2012年4月27日金曜日

入りなさい(come in 私訳)

Come In   (Robert Frost)

As I came to the edge of the woods, 
Thrush music -- hark! 
Now if it was dusk outside, 
Inside it was dark. 

Too dark in the woods for a bird 
By sleight of wing 
To better its perch for the night, 
Though it still could sing. 

The last of the light of the sun 
That had died in the west 
Still lived for one song more 
In a thrush's breast. 

Far in the pillared dark 
Thrush music went -- 
Almost like a call to come in 
To the dark and lament. 

But no, I was out for stars; 
I would not come in. 
I meant not even if asked; 
And I hadn't been.

森の端まで来ると
ツグミの音楽―聴け!
今、ここ森の外が夕闇なら、
内部は暗闇だ。

森の中は暗すぎて鳥でさえ
うまく羽ばたいても
心地よいねぐらは見つからない、
まだ歌うことだけはできる。

太陽の光の最後の一筋は
西の方に消えて行ったが
もう一つの歌のために
光りはツグミの胸のなかに生きている。

樹々の柱のはるかな暗闇に
ツグミの音楽は響いてゆく―
入りなさい、という呼びかけのように
闇へと、そして嘆き悲しめというように。

いや私は入らない、ここで星を眺めていよう
私は入らない。
たとえ頼まれたとしてもお断りだ、
頼まれたことも今までなかったけど。

2012年4月6日金曜日

僧侶になる

今朝の朝日新聞、知花昌一さんが、大谷派の僧侶になったという記事があった。写真も添えられていた。1987年の沖縄国体で読谷村(知花さんの村だ)のソフトボール会場に掲げられた「日の丸」を引きずり下ろし焼いた人だ。ノーマ・フィールド「天皇の逝く国で」にはノーマによる彫りの深い知花さんのルポルタージュ― a supermarket owner―がある。これを読んで知花さんの行動の必然とその人となりを知り、普通の人による内在的なconformism批判の行動の重要性というのを学んだ。もちろん沖縄、読谷における「集団自決」の出来事などが知花さんに戦前、戦争時の軍国主義日本とそのシンボルとしての'rising sun'に対する憎悪の念を抱かせたには違いないが、そのような憎悪の気持ちと一人の普通の人間として日常の行動の中で思想として組み立て、訴えていくこととはまた別のことだとも思う。その困難な道を知花さんは妥協することなく歩んできて、今は僧侶になったということだろう。かつての過激な「反戦地主」と今はどうつながっているのだろうか。「沖縄を戦争のためにもう使わせない。仏教は平和と平等を願うもの。その精神を基地問題にも貫いてゆきたい。」と語っている。知花さんならやれるし、やるだろう、と思う。

2012年4月1日日曜日

少年たち

二本松と会津に行ってきました。風景と人と酒と湯。沈黙のなかに深い思いを抱かせる場所でした。二本松では智恵子と光太郎の文学を越えた生のつながり、それと岳温泉のしんしんとした寂しさを感じました。二本松の霞ヶ城公園の頂にあるのが光太郎書の碑「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」。そこから初めて見る白雪を戴いた実際の阿多多羅山の美しさ。郡山から磐越西線で会津若松に向かってゆくときに車窓から見た磐梯山の雄姿も忘れがたい思い出になりました。会津では、飯盛山はとくに霊的なものを感じさせました。猥雑さも混じっているのですが、白虎隊自刃の記憶がすべてを覆っている、そこから産まれる寒々としたものに圧倒されました。二本松でも戊辰戦争で戦った少年隊の記憶が共有されていました。歴史の変わり目において変革の前衛というのではなく、その前衛たちの犠牲になったのが16、17歳の少年たちだったということを考えるとやりきれない気持ちになります。「佐幕派」として切り捨てられてゆく「寂しさ」、それだからこそ大勢にのみ込まれまいとする「矜持」、この二つのメンタリティが現代の福島の空間にも漂っているように思いました。近代の入り口での犠牲、高度成長の終焉の果ての原発事故による犠牲、もちろん、これら二つに限定して福島を考えることはできないでしょうが、日本歴史の変換のメルクマールとなる事件に集約的に身を曝している場所のような気がしました。

ブレヒトの『少年十字軍 1939』という詩を、白虎隊や二本松の少年隊と重ね合わせて思い出しました。1939年の戦火のポーランドを逃れ、平和の国目指して彷徨い、力尽きて死ぬ55人の少年(少女)たちの話です。飯盛山で自刃した白虎隊19名の「原理主義者」たちのように見える少年たちと、ブレヒトの描くヒッピーたちのように自由なコミューンを形成しているかに見える少年たち、その二つのタイプの少年たちに優劣の差があるのでしょうか。一方は過去(事実として)へ、一方は未来(創作として)へと意味づけられているのですが、両者とも挫折するのです。この二つの少年たちの在り方に思いを馳せることのできる想像力。それが今必要とされているのではないでしょうか。


ぼくには見えてくる、さまようかれら、
浮ぶ、眼をとじればまぶたの裏へ。
かれらはさまよう、けしとんだ農家の跡から
けしとんだ農家の跡へ。
空の上、雲のかげにも、ぼくには見えてくる
べつの、あらたな列また列が、はてもなく!
寒風にさからい、ようやっと足をひきずる
ふるさともなく行くさきもなく。
探してるのは平和な土地、
雷鳴もなく猛火もない
かれらが棄ててきたのとちがう土地。
列は大きくなる、しだいしだい……         
(ブレヒト「少年十字軍」より。野村修訳)