2010年9月26日日曜日

夏の足跡

9月第4週追い書き、19日西荻から八王子へもどる。卒業生の一人と久しぶりの飲み会。楽しかった。元気であった。
21日、渋谷に出る。八王子の市民である私はこの混雑に驚く。 寒い地方の、貧しくあたたかい人々の物語をベースにした映画の試写を観る。後半部はひきこまれていた。この原作を書いた作家は20年前の10月6日に自死した。
(その死を聞いて、そのときに書いた詩、)

曲線を下る (佐藤泰志の死を聞いて)

 雨に濡れた山の稜線について
 語ろうと思うが
 黙ってしまう
 隆起し
 そこにあり
 さらされ
 減っていく
 そのものについて
 ぼくは語ることができない

 岩を
 友とぼくは
 静かになだめた
 恐怖は時おり訪れるが
 謙虚に
 しびれるだけだ
 手に負えぬ巨岩の前で
 立ち竦むぼくに
 友は
 ホールドを示しながら
 「飛べ」と言う
 ぼくは飛んだ
 草つきに出て振り返ると
 水の音
 いつも流れているものにはかなわない
 歩くことを手向けて
 乾いた喉に
 ビールを流し込む

 曲線は秘密ではない
 減らされることに耐えている
 自らを裁つもの
 それは
 かなしい秘密
 語ることのできないものと
 語ることで死を呼び寄せるもの

 曲線を駈け降りる
 友に遅れまいと必死に
 出発点を目指す
 立ち止まると転ぶから
 曲線を蹴る
 その
 循環のなかに
 死者を葬るかのように

23日、ものすごい雨、びしょ濡れになる。岩田さんと二人で子安市民センター。「七部集を読む会」の二回目。ぼくの発表だった、「冬の日」の第二歌仙、「はつ雪のことしも袴きてかへる 野水」の巻。勉強不十分の成果を見せることになったのを悔やむ。精一がウイスキーとホッピー、氷まで用意している。大広間で飲みながら講読。終了してから雨の中を八王子の沖縄居酒屋へ。そこで泡盛の各種をグラスでほとんど飲みほしてしまったようだ。精一、岩田さん、小生、酒が嫌いなわけではない。そのことを実感する俳諧の雨ノ夜。

24日、午前中は二日酔い。それでも朝起きてシャワー。午後12時過ぎに池袋に向かう。10年度の授業の開始。控室も教室も変わっているので、それを確認するためにはやく大学に着いた。5号館になっていた。4枚ぐらいの原稿をそれぞれ60部ほどコピーして授業に持参。去年は足りなかったが、今年は50名ほどの受講者だった。

25日、小雨のなかを朝散歩する。約8㌔。帰って、由井市民センターへ、10月30日の七部集の読書会のための会議室を600円で予約する。精一も心配してジョギングのついでに来ていた。予約して帰る。寒気、悪寒、ダウン。国立の「詩のワークショップ」(福間健二・講師)休む。以下その課題として書いた詩、


(夏の足跡)           
                              

You TubeでBuena Vista Social Clubの
IbrahimとOmaraが歌うSilencioの哀切な、哀切という言葉を越えて
ベンダースが聴取したハバナの生(ムージカ・クバーナ)を
八王子の片隅の片倉の夜に
その他のCompay SegundoのChan Chanなど(のムージカ・クバーナ)とともに
再生リストに貯蓄のように貯めこむ、老人の習癖のように
すべてを鳴らしてみる、聴いてみる、その日のために?
でも、どんなその日がくるというのですか?(ミズスマシさん)
いつでも聴く、今も聴いている、私は聴きながら書いているのではないか
夏の死の、肉の腐乱の、懸念について
〈少女〉に訊ねられた
どの巻のどこ、どの人物のどの死?
「泡の消え入るやうにて」、「物の枯れ行くやうにて」死ぬ人のゲンジモノガタリagain
八月は秋、紫と中宮と源氏の聖家族の三重唱
「風にみだるる萩の上露」に腐乱はない、ないはずだ、消えゆく露のように
死んだ紫の〈少女〉のときの弾む声が響くムージカ・クバーナ 
その声の肉に腐乱は予兆としてあったというのか 
夏の入口/高原できみを追い回し/立原道造を気取る
ブルースもディランもSilencioも知らんかった裸の日々
生と夏をただ秤にかけて
草いきれのなかで、虫のようにミミズのように座っていたかった
〈少女の〉悲しい目はきみの未来永劫にわたる欺瞞をこそ予想していた
川面をなめながら鋭く飛行する
水色、緑色の一瞬のきらめきを翼の間に隠しもつ生きもの
川底にはきみをあざける太った鯉たちが尾びれを利息のように引いて長生きする
「ああ!」
「疲労困憊(セグンド)の私はハバナに行きたいのです!」
その日のために
ピンと誇らしく鯨のジャンプのように背筋の伸びた老人たちに会いに行く日
果てしなく前に開けては後に閉じる河筋を
その闇の奥の奥へと、問題はそこにつきるのでは? ないよ!
分け入ることだ、そこうと思い悩むまえに溯行するのだ、下流へと下流へと
知らんかったSilencioの二重唱は何をこじ開けているんか
老いらくの来るという河の上流ではなかった
夏がいやがっている
熱中症の老人たち、苦しい毛の猫たち、恋の記憶と過去とを読みまちがえている
果てしなく前に閉じては後に開ける嘔吐と恥(オント)
背と腹に眼を持つというミズスマシさん
暑い夏をひたすら瞑目して瞑目せり
冷たい静寂が下りると、やがて朝が来る(肉の腐乱が来る、と訂正せよ)
10/09/21
 

 

2010年9月20日月曜日

詩の小径をたずねて

 三鷹駅で総武線に乗り換え、西荻で降りる。西荻窪は久しぶりだった。そこから東女を目指して歩き、善福寺公園に出た。昔々、杉並高校に勤めていた頃、この場所ではないが成田東にあった学校そばの善福寺川堤防緑地でクラスの生徒たちとホームルームの一時間を遊んだことなどをゆくりなく思い出した。
 公園に入って、若い父親、母親たちの一団がそれぞれの子供たちを連れて弁当を食べている、そこを抜けてすぐ「詩の小径をたずねて」が開かれている白い洋館風の家があった。三日間のセッションだが、今日は「詩の女子トーク」と「辻征夫の肖像」というタイトルで2部制の、その一部の「詩の女子トーク」を聴きにやってきたのだった。他の用事があったので、それしか参加できないというのが実情だったが。
 
 はじめてその声(朗読)を聴き、他の詩人が読むその人の詩を私がはじめて聴いた詩人、鳥居万由美、清水あすか。そして新詩集を頂戴した北爪満喜さんもそうで、彼女の犀利な批評(参加者が互いの詩を批評したり、自作についての質問に答えたりする形でのトーク)に感心した。鳥居と清水の詩にも驚いた。あとは三角みづ紀、新井豊美、杉本真維子の三名。新井さんや杉本さんと話をする暇もなく5時過ぎには善福寺公園を後にした。

2010年9月13日月曜日

Walk Don't Run

山の上から帰ったのが、4時前。今日は、三時間の授業がある日。三年生は昨年の入試問題、ロラン・バルトなどを援用した記号分析の文章で、同志社の問題。表象や記号等という言葉の解説などをやらかす。二時間目は、「こころ」二年生。三時間目は王朝の和歌、二年生の古文。頭はくるくる回るが、なんとか昏倒しないで授業を終えた。
 
 終えて職員室に戻ったらA先生から素晴らしいプレゼント。この夏山形に行ったということで、「錦爛DEWA33 秋あがり 秋季限定品」という純米吟醸の720ml壜を頂戴する。しかも保冷してあるので喫驚した。

 4時20分から妻と歩く、その後いつものように(最近はそうしている)一人でスコシ走る。最後に城趾の池の前で合流する。歩く前に、いつも発泡酒を二缶冷蔵庫に冷やして、その幻影をにんじんのように幻視しながら歩いているわけだが、今日は一缶だけ入れて、プラスA先生から頂戴したお酒の壜を入れた。なんか心が非常に豊かになったような気がし、王侯貴族のような気分で鷹揚に歩いた。今その酒を味わう、その美味なること、老いらくの来むといふなる道、まさに、まがふがに、である。いやこうして老いるのだ、確かに、その美味に溺れて。

 今、Chet Atkinsの "Walk Don't Run'が鳴っているぞ。youtubeから彼を拾って再生リストに入れて最近聴いている。ベンチャーズの"Walk Don't Run'もいいけど。ああ、団塊だなあ。
 

2010年9月12日日曜日

Vincent

久しぶりに聴いて、やっぱりいいと思うDon Mcleanの古い歌。



これを名手Chet Atkinsが弾けば、

2010年9月7日火曜日

something the matter with us?

午後4時半から歩く。どうして今まで考えなかったのだろうか。道中の途中で、妻と離れて先を急ぐことにした。互いの速さが合わないので、ぼくのほうが自分のスピードで、自分の距離を歩くことにした。妻よりも遠くへ、妻よりも速く歩くことにした。妻の帰路のどこかで僕が後ろから追いついて合流することにしたのだ。妻は7キロぐらい歩く、ぼくは走りを入れて9キロぐらい、片倉城趾の池の所で一緒になることを計画して、今日実践してみた。池の前の湯殿川の堤防でハーハー息を切らせながら、ぼくは追いついた。妻は足の親指の具合がここ数日悪い。休めば、とぼくは言うのだがきかない。親指の調子がよかったら、あなたは私をここで追い抜けなかった、と言いたいようだった。ぼくはすっかり疲れて、いい気持ちだった。

2010年9月6日月曜日

Walker's high

9/1 (9.5㎞)
9/2 (8.3)
9/3 (9.0)
9/4 (9.0 )
9/5 (7.7)
9/6 (8.2)
 
9月からは、午後5時頃から歩き始めて、7時頃に帰宅する。妻は庭の花や木に水をあげ、私はシャワーを浴びる。その順番が逆なときもある。
 妻は9月の2日から歩きはじめた。二人で湯殿川の堤防を往復するのが日課、水源までは行かない。水源がどこかは私も知らない。2日、妻の歩き始めの日に、大きめのカワセミを発見する。
5日の日はあまり距離的には歩いていないが、6日の仕事始めを意識して、夏休み最後というノリで歩き出し、家に帰ってシャワー、猫の給餌を終え、二人で駅前の「養老の滝」にくり出す。生ビールのおいしかったこと。私は連続三杯、普段飲まない妻がおいしいと言って一杯を飲みほした。久しぶりの養老、それに久しぶりの満席状態で、顔見知りのお店のSさんに 「よかったですね」というと満面の笑みだった。珍しいことに、団体客が入っていて、先ほどもう一つの団体が帰ったのだという。なんか祭りでもあったのか。
 昨晩入稿する。それでホッとしたのか、今日はやる気がない。仕事から帰ったのが、3時半すぎ。4時半から二人で歩き始める。昨日は五時半だったので、真っ暗な道を帰ったのだが今日は大丈夫。それにしても確実に暮れるのがはやくなった。

twitterで娘が写真を送ってくるようになった。Omarと二人でジャクソンビルのビーチ(大西洋)に行ったとのこと。

逆立ちで海辺を歩くOmar

 
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2010年9月1日水曜日

闘牛

 
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息子のtwitterの写真から。徳之島の闘牛。説明によると、まだ試合デビュー前の牛らしい。優しい目をしているね。
考えてみれば、強くもないし、戦う気持ちもなかったけど、追い立てられて、私も闘牛と同じような生を歩んできたのか、歩まされたのか。

9月か。はやいな。