてください。命はあなたたちのものではありません、
摂理により「神にかたどって造られた」ものです。
自殺などしてはなりません。絶望や、失敗のたびに、自分の命を
捨てたりしたら、いくらあっても不足します。すみません、すみませんと
言って、生きていいのです。
今年の学校の目標は「自尊心」にします、あなたたちは、
この言葉を聞くと、相手を見下すようなイメージを持つかもしれませんが、
そうじゃありません。相手と自分を、愛によって大切にすること、これが自尊心です。
雨は激しく降っていたが、
校長の言葉は、ぼくの現前の「新しき人」々、生徒たちの姿を介して
光り輝くように感じた。こんな経験は初めてだった。

野蛮な「日の丸」のない式、いや、「いない」式。
そのすがすがしさとともに。

2008年4月7日月曜日

The Man Outside

The Man Outside

その男はよどみなく実践について喋った。
暖房の効いた講堂のなかは午前の陽射しとともに暑さが増してくる。
「教育は教だけではなく育むということを忘れている、
育むとは羽を含む、鳥が雛の羽を含む、羽含むということです」

話の節々に、クニの何とか会議の委員とか、なんとか塾の長をしている、
などとさりげなく付け加えることも忘れなかった。
江戸時代は「子どもの楽園」でした、これは『逝きし世の面影』、
この本はぜひ買って読んでください、それにみごとに描かれている。
いつから電車の中で化粧をして、それを恥じなくなったのか?
ルース・ベネディクトは「恥の文化」と言っています、いつから?

どうしようもない学校、眉毛のない連中のいる、人の話なぞ
まともに聞いたことのない悪ぞろいの学校で
講演を頼まれます。
最初の十分を過ぎると、静かになる、次の十分を過ぎると
みんな私を注目する、なぜか?
「彼らは、大人で、私のように心を尽くして彼らに話しかける人間に
そう、はじめて出会ったからです」、これを「心施」という。

その男は白板に下手な字で書きなぐる。「無財の七施」の一つと。
その男はよどみなく実践について喋る。
その男は知らないことがないようだ、その男は日本の文化というものの、
熱烈な擁護者で、その男は現代の日本人は脳が破壊されているという。
私は脳科学の研究もやっていて、母が子を抱いているときに出る、
必ず分泌する何とかというホルモンをつきつめた。
それが根本です!

しかるに、男女参画なんとかやら、ジエンダーフリーなんとかやら、
女の人が働くために保育を二十四時間にしろという、まったく狂気です。
羽を含むことが大切なのに。

もう2時間も過ぎた。だれもこの男のよどみない喋りに抵抗できない。
「改正」された教育基本法の何条の項目に「親も学ぶべき」だとある、
あれは私が…。
親が子どもをしつけなければ一体?

父なる神に祈るしかない。
主よ、この男の舌とこの男の、この心の真っ当さをどうにかしてください!
ねじまがったもの、よどみにみちたもの、くじけるものを
この男のつるりとした鬚面に投げつけてください。
この男の思い上がりが、主よ、いかにあなたのバランスを破壊したものか、
人は跛行しながらしか
生きてゆけないものだということを知らしめてください。

「そこの人、あなたは次の統計の意味をどう考えますか?」
その男は獲物を見つけた。
一番幸せな国は?
日本、アメリカ、スウェーデン、ドイツ、ナイジェリア、イスラエルなどのうち、
どの国?そのクニの人々の答えの統計がありますよ。
国民はどう答えた?
だれも日本とは言わない、もちろん日本は三十二位です。

さあ、誰か?
「ナイジェリアです」、正解! でも、どうして?
不幸と貧しさの中でこそ、今を生きる幸せが輝いているからです。
正解!正解!
その男は獲物に向って微笑んだ。

2008年4月5日土曜日

田舎の善人 Good Country People

短編小説の書き方について、レイモンド・カーヴァーは、フラナリー・オコナーが書いているのを読んで、ほっとしたということを述べている。つまり、結末がどうなるかなどということは、その最後の数行までわからないと彼女が語ったことについて共感しているのである。オコナーは自らの短編「良き田舎の人々」という作品を例にあげて、そのことを述べている。

―その短編を私が書き始めたとき、義足をつけた博士号取得者がそこに出てくるなんて、自分でも知りませんでした。ある朝に、いささかの心覚えのある二人の女性の描写をしているうちに、自分でもよく気がつかないまま、私は彼女たちの一人に義足をつけた娘を配したのです。私は聖書のセールスマンも出してきました。でも、その男をどう使えばいいのか、私は何もわかっていませんでした。彼がその義足を盗むことになるなんて、その十行か十二行前になるまで私にもわからなかったのです。でもそれがわかったとき、私はこう思いました。これこそ起こるべくして起こったことだったんだと。それが避けがたいことであったことを私は認めたのです。(カーヴァー「書くことについて」のなかの、オコナーからの引用。訳は村上春樹)―

先日、ここで言及されている短編を日本語訳(横山貞子訳)で読んで、私はショックと深い感銘を受けた。そのことについて書いてみたいのだが、うまくいくかどうか。

 この義足の娘は離婚した農場主の母親と二人で住んでいる32歳の娘であるが、あらゆる学位を大学で取得した一筋縄ではいかない皮肉屋のオールドミスという設定である。彼女は十歳のころに狩猟のときの銃の事故で片足が義足である。母親は凡庸で人のいい、雇い人にもばかにされるぐらいの人。そこにある日、若いハンサムな聖書のセールスマンが登場する。

 この娘は計算づくで、そのセールスマンと納屋でセックスに及ぼうとする。

 ハルガ(本当はジョイという名前なのだが、彼女は自ら一番きたない発音の名前に変えてしまった、という説明がある)は、男を冷静に観察しながらキスをかわす。男は「おれを愛してるって、全然言ってくれないね。」と彼女に言う。言ってくれと、せがむ。

―相手はくりかえす。「言わなきゃだめだよ。愛してるって言うんだ。」ハルガはいつも、確約するには慎重だ。「ある意味ではね、」と口をきった。「愛という言葉を漠然と使う場合は、そう言ってもかまわない。でも、それは私の使う言葉ではない。私は幻想をもたない。私はその向こうに無を見とおす人間なの。」青年は眉をしかめた。「言わなきゃだめだよ。おれは言ったんだから、そっちも言えよ。」
ハルガは相手をいくらかやさしさのある目で見た。「かわいそうな赤ちゃん。あんたにはね、わからないことなの。」相手の首に手をかけて顔を自分のほうに引き寄せた。「私たちはみんな地獄にいるの。だけど、そのうち何人かは目かくしをはずして、何も見るべきものはないと見きわめたの。それもある種の救いでしょう。」―

 ハルガは結局「愛している」と軽く、余裕をもった調子で言うのだが、ここからがオコナーの短編の逆転につぐ逆転、それこそまさに彼女の言う「避けがたいこと、I realized it was inevitable.」がわずか邦訳2、3ページのうちに、その避け難さを読者であるわれわれも深く納得するしかないような形で展開されるのである。ハルガが「愛している」と言うと、青年は驚くべきことを返す。

―「そうか、そんなら」と、腕をゆるめて相手は言う。「証拠を見せてくれよ。」ハルガはぼんやりした風景を夢見るように眺めてほほえんだ。やってみる決心さえしないうちに、彼を誘惑してしまった。「どうやって?」すこしじらしてやろうと思ってそうきいた。相手はかがみこんで、耳にくちびるをつけてささやいた。「義足が脚につながっているところを見せてくれよ。」―

 結局はハルガは自分の一番隠したいところを攻められる、しかし彼女はそれが「自分についての真実」にふれた発言であることを認めざるをえない。「なんで、そんなものが見たい」と反問したとき、青年は「あんたが人とちがうのはそこのところだからさ。あんたはそこらへんの人とは別なんだ」と応えたからだ。ハルガは「ほんものの無垢な存在に、生まれてはじめて面とむきあうのだ」とまで思い、「自分の生命をいったん失い、それを青年の生命の中にふたたび見出す。奇跡のようだ」と感激する。ハルガはそこを見せる。青年は「はずして、またつけてみせてくれないか」という。青年は今度は自分の手ではずし、「まるでほんものの足のようにやさしくいじくった」。そして青年はその本性をここで見せる。彼は実は聖書のセールスマンを騙った泥棒なのだ。その義足を盗んで彼は逃亡する。ハルガは彼に向って、「あんたって、あんたって、ただの田舎の善人じゃないわけ?」と情けを乞うように言うのだが。

―「脚を返してよ!」ハルガは甲高く叫んで義足のほうへ体を乗りだしたが、男はあっさり押し戻した。「急にどうしたんだよ?」…「ついさっき、なんにも信じてないって言ったじゃないか。なかなかの女だと思ったんだぜ。」ハルガの顔は紫色になった。「あんたはクリスチャンでしょ!りっぱなクリスチャンね。ほかの連中とおなじことよ。言うこととすることがちがうのよ。完璧なクリスチャンよ。あんたはね…」青年は怒って歯をかみしめた。堂々と、腹立ちをこめて言った。「考え違いをしないでもらいたい。おれはああいうことを信じてはいない。聖書は売っていても、ものの道理はわかっている。昨日生まれたばかりじゃないし、自分が何をめざすかもわかっている!」―

この痛烈な逆転。「聖書は売っていても、ものの道理はわかっている」という部分、原文を参照したいが、カトリック作家であるオコナーの凄さ、いや、カトリックということなど抜きにして、彼女の短編作家としてのブラックユーモアが光るところである。

(閑話休題、ここまで長かったが、ここからも?)

 今日、某所で、某大学教授、私より若い男の講演を聞くはめになった。その内容は非の打ち所のない立派なもので、テーマは「教育」である。日本の文化の破壊が、昨今の子どもたちの破壊であるという結論にいたるのだが、そのなかであらゆる引用、世俗の道徳訓やら、私も感銘した渡辺京二の「逝きし世の面影」などからの引用に満ちた、そう非の打ち所のない立派なものだった。女は女らしく、とか、…ここで詳細をのべることは控えておく。私の言いたいのは、その講演の最中に、実はフラナリー・オコナーのこの短編を思い出したということである。それにつきる。

 「道徳のセールスマン」という語が唐突に私の脳裏に浮かんでしまった。2時間にわたる、この男の長くて有益な講演に耐えるには、その言葉しかなかったのである。しかし、今読み返してみて、この講演者は、あの聖書のセールスマンの「聖書は売っていても、ものの道理は分かっている」という自己破壊的な明察に匹敵するなにかがあったのだろうか?

 文部科学省とか臨教審とか、再生会議とか、指導要領とか、そのような「聖書」の権威なしに、なにかを彼は語ろうとしたのだろうか?だれからも批難できない「真理」などあるはずがない。しかし、それを信じるものについて、私はとやかく言う気は全くない。とくに「教育」はいくらでも「自由」に語れるし、「自由」であることから始まるものだというのが、私の信であるからには。

2008年4月4日金曜日

玉川上水の桜

昨日は、友人に招かれて昔なつかしい拝島で飲んできた。この右側に20年も住んでいた団地がある。子どもたちもここで成長した。

拝島駅は一新していた。所謂駅中というのか、きれいなお店が並び、昔の裏寂れた趣はどこにもなかった。

約束の時間まで、上水の緑道を散歩する。見事な桜の満開。


ふるさとというような感じが、われにも無く催されたのは年のせいかもしれない。

2008年4月2日水曜日

花見、あるいは猫が詩人に会う。



「タクランケさんを、呼んだら」、「今日は仕事だよ」と言っているうちに、電話が鳴り、倉田さんだった。片倉の花見に、彼はわざわざ来てくれて、楽しい一日を過ごすことができた。

同僚からいただいた、久喜の銘酒を水筒に入れて、この花の下で、二人で飲んだ。寒くなったので、家に帰り、女房をまじえて三人で飲んだ。弟のくれた恵比寿ビールも開けた。

我が家の猫が、倉田良成という詩人に出会ったのは、この日が最初ではないが、こんなに親しくしているのは、「さしたることは」ないが、記録にとどめたくて。

我が人生の、intermissionの好日なりき。


2008年4月1日火曜日

No country for old men

晴れて自由人というわけでもないが、次に職場に行くのが4月5日なので、今日は立川に出て映画を観てきた。千円だった。タイトルの映画でアカデミー賞をとったコーエン兄弟のもの。

この監督の映画は初めて。なにもわからないままに観たのだが、曰く言い難い映画だった。変な映画、不条理な映画。テキサスの荒野と寂れた町を舞台に繰り広げられる神なき現代の寓話とでも形容するのが一番適切かも。ただし、血まみれの寓話だが。

リアルすぎてスーパーリアルな殺人者、それにからむ老年の保安官の、どこでかみあうかもわからぬ独白と追跡がすべてで、結局、普通にあるように保安官が最後には殺人者を捕まえるという筋ではないのが、この映画の訴えたいところなのだろうが、私にはあまり迫ってこなかった。

ノルテ書店で、フラナリー・オコナー全短編(上)と、やはりオコナーの「賢い血」という長編を購入した。ともに筑摩書房だが、後者は「ちくま文庫」の一冊で、須山静夫という人が訳している。2、3ページ読んだだけで、この訳のひどさについていけなくなるような代物だが、我慢する。前者の短編集はハードカバーの高価なものだったが、最近、原文で読んだ、私にとってのはじめてのオコナーの小説で印象深かった"The Life You Save May Be Your Own"が「生き残るために」という邦題で収録されていた。こちらは横山貞子という人が訳している。

風の強い日だった。