2010年1月29日金曜日

J. D. Salinger, Literary Recluse, Dies at 91

J. D. Salingerが27日に亡くなった。CHARLES McGRATHという人が長文の追悼記事をニュ-ヨーク・タイムズに書いている。そのタイトルが上記のもの"J. D. Salinger, Literary Recluse, Dies at 91"である。「文学の隠遁者」である。

“If you really want to hear about it, the first thing you’ll probably want to know is where I was born and what my lousy childhood was like, and how my parents were occupied and all before they had me, and all that David Copperfield kind of crap, but I don’t feel like going into it, if you want to know the truth.” と始まるのが、永遠の?ベストセラー“The Catcher in the Rye”の冒頭のセンテンスである。この死亡記事を書いたCHARLES McGRATHは次のように言っている。

“Catcher” was published in 1951, and its very first sentence, distantly echoing Mark Twain, struck a brash new note in American literature.

Huckleberry Finnを受け継いで放浪者の新しい声をアメリカ文学に刻んだのがHolden Caulfieldであったわけだ。

ゆっくりと、自分自身でいろいろと考えてみたいと思う。

2010年1月25日月曜日

お土産

 ちょっと嬉しいことがあった。家の前に車の止まる音がして、ピンポンと鳴った。女房が出て行って、「G君よ」という。久しぶりにGに会った。一橋の院生だが、一年前に就職は決まっていた。そのときいろいろ話を聞いて以来だ。就職先は日本有数の民間のシンクタンクである。修論も提出して、沖縄に遊びに行ったという。喜納昌吉と飲んできたという。レキオスにも行ったというので、河合さんに会ってきたかと言ったら、遅く行ったので認識できなかったということだった。今帰仁に行ったので、先生の好きなお土産を買ってきたという。今帰仁の泡盛だ。Gなどの高校時代、彼らが2年生のときの修学旅行、2002年の11月に始めて一緒に行って以来、沖縄はGにもぼくにも特別の場所になった。Gにとっては大学時代の「ティーチ・イン沖縄」の運動も含めての勉強の地になったし、僕にとっては「今帰仁で泣く」という詩集の出版以来様々な沖縄の友人たちを知り、刺激を受けてきた場所。あの高校の時代から8年経ったわけだ。Gを見ても、昔と全然変わっていないと思ってしまうが、…。彼もいよいよ、この社会に出るわけだ。

2010年1月24日日曜日

アイヒェンドルフの思い出のために

アドルノの「文学ノート」Ⅰ・Ⅱ(みすず書房)を、ここ最近ずっと読んでいて、その思考のスタイルに引き込まれている。博識は言うまでもないが、博識を打ち砕く弁証法的過激さとでもいうべきものや、その論理展開と文章自体の面白さ、いろいろある。とくに音楽に関する思考の鋭さは、楽理に対する通暁と作曲家を当時の時代や哲学を背景にしながらその限界と未来を語り尽くすといった仕方で述べることにおいて、アドルノをしのぐ人はいないだろうと思う。「文学ノート」ではないが、「ベートーヴェン 音楽の哲学」(作品社)におけるベートーヴェン後期作品の解釈の切れ味のすごさ、「ベートーヴェン 晩年の様式」と題された断片の深さ、ここからエドワード・サイードの「晩年のスタイル」という概念も生まれたのだった。その全部をここに書き写したくなるのだが、『アイヒェンドルフの思い出のために』(「文学ノート」所収)と題された、後期ロマン主義の詩人、作家であるヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1788-―1857)の詩について論じたエッセイがある。そしてこのエッセイの終わりには「コーダ-シューマンの歌曲」と題されていて、「アイヒェンドルフの詩によるシューマンの歌曲集、作品39は、抒情的連作歌曲(チクルス)の傑作の一つである」と始まる、それこそシューマン音楽への蘊蓄を傾けながら専門馬鹿のような自己満足には堕さないぞといったアナリーゼが12の歌曲すべてに施されている。私にはここを紹介する余裕はない。カルチャーセンターなどで流行るレクチュアコンサートなどにも行って聴いてみたいと思うのだが、私の能力を超えている。もちろんアドルノのレクチュアも。しかし、―「リーダークライス」の構造はテクストの内実ともっとも密接な関連に置かれている―という言葉を読んだだけで、アドルノがどんなにふかくテクストであるアイヒェンドルフの詩に読解の自信があり、なおかつシューマンの曲の全体の布置に対して自らの理解の自信があり、そこから、はやるように言っているのがよくわかる。ああ、こういうとき楽理がもっと分かればなあと己の非才を嘆くばかりである。ここではアイヒェンドルフの「憧憬」という詩をアドルノ(サイ-ドによれば、アドルノ=晩年のスタイルの憂鬱な薄明をつかさどる大司祭、といういささか揶揄的な異名をたてまつられることもあるのだが、この読解はみずみずしくロマン主義的である)がどう解釈するかを同エッセイから抜き書きしておこう。まずアイヒェンドルフの詩。

憧憬

星々が金色に輝き、
一人で窓辺に立っていた僕に
遠くのほうから聞こえたのは
静かな田舎に響く郵便馬車の角笛。
心が身体のなかで燃え上がって、
僕は秘かに考えた。
ああ、郵便馬車に乗って行ける人はいいなあ
こんなきらびやかな夏の夜に!

二人の若者が
山の斜面を通り過ぎて行った、
僕には彼らが、静かな山道を歩きながら、
歌うのが聞こえた。
めまいがするような峡谷で、
森が穏やかにざわめいているのを、
清水が、断崖から
夜のような森に流れ落ちるのを。

彼らは歌う、大理石の像の数々を、
庭園が、岩の上で
夕暮れの樹々の蔭で荒れ果てるのを、
月の光に照らされた宮殿で、
少女たちが窓辺でじっと耳を澄ましているのを、
リュートの響きが目覚めるときに、
泉が寝ぼけてざわめくときに、
こんなきらびやかな夏の夜に。


以下○印は特記すべきアドルノの解釈、つまり私の好きな言い方。

○夜の風景について、それが靜かだと言うほど、いい加減な言い方はないし、郵便馬車の角笛ほど陳腐を極めるものもない。だが、静かな田舎に響く郵便馬車の角笛となると、これは意味深長な矛盾である。なぜなら、角笛の響きは静けさを破壊するのでなく、静けさ自身のアウラとなって、静けさをはじめて静けさにするからである。

○山についての四行が「君は知るや。レモンの花咲く国を」の影響下にあることは明白である。だが、「断崖をなす岩を、清水が駆け下りる」という、力強い、呪縛するようなゲーテの詩句と比べると、アイヒェンドルフの「森が穏やかにざわめいているのを」というピアニッシモはまるで天と地ほどに違う。アイヒェンドルフのこの詩句は、いわば聴覚の内空間でしか聞こえないような、微かなざわめきというパラドックスであり、そのなかへと消え去る壮大な風景は、イメージのはっきりした輪郭を犠牲にして、開かれた無限へと逃れてゆく。そうであればこの詩のイタリアも、官能的欲求の確固とした到達点なのではなく、それ自身が憧憬のアレゴリーにすぎず、うつろいやすいものの、荒れ果てたものの表現に覆われ、充足された現在ではほとんどないのだ。

○音楽の再示部と同じように、詩は円環をなして閉じている。きらびやかな夏の夜に一緒に旅に出たいと思っている者の憧憬の実現として、きらびやかな夏の夜がやはり憧憬自身として、再び姿をあらわす。この詩はいわば、「至福の憧憬」というゲーテの詩のタイトルのまわりを縁どっている。憧憬は自己自身を到達点として、自己自身のなかへと流れ込むのだ、それはまさに、憧憬をいだく者が、憧憬の無限性のなかに、あらゆる特定なものを超越したところに、自己自身の内的なあり方を見出すのと同じことである。愛は恋人のためにあるのと同様に、愛のためにもある。詩の最後のイメージが、窓辺でじっと耳を澄ましている少女たちに辿りつくことから、憧憬がエロティックなものであることはわかる。だが、アイヒェンドルフが至るところで肉欲を覆い隠す沈黙は、幸福の最高の理念に転化する。幸福のこの理念にあっては、憧憬そのものが充足に他ならず、神性の永遠の観照に他ならない。(訳はすべて、恒川隆男のものによる)


なんという読解であろうか。あの憂鬱なアドルノも、アイヒェンドルフの詩をシューマンの曲とともに「自明なもの」としてギムナジューム時代の親密な記憶と共に生きてきたのであるからか、これを書いているアドルノの中になにか明るいものとして輝いているのはたしかである。

lenteur

以下は、中村隆之君のblog 「OMEROS」  からの転載。中村君は去年からマルティニックに滞在している。彼の畏敬する作家で同島に住んでいるエドゥアール・グリッサンを最近訪ねたときの話。

こんな質問を投げかけてみた。マルティニックを花で喩えるなら何か。たとえばセゼールの政党はバリジエを選んだが、もし喩えるなら何か、と。詩人はこう言った。マルティニックを一つの花で喩えることはできない。無数の、繁茂するさまざまな花々がマルティニックだ、と。

その後は雑談をした。船が好きで、最近はもっぱら船で移動をするという話を聞いた。飛行機は3時間が限度。数日間をかけて太平洋を横断し、船のなかで仕事をする。それは詩人の"lenteur"(穏やかさ、緩やかさ、遅さ)への愛着でもある。速度を優先する飛行機よりも、船の"lenteur"を好んだ。また、東京は好きではないが、東京好きになった当時10歳の息子マチューにこう言われたという。東京はまさにグリッサンのいう「世界という混沌」(chaos-monde)ではないか、と。10年前に来日した思い出として、そのことを楽しそうにしゃべってくれた。

庭にはいくつもの木が植えられている。そのうちの一つに「旅人の木」というのがある。扇状の葉をした木であり、根は水を含んでいる。疲れた旅人がこの根から水を得るわけだ。5年前にグリッサン自身が植えたこの「旅人の木」を眺めながら、静かな一時を過ごした。

追記:昼食の際にパンノキの実、クシュクシュというヤム芋の仲間を食した。


まさに永遠の真昼を思わせる一時である。私はこの「全―世界論」の詩人、作家の「"lenteur"(穏やかさ、緩やかさ、遅さ)への愛着」という中村君の見出した姿勢に深く共鳴する。

2010年1月22日金曜日

魂と舞踊

○「お前はどこから帰って来た?」とソクラテスが聴くと、
「隠れ家、隠れ家、おお私の隠れ家、おお渦巻き!―動きよ、私はお前のなかにいた、ありとあらゆる物のそとに…」と踊りの精と言ってよいアチクテは、こう答える。ヴァレリーの『魂と舞踊』の最後の場面。

肉体の、精神からの解放が一つのテーマ、あるいは夢とも思えるこの戯曲を最近読んだ。

宿命的なアンチノミーを、この人は最後まで解決せずに、「あえて」解決せずに持ちこたえたのか。テスト氏と、踊りや水泳の歓びの対立。

八王子まで女房と一緒に歩いて出かける。用事を済ませて、西八王子の図書館まで電車で。帰りに八王子に降りて、買い物。久しぶりに日本酒の4合瓶を買う。その前に聞き酒を4カップぐらい勧められ、それで真っ赤になっている、女房に冷やかされた。弱き者よ、いやますますに弱くなりしかな!それを夕食に半分飲んで、できあがってしまった。すべてのアンチノミーが幽界に誘拐されたような融解感覚である。

2010年1月18日月曜日

海苔の砂

乾鮭も空也の痩も寒の内

旧臘、私は芭蕉の「長嘨の墓もめぐるか鉢叩」を取りあげながら、この句を挙げることを忘れていた。旧暦、新暦混合して訳がわからなくなるが、この「寒の内」は旧暦、鉢叩きの念仏の候である。この痩せた「寒さ」が、ちょうど我が身の寒さに響き合うので、この句を思い出した。また一つ、これは「春」の句だが、

衰ひや歯に食ひ当てし海苔の砂

も最近心によく浮かぶ、というのはこれは我が身の事実だからである。

沼波瓊音の「芭蕉句撰講話」にあるこの句の鑑賞を以下引用する。この講話では初句は「衰へや」になっている。
―名高い句である。秋声会の人達は竹冷先生をはじめ、この句を悪句だといふことに定めて居られるが、私はしみじみ佳い句だと思ふ。
 海苔に交じって居た小さな砂を、歯にチリリと噛みあてたのである。それが著しく歯に響いた。こんな小さな砂を著しく感ずる、とその時身の老境に入ったことを思うたのである。―

PETITION

オーデンの詩に、"PETITION"(祈願)というのがあって、

Sir, no man's enemy, forgiving all
But will its negative inversion, be prodigal

と始まる。

深瀬基寛訳によると、

「誰をも憎みたまうことなき御身よ、すべてを赦したまいて、
われらの意志の消極的倒錯を赦したまわぬ御身よ、惜しみなく与えたまえ、」となっている。

「意志の消極的倒錯」とは、オーデンにとって許すことのできない、彼が唾棄したパブリックスクール的、オックスブリッジ的な欲望のことで、従って神Sirも赦さないのである。神にSirと呼びかけるのはオーデンの発明ではなくて、稀有な宗教詩人ジェラルド・マンリー・ホプキンズが先蹤である。「意志の消極的倒錯」とはウィリアム・ブレイクの『地獄の諺Proverbs of Hell 』の一つ、"He who desires, but acts not, breeds pestilence. "(行動しない欲望は病をひきおこす)との関連があろう。すなわち、第一次戦争の「戦後派」であるオーデングループ(オーデン、スペンダー、ルイス、マクニース、イシャウッド等)にとっての「外部世界」へのアンガージュ、開かれた世界への乗りだし、そういうものの対極にあるあり方をnegative inversionと呼んだのである。

ロレンスの生の哲学も 「意志の消極的倒錯」を嫌った。

踏み出すべき「外部世界」、「偉大なる外部」というのが今あるのか、ありうるのか。「他者」をいくらでも変容し、あたかもそれが実在であるかのようにふるまう幻想、詩的幻想があるが、それは、このあるかどうか定かでない「外部世界」との関係の中でこそ、出現したり霧消したりするものなのではないのか。

現代の詩人が書いたものは、ほとんど「意志の消極的倒錯」の確かめのようなものに見えてしようがない。

2010年1月17日日曜日

THE HABIT OF BEING

昨日(15日)は今期最後の授業だった。いつもは50名ほどのプリントの用意で済むのに、55部用意したプリントが全部なくなって、プリントなしで受講していた学生もいた。自分自身のものを遅れてきた学生で、見知っている女子学生に渡したから、あとは空で話をするしかなかった。これは最後の授業なので、今までサボっていた諸君も顔を出したということだろう。高校の時の教え子で、この大学の英文の修士で、今年はドクターのコースを受けるというSさんがご苦労さんという意味もこめてか、聴きに来ていた。授業が終わってSさんを連れて、一時間ほどビヤホールで生ビールを飲みながら(うまかったこと!)あれこれ話す。Sさんの友人でFlannery O'Connor を修論に書いた人のことなど、その論文が優秀で何とかという賞を貰ったということ(賞状はなくて、賞金だけが出るという)。Sさんと、この友人は去年二人で授業を聴きに来てくれたこともあった、一緒に飲もうなどと話したが、その友人は今は就職して福島にいるということ。そういうことや、ドクターに行けたらHenry JamesをやりたいなどとSさんは語った。

Flannery O'Connor の書簡集" The habit of being"の話を授業で少しした。この書簡集はオコーナーが39歳に宿痾の病、狼瘡(lupus)で亡くなってから15年目の1979年に出版されたものだ。編者は生前深い親交のあったSally Fitzgeraldという女性の書評家である。このタイトルももちろん彼女が付けたものだ。1948年(オコーナー23歳)から死の年1964年までの彼女が出した手紙792通が収録されている。相手は友人、編集者などだが、手紙のどの相手も職業などとは関係なしに、オコーナーが発する精神性の磁場のなかで、日々の些細な話題から病気のこと、オコーナーの作品のことなどをめぐり率直に誠実に相互に「書きあった」ということが、オコーナーの手紙だけからでもよくわかる。このタイトルもすばらしいと思う。たぶん、こういうことだと思う。存在すること、それを習慣としてとらえること、習慣という言葉がここでは精神の姿勢、才能のようなものとして捉え返されている。アメリカの南部という世界で生き、書いた人間、しかも宿痾を背負った人間がが、自らを支える「習慣」として、まず一番目に「書くこと」の習慣を身につける、そして次にそれよりも大切な、第一の習慣を包み込む大きく深い習慣として、生存する、生きる、あるBeingということを自らの内部から捉え直したのだということ。みなさん、簡単なことのように見えますが、そうでしょうか? でも、この二つの習慣を目の前にはっきりと意識してみてください。オコーナーは書くことに興味を持っている若い人たちにもよく助言したそうです、「書くのです、あなたが書けることを、そうすればあなたは、あなたがなれるはずのものになる」(You write, she repeatedlys said, what you can. And you become, we can further infer, what you canと編者のSallyは書いています)。
 創作と存在を、結びつけて下さい。「習慣」という言葉を、その陳腐さではなく、驚きと新鮮さで捉えるようにして。以上のようなことを喋って今年の授業は終わったのだ。
 

2010年1月12日火曜日

2010年1月11日月曜日

成人式

 
Posted by Picasa


最後の担任のとき教えた生徒たちが二十を迎えた。そこで晴れ姿を見にぜひ来てくれということで、久しぶりに成瀬まで行く。女子?はほとんどが華麗な和服姿。写真を一緒に撮って、「元気でがんばれ」と言って帰る。

2010年1月6日水曜日

五日閉口題六日

湖東の無名庵に春を迎ふ時三日閉口題四日
大津絵の筆のはじめは何佛

蒟蒻に今日は売り勝つ若菜かな

一とせに一度つまるる薺かな

芭蕉の好物は蒟蒻だったらしいが、2日に高幡不動の参道の蕎麦屋で食べた味噌田楽は蒟蒻だった。明日は七草(人日)の節句。

今日は良寛忌。
天が下にみつる玉より黄金より春のはじめの君がおとづれ

2010年1月2日土曜日

初詣

昨晩は息子たちが来て、正月を祝った。久しぶりにトランプで遊んだりした。今日は高幡不動に4名で初詣に行った。

 
Posted by Picasa


 
Posted by Picasa