2011年2月25日金曜日

This is America. Who are you?

藤永 茂先生のブログでRay McGovernという元CIAの情報アナリストだった人のことを知る。 http://www.opednews.com/articles/Ray-McGovern-Assaulted-B...

ヒラリー・クリントンのスピーチのときに、この老アナリストは、ヒラリーの欺瞞的な在り方に抗して、彼女に背を向けて、黙って立っているというスタイルで抗議をするのだが、このスタイルを彼は"silent witness"(静かな目撃者とでも訳しておこう)と名付けていて、他のところでもやったことがあるという。ところがこのヒラリーの演説会ではすぐさま手荒に逮捕された。

you tubeにも彼の逮捕(彼はなにも警告もうけずに暴行されるように逮捕される、ちょうど中国の公安がやるのと同じだ)に顔色も変えずに、演説を続行する神経の太いヒラリーの様子が映っている。

Rayは部屋から手錠を食い込まされて血だらけになりながら連れ出されるが、"This is America" "Who are you?"と叫ぶ、おそらくヒラリーへ向けて。

中東の民衆の蜂起を受けて、ヒラリーがさも偉そうに演説しているときの話、この2月15日の火曜日のこと。

2011年2月24日木曜日

麗しき果実

 出光美術館、「転生する美の世界」と題された江戸琳派、酒井抱一、鈴木其一らの展覧会に行く。これは―酒井抱一生誕250年「琳派芸術」―の第二部の特別展で、酒井や鈴木の作品が第一部の時よりも多く展示されているということだけで、私は見に行ったのだが、ただ、ただ素晴らしかった。門外漢としてそれだけしか言えないのが残念なのだが、二時間ほど美術館で魂を奪われていた。抱一は言うまでもないが、私はその弟子の鈴木其一の秋草図屏風や藤花図などにも惹かれた。抱一の秋草図や燕子花図屏風の鮮烈さは圧倒的である。風神・雷神図もはじめて関心を持って視た。文化・芸術というものは発展などという概念とは無縁であって、いつでもその極点で輝いているものがそうで、とくに江戸美術の爛熟はもうそれ以上はありえないものだということを今回も思った。それに比べて…はなどという必要もない。
 乙川優三郎の新聞連載小説『麗しき果実』に出てくる実在の人物、原羊遊斎、酒井抱一、鈴木其一たちの実際の作品に出会えたわけだ。原羊遊斎の蒔絵もあった。抱一や其一の図案帖も。たしか乙川の作品ではヒロインの女性が蒔絵の世界で苦闘して行くというものだった、そこに原羊遊斎や酒井抱一の大物がいて、鈴木其一との淡いロマンスもあったような記憶がある。単行本になっているだろうから、暇があったら読み返してみたい。乙川の丁寧な文章にひかれて、新聞小説、まして歴史小説などを自分自身が毎日期待しながら読んだのも珍しいことだった。何かの縁だろう。
 妻と二人で、有楽町のガード下の居酒屋で飲んだ。私は金陵の熱燗二本。おでんなど。いい気持ちで東京駅始発の中央線に乗り帰宅す。

2011年2月20日日曜日

渺たる滄海の一粟

―「嗚呼噫嘻(ああああ)、我れ、これを知れり。疇昔の夜、飛鳴して我を過りし者は、子にあらずや」と。道士顧みて笑う。予も亦た驚き醒む。戸を開いて之れを視るに、其の処を見ず」―というのは、蘇東坡の「後赤壁賦」の最後の数句なり。赤壁の下の江流にて客と遊びし折り、大いなる孤鶴の舟を掠めて西に飛去せるあり。その夜、夢に一道士現れ、「予に揖して言いて曰く、『赤壁の遊楽しかりしか』と」。「予」は件の夢なる道士の姓名を問ひしも、うつむきて答へず、とあり。その後に、冒頭に掲げたる、「予」の「ああああ、あなたは昨晩私の舟を過ぎった鶴ではないですか」という感嘆の問いの発せらるる場面。

頃日、「蘇東坡詩選」(岩波文庫)を読み、その簡潔率直なる文意に甚だ打たれき。中国宋代の変転きわまりなき(怪奇なる)政治場裡にて、かくのごとき詩人政治家、まさに大いなる孤鶴のごとき博大なる人間のありしに驚嘆すとともに、若干の希望をも抱けり。

19日、息子夫婦とその岳父母と、我ら二人を入れ計六人(三家族)にて飲む。愉快なり。
20日、日曜のnhkの囲碁トーナメント。秋山次郎が趙治勲を中押しで破る。痛快なり。

2011年2月17日木曜日

いざ雪見、いざ行む

あっという間に、2月も終わりに近づきつつある。この間のことを少し書いておこう。

10日、白井明大、阿蘇 豊、木村和史と西国分寺の西国村という居酒屋で飲む。古くていい居酒屋なり。下戸の和史が、これまで付き合って一緒に行った居酒屋で一番感じがいいと言明した。阿蘇氏とは初対面だったが、その山形県人としての風格が、私の先輩の一人とそっくりだったので、すっかり打ち解けてしまった。白井君と和史はカメラの話で盛り上がったようだ。

12日、福間塾。「さかえ屋」、「奏」久しぶりに。

13日、中国の長春で教えている元同僚が休みで帰国している、彼を囲んで元同僚たちの集まりが八王子であった。それに出る。元同僚は66歳だが、その精悍な感じは昔と変わらない。今年一年はまた中国で教えるという。彼のいる間に訪問できたらなどと思った。

尾形 仂『蕪村の世界』(岩波・同時代ライブラリー)が、私の最近の枕頭の書である。

○いざ雪見容(かたちづくり)す蓑と笠
○雪の旦(あした)母屋のけぶりのめでたさよ
この二句の詳しい尾形先生の鑑賞は省くが、最後のまとめを引用しておこう。
「同じ雪の題によって、一方では都会の風流人の雪見にとおどける風狂の心に古人への思いを重ね、一方では深い根雪を友に一冬を送る雪国の生活者の雪に安堵し心勇む生活実感を詠出する。一人で大きく隔たった何人分もの生を生きる、蕪村の詩的連想の多様さには毎度ながら舌を巻かざるを得ない。」

2011年2月9日水曜日

Now is the winter of our discontent

昨日63回目の誕生日。ディラン・トマスの「10月の詩」のフレーズ、It was my thirtieth year to heaven
を真似てIt was my sixty-third year to heaven yseterday と言ってみようか。ディラン・トマスは1953年39歳の若さでアル中のために死んだ。30や39歳ならまだ天国と言えるかもしれない。63ではちょっと苦しいが、願望をこめて。

今朝、雪降る中を学校に行く。模擬試験の監督が終わると雪は止んでいた。昼前には帰る。妻は用事で外出。光が射し込み、気温も上がる。気持ちを奮い立たせて散歩に出かける。10㌔余り歩く。湯殿川の源流を探りたいのだが、それはまたの楽しみにとっておこう。館(たて)町の浄泉寺という曹洞宗のお寺まで歩いてみた。

帰途の城址公園で、いつものメタセコイアの木の枝にいつものカワセミがいるのを発見。池の上を優雅に旋回し、この世ならぬその背の緑を惜しげもなく見せてくれるのだが、私の技術とカメラでは撮影不能。ひたすら静止しているところしか写せないのが残念である。五時過ぎに帰宅。

沙翁の「リチャード三世」の有名な冒頭の台詞、

Now is the winter of our discontent
Make glorious summer by this sun of York.

(やっと不満の冬も去り、ヨーク家にも輝かしい夏の太陽が照りはじめた)
というのをなんとなく思い出した。季節は確かに変化している。不満も輝きも人間が付加するに過ぎない。

 
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2011年2月7日月曜日

Politics

イェイツの詩に、"Politics"というのがある。
以下に原詩と訳文(高松雄一「対訳 イェイツ詩集」岩波文庫)を引用する。

How can I, that girl standing there,
My attention fix
On Roman or on Russian
Or on Spanish politics?
Yet here's a travelled man that knows
What he talks about,
And there's a politician
That has read and thought,
And maybe what they say is true
Of war and war's alarms,
But O that I were young again
And held her in my arms!


あの娘がそこに立っているのに、
どうしてローマやロシアや、
スペインの政治などを
気にしていられる?
だがこちらには自分の意見をしっかりと
心得ている旅慣れたお方がいるし、
そっちには書物を読んでものを考える
政治家もおいでだ。たぶん、
戦争や戦争の危険について
この人たちが言うのは本当なのだろう。
だが、ああ、私はまた若返って
この腕に娘を抱くことができたらどんなにいいか!

1939年1月に発表された詩、ファシズム、スターリン、スペイン内戦、そして、この年の9月にはヒトラーのポーランド侵攻に始まる大戦が迫っている。この年の1月28日にイェイツは亡くなる。最晩年74歳のときの詩ということになるのだろう。

これは政治に対するあきらめなのか、絶望なのか、アイルランドの詩人としての独特の思いもあるのだろうか。そういうことを一切出さずに、わずか二つのセンテンス(訳は3つの文にしているけど)に一挙に、素早く、軽く願望を述べて終わる。とても読みやすく、朗読しやすく、生き生きとした詩だ。しかし、ここで言われている politician、イェイツが揶揄の対象とするpoliticianなどは死にたえて、今ここにはいない。大衆の人気をとることに長じた政治家は依然として健在だけど。そういうことから考えても、なんと品のいい詩だろう、これは。

2011年2月4日金曜日

RIP エドゥアール・グリッサン

中村君のブログ、OMEROS http://mangrovemanglier.blogspot.com/2011/02/blog-post.htmlで知ったのだが、エドゥアール・グリッサンが昨日亡くなったということだ。マルティニックの出身で、島やクレオールとしての存在の幅を深く大きく広げた作家、詩人だった。2009年のフランス海外県でのゼネストの際には旧宗主国フランスへの抵抗の精神的な支柱として、「島」の経済的な回復のみならず、詩的な回復を目指したゼネスト支援のマニフェスト(従来のマニフェストの概念を打破する、瞠目すべき詩的マニフェスト)「高度必需品宣言」の主要な書き手の一人でもあった。
New york timesのobituaryを調べたら、AP通信の以下の記事があった(だけ)。

PARIS (AP) — France's prime minister says celebrated Martinican poet Edouard Glissant has died. He was 83.
In a statement, Francois Fillon paid homage to Glissant's work, which "marked several generations of thinkers and writers far beyond" his native French Caribbean island. Le Monde newspaper said Glissant died Thursday in Paris.
Born in Sainte-Marie, Martinique, on Sept. 21, 1928, Glissant was among the generation of French Caribbean poets who came to prominence in the 1950s and included the late Aime Cesaire.
Glissant published more than 20 books, including collections of poetry and critical analyses.
A graduate of La Sorbonne university in Paris, he taught at both Louisiana State University and at the City University of New York.

2011年2月3日木曜日

独り歌へる

 昨晩、詩を書き上げて送る。いつも不出来。
「酒井抱一生誕250年 琳派芸術 ―光悦・宗達から江戸琳派―」をやっている
出光美術館へ行こうと思ったけど、秋川さんの書いたものや、美術館のホームページなどを見ているうちに考えが変わる。2月11日からの第二部の展示を見ることに決めて、百草園に出かけることにした。坂道を登りつめて、平日であまり人気のない園内に至る。かぐわしい「蝋梅」や、梅、早先の「あやめ」や水仙などを見て歩く。見晴台の「すだ椎」の巨木群に圧倒された。
 その後高幡不動駅まで歩いて、バスに乗り日野駅に出る。寿司を食べたくなって、日野駅から20分ほど歩いて(空気の悪い、幹線道路と工業団地の道路歩かなければならないが、それを我慢して)、「日野寿司」という昔から名前だけは知っていて、行ったことのなかった店に入る。魚介サラダというのを、まず頼んだ。その大きさに思わず「一人前ですか?」と念を押す。しかり。美味なり。次にヤリイカ煮、生たこ、などをつまみにして「会津ほまれ」の燗酒2合瓶で700円を頼む、癖無く喉こしよし。寿司ネタの大きさに驚く。妻と二人で一つの寿司を食べる(私は呑んでいるから)ことにしたが、これが大正解。最後に頼んだメバルの煮付けの美味しかったこと。久しぶりに、外食の満足感を得ることが出来た。

 百草園には牧水の次の三首の掲示と、ご長男の旅人さんの書による歌碑(若山牧水生誕百周年建立歌碑)がある。その歌碑の説明に云う。「明治四十一年春、恋人園田小枝子と共に百草園で楽しい一時を過ごし「小鳥よりさらに身かろくうつくしくかなしく春の木の間ゆく君」と恋人に対する親しみと憧れの心を詠み、翌年夏この歌を加えた歌集「独り歌える」を編纂し歌人としての名声を得ることになりました。ここに生誕百周年を迎えるにあたり、歌人若山旅人氏(牧水の長男)の選歌揮毫による歌碑を建立し記念するものであります。」これには昭和61年11月吉日というクロニクルが付されている。

山の雨しばしば軒の椎の樹にふり来てながき夜の灯かな

摘みてはすて摘みてはすてし野のはなの我等があとにとほく続きぬ

拾ひつるうす赤らみし梅の実に木の間ゆきつつ歯をあてにけり
                 
(旅人書による歌碑の一首を改めて書く。旅人さんには個人的な思い出がある。いつか書いてみたい。)
小鳥よりさらに身かろくうつくしくかなしく春の木の間ゆく君



すだ椎はスカイツリーを睥睨す
蝋梅の黄なる色香をめで歩く  
牧水の一人歌へる百草苑    ― 蕃 ―

 
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