2009年9月30日水曜日

9月尽

まっかな秋

薩摩忠  作詞
小林秀雄 作曲



1 まっかだな まっかだな
  つたの 葉っぱが まっかだな
  もみじの 葉っぱも まっかだな
  沈(しず)む 夕日(ゆうひ)に てらされて
  まっかなほっぺたの 君と僕
  まっかな 秋に かこまれて いる
 
2 まっかだな まっかだな
  からすうりって まっかだな
  とんぼのせなかも まっかだな
  夕焼雲(ゆうやけぐも)を ゆびさして
  まっかな ほっぺたの 君と僕
  まっかな 秋に よびかけて いる
 
3 まっかだな まっかだな
  ひがん花って まっかだな
  遠(とお)くの たき火も まっかだな
  お宮の 鳥居(とりい)を くぐりぬけ
  まっかな ほっぺたの 君と僕
  まっかな 秋を たずねて まわる


退行現象かもしれないが、ふと思い出してしまった。



 

2009年9月28日月曜日

芭蕉(奥の細道)からの贈りもの

出光美術館の『芭蕉(奥の細道)からの贈りもの』という特別展を先日見に行った。
これは主に芭蕉の懐紙や短冊類、書状などを、その仮名の書風の変遷に注目して三段階(三期)に分類して(とは言え年代順になるようだ)展示したものである。特にこの分類上、「最も優雅で美しいといわれる、第二期の作品群を集め」たというのが、この展示のポイントらしい。二期とは貞享後期から元禄4年前後の芭蕉が旅を重ねた時期である。

 書に関して何も分からない素人だが、初めて芭蕉の五十件余りの真跡に直に接して感じたのは、どの時期からも感受できる筆の力というか、その立てる「声」というか、その真率さの崩れぬ持続力のすばらしさであった。大師流という書体らしい、この崩しや連綿の書体を今の私などはほとんど読めないが、それを当時の芭蕉の弟子をふくめた人たちがおそらく何の苦もなく読めたであろうという事実のもつすごさに圧倒された。少なくとも僧侶や武家、ブルジョアの町人たち、俳諧師をはじめとする文化・教養階級は弘法大師以来の書の美の伝統の求心力のなかで生きており、それを背景として、たとえば情報の「伝達」としての書状なども、このように「優雅で美し」く書かれたのである。

(何云宛書状 元禄2年)

 
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 書とは関係ないが、「ほそ道」にもある岩沼宿(「武隈の松」)での句文懐紙に眼を留めた。これは「山寺記念館蔵」のものである。その句文は

むさし野は桜のうちに
うかれいでゝ、白かはの
関はさなへにこえ、たけ
くまの松はあやめふく
比になむなりぬ

 ちりうせぬ松は二木を
三月こし

芭蕉翁桃青


これを見、これ読んでいて、書を含めたこの全てが「詩」という以外にはなく、「詩とは何か」というデリダの定義(記憶の節約、圧縮と引きこもり、博識なる無意識)のすべてに合致している、という発見である(別に合致しなくともいいのだが)。こうして芭蕉は自らの旅を記憶の彼方に刻印することで、それは出来事になり、「心を通じて学ぶ」(暗唱)ことができるものになる、その字体とともに。

 八王子米の黄金の稲穂を見ながら散歩することは、その早苗の緑のころを思うことでもある。
 

2009年9月26日土曜日

声なき傷口

詩とは何か?(Che cos'e la poesia?)とイタリアの雑誌「ポエジア」から問われて、ジャック・デリダ(Jacques Derrida)が書いた有名な回答の文「詩とは何か」(『総展望 フランスの現代詩「現代詩手帖30周年特集版』1990年6月所収・湯浅博雄・鵜飼哲 訳)を初めて読んだ。デリダは、詩とは「心を通じて学ぶ」ものとし、詩にまつわる教養や博識の必要性などという先入観をまず武装解除する。「心を通じて学ぶ」という把握の仕方は面白い。まず、これは暗記・暗誦するという意味のフランス語apprendre par coeurを一つの詩としてとらえたときに、そこにある「心coeur」にこだわることで、詩の「暗記・暗誦」という記憶の節約(エコノミー)の重要性を引き出そうとする。それは「心」を内面性や、その孤独な自由などといういわゆるデリダ的な批判対象である「現前性」、私個人として言いかえればとあえて書くが、その「私個人」などという近代的な自我観に対立する考えを、デリダは「詩とは何か」で答えようとしていると思った。英語にもある、lean by heart。デリダの文を引用する。

一、記憶の節約(エコノミー)ということ。一篇の詩(ポエム)は、その客観的な、あるいは外見上の長さがどれほどであろうと、まさにその省略的という使命からして簡潔でなければならない。圧縮(Verdichtung)と引きこもり(retrait)の、博識なる無意識。

二、心ということ。といっても、高速道路のインターチェンジの上を危険もなく往来し、そこであらゆる言語に翻訳されるような文章たちの真ん中にある核心というわけではない。…つまりさまざまな知の対象、あるいは諸種の技術の、哲学の、そして生命―倫理―法律的な言説の対象ではない。おそらくは「聖書」における心でも、パスカルの語る心でもない。…そうではなく、〈心〉の、ある一つの歴史=物語だ、つまり「暗記する・暗唱する(心を通じて学ぶ)」という固有語法のうちに、詩的なかたちで包み込まれているような歴史=物語だ。…

 いま述べた二つは、一つのうちに納まるだろう。というのも、二番目の公理は最初のに巻き付いているから。率直に言おう、詩的なものとは、きみが暗記したいと願望するもの、ただし他者から、他者のおかげで、口授されて暗記したい(心によって学びたい)と欲するものだろう、と。


筆写していて面白いなと思うところと訳の分からないところがあるが、後者は無視していこう。次にデリダのこの文章でとびっきり鮮やかなのは、こういう詩的な観念をある一つの形象にまとめたことである。「詩とはなにか?」デリダは言う。それはハリネズミだと。また引用して味わってみよう。

…(詩についてのさっきの二つの公理の要請に対してというような意味の句がある―水島註)答えようとするなら、きみはその前に、記憶を取り毀ち、文化を武装解除し、知を忘れることができなければ、詩学の図書館を焼き尽くすのでなければなるまい。この条件でのみ詩の一回性=唯一性はある。きみは祝賀するべきであり記念しなければならないのだ、「心を通じて」という記憶喪失を、野生=非社交性を、愚かしさ=獣性を、即ちハリネズミを。ハリネズミは自ら盲目となる。身を丸めて球となり刺を逆立てたそれは、傷つきやすくもあれば危険でもあり、計算ずくでありながら環境に適応していない(自動車道で危険を察知して身を丸めるがゆえにそれは事故に身を晒すことになる)。事故なくして詩はない。傷口のように裂開していないような、だがまた傷つけることのないような詩というものはない。きみから私が心を通じて学びたいと欲望する無言の呪文、声なき傷口を詩と呼び給え。だがそれは、本質上、作られまでもなく生起する(場を持つ)。活動もなく、労働もない、どんな生活とも無縁な、とりわけ創造とは無縁なこの上なく簡素なパトスのなかでそれは作られるにまかせる。詩は降りかかる、それは祝福であり、他者から到来するものだ。リズム、だが、非対称だ。……



引用の後半部「とりわけ創造とは無縁なこの上なく簡素なパトスのなかでそれは作られるにまかせる」というのがデリダの言いたいところだと、私が思うのも、こういうところが一番理解しやすいからである。オリジナル、創造、労働の産物という考えはなかなか根強いし、それを全く否定するのも不可能だろうが、そういう詩観にたいして、このような難しいことを言っているように見えながら、実はそれこそ簡素な、詩とは到来する賜のようなものであると要約してもよいデリダの簡潔?な考えを改めて実際の「詩作?」の場で、「心を通じて学び」たいものだと思った。

(上記の詩論の読解めいた講義から、今期の私の授業は出発した。さてどうなるか。50名ほどのクラス。昨年の80名に比べると、すごくゆったりとしていた。私の気分も。)

Poems about Poetryを紹介したいと思い(「詩とは何か?」への詩での回答)、Marianne Moore(1887-1972)の"Poetry"とArchibald MacLeish(1892-1982)の"Ars Poetica"を用意した。日本の詩人では谷川俊太郎の「理想的な詩の初歩的な説明」(『世間知ラズ』所収)という詩。三篇はそれぞれ詩への「解釈」が違い、「創造」的である、という出席者のコメントがあった。その後に、デリダの「詩とは何か」を読んだ。期せずして対照的なテクストの読解が生まれたようにも思えた。そこで時間が尽きた。実はもう一つの詩を用意していったのであるが。その詩はどうして用意されたのかも忘れ去られ、読まれもせず、遺棄された。でも、ここにこうしてある。だれの、創造の成果と問うなかれ!「声なき傷口」として、わたしを呼んでいる。


わたくしどもは




わたくしどもは
ちょうど一年といっしょに暮しました
その女はやさしく蒼白く
その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢をみているようでし た
いっしょになったその夏のある朝
わたくしは町はずれの橋で
村の娘が持って来た花があまり美しかったので
二十銭だけ買ってうちに帰りましたら
妻は空いていた金魚の壺にさして
店へ並べて居りました
夕方帰って来ましたら
妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑いようをしました
見ると食卓にはいろいろな菓物や
白い洋皿などまで並べてありますので
どうしたのかとたずねましたら
あの花が今日ひるの間にちょうど二十円に売れたというのです
……その青い夜の風や星、
すだれや魂を送る火や……
そしてその冬
妻は何の苦しみというのでもなく
萎れるように崩れるように一日病んで没くなりました

2009年9月18日金曜日

 昨日で半年間(4、5、6、7、9月の月一回のペース、それぞれ2時間の講座)全5回シリーズで読んできた『おくの細道を読む』講座が終了した。国立公民館の多彩な講座の一つとして依頼を受けて4月から始めたのだが、40名近い熱心な出席者のほとんどの人が無欠席を通し、この講座を楽しみにして通ってこられたその熱意に支えられて終了した。講師というにはおこがましい私もいろんなことを学ぶことができたと考えている。この5回シリーズでは大垣までたどりつくことはかなわず、市振の「一つ家に遊女も寝たり萩と月」の、あの印象あざやかな物語的記述の展開する条までで終わるしかなかった。「おくの細道」という稀有なテキストの作りの緻密さ、思いがけない展開や仕組まれた呼応の深さなどをどれだけ伝えることができたかはわからないが、そういうことを主に話したような気がする。自分自身の再読で発見したものは多い。ともかく、裏日本のここまで歩いてきたのを参加者の皆さんと言祝いで終わりにした。

 家のそばの公園の萩の美しさに最近見とれていたせいもあるが、「萩と月」まで到達できたのがうれしい。

上記の記事とは関係ないが、you-tubeを眺めていたら、ジャニス・ジョプリンのストックホルム公演でのsummertimeがあった。1969年という。ウッドストックの年だ。彼女もウッドストックに出た。その年。それから40年たったわけだ。アメリカではウッドストック40周年記念ということで、本やアルバム、関連グッズなどがバーンズアンドノーブルなどの書店で売られていたのを見た。こんなジャニス・ジョプリンのsummertimeも珍しいと思う。

2009年9月13日日曜日

presidential medal of freedom

やっと一編の詩を書いた。

これは今月の終わり頃発刊の「現代詩手帖」に掲載されるはずである。書き終わって、自分の詩の転機になるかもしれないと昂ぶった思いもしたが、時間がたつとそんな思いも自然に静まるしかないし、そうしたものである。今夏の、アメリカでの経験を底において、「自然」についての物語を企図した詩だが、まだまだ「にごり」があると今読み返して思った。こんなふうに発表もされていない自作の詩について語ることも、詩を書くという地点からとらえ直すと無意味とも言えないが、よそう。

昨日は、アメリカでお世話になったTroy一家と、彼らが日本で知り合ったというその友人夫妻を招いて、女房の手料理で酒を飲んだ。ダグラスとトリシア夫婦は十三年も日本に住んでいるという。相模川の周辺で、橋本から相模線に乗り換えて行くところだという。今度是非と言われた。アメリカでのことなどを中心に随分と話がはずみ、普段なら苦痛の「英会話」もそうでもなかったのは、アメリカの余韻をまだ引きずっているからだろう。

Jaksonvilleの娘の家で、一人でテレビを見ていた。8月12日のことだ。C-spanだった。オバマがいて、ホワイトハウスからの実況中継で、何か授与式のようだった。やがてわかった。日本の国民栄誉賞?のようなものか、アメリカの最高の名誉的な勲章と言われる、presidential medal of freedom(大統領自由勲章というのか)の授与式だったのだ。受賞者には、ぼくの知っている人で言えば、体の不自由なホーキング博士がいた、南アメリカの活動家だったツツ司教もいた、俳優のシドニー・ポワチエがいた、バングラデッシュの経済学者で貧民のための独創的な銀行を作ったムハマッド・ユニス?がいた。それにアメリカ先住民の権利の拡大につとめた何とかという歴史家人がいた、その人は先住民の服を着ていた。シビル・ライト闘争時代の生き残りの人がいた、この夏、この後で死ぬことになるエドワード・ケネディ(彼は病気で来れない、その娘のカラが代理でオバマから賞をもらった)、そしてぼくが一番驚いたのは、ゲイの権利拡大のために活動したハーヴェイ・ミルクにもこの賞が贈られたことである。もちろん彼は殺されて、いるはずもない、彼の甥のスチュアート・ミルクが代理として出席していた。ゲイの存在、その活動、それらを国家が表彰したのである、このことの意味を考えると頭がくらくらする。とくにここ日本で、こういう権利が公然と認められる、というようなことが、これから来るであろうか?(そういう意味で日本の国民栄誉賞などとと比較することなどとてもできない重たい賞でもある。)ハーヴェイ・ミルクをモデルとした映画がショーン・ペン主演で公開されたが、ぼくは見ていなかった。娘たちにこの授賞式のことを話した。その映画は観たという。内容も教えてもらった。アメリカの深さとしか言いようがないが、多様性の擁護ということは生半可な努力ではできないことだと思う。

25日にエドワード・ケネディが亡くなった。いろいろあった人だが、アメリカのリベラルの代表であったことは間違いないだろう。"Liberal Lion"がついに倒れたのである。オバマはその葬儀で次のような弔辞を捧げたという。
以下VOA Newsからの引用、


President Obama was the last speaker at the funeral. He said Ted Kennedy has gone home to join the loved ones he had lost.

BARACK OBAMA: "At last he is with them once more, leaving those of us who grieve his passing with the memories he gave, the good he did, the dream he kept alive, and a single, enduring image. The image of a man on a boat, white mane tousled, smiling broadly as he sails into the wind, ready for what storms may come, carrying on toward some new and wondrous place just beyond the horizon."

これを読むとオバマの言葉の力のすごさを感じずにはいられない。ほとんど文学である。エドワードの一つのイメージ、いつまでも残るイメージとはオバマによれば、ヨットに乗って水平線を超え、驚きと新たな場所を目指す白髪の笑顔が印象的な勇敢な船乗のそれである。

2009年9月10日木曜日

MOVE THE CHAINS!

さわやかな朝だ。
9月になって、あれこれあって、やっと一休み。

朝の散歩のときに、
Want some, Get some! という変なかけ声を思い出して、
「このやろう、かかってこい」というような意味なんだろうか?
大声で秋空に向かって叫んで、
すっきりと歩いてみせる。

Jacksonville JaguarsとTampa Bay Buccaneers のプレシーズンの試合を8月22日、ジャクソンビル・ミュニシパル・スタジアムで観戦した。生まれて初めて、アメリカンフットボール(NFL)のゲームを、しかも本場のスタジアムで味わった。OmarとYokoが招いてくれたのだ。4階の高い所から見下ろす。周りはすべて、ホームチームであるJaguars の青緑色のTシャツ一色。子供たち、大人たち、女性も相当数いる。みんな何かを飲みながら興奮している、楽しそうである。

相手 Buccaneers (海賊)に対する猛烈なブーイング、それさえ楽しい。最初の一蹴りから試合が始まる。その蹴られたボールを味方の選手がホールドして、そのまま相手陣地に入り込みタッチダウンした、ルールをぼくはよく知らないが、あり得ないタッチダウンだった、こういうのは見たことがない。熱狂的な拍手、歓声のるつぼと化してしまう。みんな立ち上がって、周囲のすべての人とハイタッチを交わして歓びを分かち合う。ぼくも前のビール片手のおじさんからタッチを求められる。

最初は威勢がよかったが、じわじわと追い込まれて、Jaguarsの敗勢が濃くなる。そこでぼくらは球場を後にしたのだが、ゲームの途中でのヤジというか声援がすごい。Want some, Get some! というのは、日本の野球にたとえて言えば広島カープのファン(すべてのファンではなく、ぼくの知っている一人を念頭において書いている、他の広島ファンに他意はないのでご容赦を)などのする、相手チームに対する口汚いののしりに近いのではないか? ものすごい声量でぼくらの後ろに座っている、少し品の悪い、どちらかといえば若い連中から発せられたヤジである。後で Omarに確かめて、なんと言っているか分かったのである。しかし、意味はよく分からない、敵チームに言っているのだから、直訳すれば「欲しいのなら、おまえらの力で取れよ」というのだろうか。しかしこのかけ声を発している感じは、完全な挑発とののしり、というムードであった。

あと味方チームの低迷に対しては、みんなで声を合わせ肩を組んで、後押しをするという感じで、歌うように、
MOVE THE CHAINS!
MOVE THE CHAINS!
MOVE THE CHAINS!
UH!
という。これは子供たちも参加する。チームの低迷を一転させるために、もっと「動線を動かせ」ということなのか。

さわやかな朝の、ひさしぶりの散歩のときに、聞こえてきたのはフットボールスタジアムでのざわめきだった。明日から(9月10日)現地では、レギュラーシーズンが開幕する。

Jacksonville Jaguarsに日本から声援を!
MOVE THE CHAINS!
MOVE THE CHAINS!
MOVE THE CHAINS!
UH!

 
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2009年9月3日木曜日

9月へ

なかなか書けない状態が続いているので、趣向をかえて対話の形で書いてみようとて書くのである(遠い昔のだれかのまねか)。

客:秋ですね。この夏はアメリカに外遊されたとか?いかがでしたか。

主人:オバマが毎日テレビに出て、国民健康皆保険の必要性を説明し、説得している姿に感銘しましたよ。C-Spanというコマーシャルなしで一日中、国政の重要会議やホワイトハウスの報道官ロバート・ギブズと記者とのやりとりなどを放送するテレビがあって、これは暇なときによく見ていましたね。日本のワイドショー的なものもあったのかもしれないが、あまり見なかった。もっとどぎつい実在の中毒者や犯罪者を主人公にしたドキュメンタリー形式のもの、たとえば”intervention”というのは二回ぐらい見て印象に残っています。

客:どんな違いがあるの?

主人:リーダーに関して言えば、アメリカは命がけ、みんなに尊敬されている、そこから出発している、日本は自分たちの理想に基づいて立案した政策(そもそもそんなものが今まで自民支配であったかどうか)の合意に対して、あそこまで、草の根に飛び込んで行く情熱があるだろうか?もちろん、ここの人も、ブッシュはあんなことやらなかったし、できなかったというのだが。メディアに関して言えば、日本のようにどこも同一で代わりばえのしない番組を流しているというのはありえない、という感じですね。同じタレントという人種、同じ平板な言葉の羅列、いやになるぐらい同じ、同じ、同じの脅迫、浅さも同じ、出るやつも同じ、……メディアの意味はないと思う、情報をきちんと伝えるだけでいいのに、それすら変な味付けをして、ねじ曲げてしまう。そのねじ曲げ方も、どの番組も同じだから、笑っちゃうよ。狭いですね。

客:偉そうに言いますね。

主人:そういうつもりは毛頭ありませんが、そう聞こえるならついでに言いたいことがあります。今度の総選挙のことについて、この結果を山崎正和が「ポピュリズム選挙」などと言って、それこそ偉そうに総括していた記事が朝日(2日)に載っていたけど、これには心底がっかりしましたね。これだから日本には、真に保守と呼べる知識人なぞはいないのだとあらためて思ったのです。山崎なぞは保守を気取っているにすぎない。この選挙の結果をもたらしたのはポピュリズムなどであろうはずはない、この年老いて状況を補捉できなくなった劇作家のかわりに、日本の国民はよく考えて、そして心底いやになって、自民を蹴落とし、民主に賭けたのにちがいないと、私は考える。老劇作家はポピュリズムを次のように定義している。「ある問題を、主として否定することをテーマに、大多数の人がムードに乗って一気に大きく揺れること」。これも後出しジャンケンみたいに、自分で都合良くでっちあげた定義にすぎないが、だれもこんな気持ちで投票したのではない。それは確かなことではないのか。苦々しく、それでも、仕方がない、やらせてみようじゃないか、見守ろう、などという思いの方が、こんな総括より、ずっと真実にちかいと私は考える。
耄碌した知識人などの出る幕ではない、もっとシビアな現実を、現実を生きている大多数の人間は味わい、そこからその一票が投じられているのである。…というようなことを考えましたね。あるいは、アメリカの変動と同じような変動が起こりうるかもしれない、それを期待して一票を投じた人もいたにちがいない。

客:変わってきますかね。変わらなければならないことは確かだけど。

主人:アメリカ追従の今までの外交政策は少なくとも変わって欲しいですね。普天間をはじめとする沖縄の基地のあり方の見直し(ずっと懸案だった)、これはぜひやって欲しいし、「思いやり予算」などといわれる米軍優遇の予算も見直して欲しい。ギブスは「なにをもって、アメリカ追従、というのかわからない」とさっそく苦言を呈したけど。鳩山の考えが「ブレ」ないように当面は見守ってみよう。

客:文学についても聞きたいけど、これは次回にとっておきましょう。

主人:ずっと取っておいてください。(さむざむとした笑い)