2011年5月18日水曜日

五月の「誤読」-倉田良成『小倉風体抄』の読みについて

―「誤読」のないことろに「文学」はない。「詩」はない。(詩はどこにあるか・谷内修三の読書日記)―と谷内修三は倉田良成の『小倉風体抄』の感想文を結ぶ。書いている当人が推奨する「誤読」を実践して行けば、こういう感想にしかならないという代物に陥ってしまってはいないか。「誤読」以前の誤解や、丁寧な読み(ここに収録されている谷内の膨大な詩集評のなかには、丁寧で深切なものも一杯ある)に欠けた断言が多すぎるというのが私の谷内評を読んでの感想である。

―倉田のこの詩集は「百人一首」と向き合わせる形で作品が書かれているが、何も向き合っていない。ことばが向き合っていない。倉田のことばが百人一首のことばを批評していない。「誤読」してない。
 たとえば「めぐり逢ひて」。紫式部の「めぐり逢ひて見しやそれとも分ぬまに雲がくれにし夜半の月影」を題材にしている。その内容は、恋愛とは無関係のことである。
 昔の友だちと久々に会った。(めぐり会った、という題材が使われている。)その友だちは、実は病院に入院するために「わたし」の街にやってきて、そこで「わたし」と会っただけなのだ。―

という谷内の批評から、彼の読みの「誤解」(「誤読」以前の)を指摘してみよう。①「百人一首」と向き合わせる形で書かれているが、何も向き合っていない。ことばが向き合っていない、これはどういうことだろうか?②「百人一首」のことばを批評してない、「誤読」してないとはどういうことだろうか?これについて谷内は―「文学とは、特に文学を題材とした文学とは「誤読」でなくてはならない。…あることば--それを強引にねじ曲げ、原典のことばではたどりつけないところへ行かなければならない。そして、そこには「祈り」が入っていないといけない。倉田の作品には、そういう「誤読」がない。ただ、百人一首と重ならないだけなのだ。これでは、なぜ百人一首を題材に選んだのか、さっぱりわからない。」―と理由らしきことを述べているが、これは単に評者の「文学観」めいたものの披瀝にすぎない、従ってこの当為めいたもの言いが倉田の詩集を批評しているということにはならない。①に戻って、そもそもこの詩集は「百人一首」と向き合っているのではなく、百人一首中の35首の歌をエピグラフに配した35篇の散文詩の集まりである、というのが正しい。そこから読解は始まるべきだ。「百人一首」というようなものはない、それぞれの「歌」があるだけだ。倉田は別に彼が私淑する安東次男の「百首通見」をもくろんだのではない。彼がことさら「誤読」するまでもなく、その肉体にまで染みこんだこれらの35歌をいかに縦横無尽に、彼の「青春」の「体験」などと向かい合わせているか、その飛躍の妙に私は引きつけられる。

たとえば、ここで谷内が引用している紫式部の「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かげ」をエピグラフにした「めぐり逢ひて」という作品について考えてみよう。谷内は倉田のこれらの作品が「ストーリーに従事しているから」面白くないという。もう少し遠回りして、谷内の「ストーリー」観をながめてみよう。


ストーリーといっても「現代詩訳」ではないから、そのストーリーは百人一首のストーリーではない。むしろ、倉田は元歌のストーリーからは離れてみせる。つまり、まったく(違うという意味だろうが、ママ・水島註)ストーリーをぶつけ、百人一首から離れる。百人一首から離れるために、百人一首が書いていないストーリーをぶつける。
 そこに、なんともいえない「退屈」が入り込んでくる。
 ストーリーから離れるのに、別のストーリーに頼る--というのでは、詩は生まれない。いや、どんな文学も生まれないのではないか。―

これは無体な批評というものだ。彼は「百人一首」の「現代詩訳」が欲しいのだろうか?そんなもの私は読みたくもない。「元歌のストーリー」とは何か? 「歌」にどういう「ストーリー」があるというのか?「歌」と「ストーリー」は截然と異なるものではないか。その歌の成立事情などを書いた「詞書」ということなのだろうか。ここでこの詩の批評に戻ろう。谷内は次のように書く。前の引用とダブルところもあるが、

― 紫式部の「めぐり逢ひて見しやそれとも分ぬまに雲がくれにし夜半の月影」を題材にしている。その内容は、恋愛とは無関係のことである。
 昔の友だちと久々に会った。(めぐり会った、という題材が使われている。)その友だちは、実は病院に入院するために「わたし」の街にやってきて、そこで「わたし」と会っただけなのだ。その最後の部分。


入院なら毎日おみまいにゆくよと言ったら、来ないでほしいからこうして会いに来た。お願い、そこに来るなんてことかんがえないで。もうあたし、誰にも会うことのないところへ行くの。とささやいたあの夜の声を、わたしはけっして忘れない。


 「雲隠れ」は「死」に置き換えられている。「雲隠れ」の「隠れる」は「死」をさすことばとしても使われることがあるから、ここにはどんな「批評」もない。どんな批評もせずに、「隠れる」を借りてきて、「死」と言い換えているにすぎない。
 これだけのことを書くなら、紫式部の歌を作品の冒頭に掲げることなど、必要ないだろう。だれも、この倉田の作品を読んで、これは紫式部の歌と関係があるとは思わないだろう。だれも何も思わなかったら、それは紫式部の歌を利用して新しい作品を書いたということにはならないのだ。
 文学を材料にして文学を生み出すには、原典と強い関係がなくてはならない。
 強いつながりがあって、そのつながりが強いからこそ、そのことばを振り切るようにして新しいことばが、新しい運動をしなければならない。―

谷内の誤読ではない誤解をいくつか指摘してみよう。「その内容は恋愛とは無関係のことである」というのは、式部のこの切ない「友情」の歌が「恋愛」と「誤読」されていないということへの不満から来る言及か。可笑しいと思うのは、その次の「雲隠れ」云々のところ。どうでもいいことだが、「雲隠れ」は「死に置き換えられている」とは何を言いたいのか?そして「隠れる」は「死」をさすことばだからどんな「批評」もない、とは?。まったく見当ちがいの「誤読」としか言いようがない。語のレベルでの批評の対応が「原典」とそれによった「作品」との間で求められているということなのか。(誤解のないように言っておけば、式部の歌での「雲隠れ」は立ち去った、消えたという意味だ。それが貴人の死を意味することもある。倉田はそんなことは先刻承知のことだ。)

「これだけのことを書くなら、紫式部の歌を作品の冒頭に掲げることなど、必要ないだろう。だれも、この倉田の作品を読んで、これは紫式部の歌と関係があるとは思わないだろう。だれも何も思わなかったら、それは紫式部の歌を利用して新しい作品を書いたということにはならないのだ。」

どうしてこういうもの言いが成立するのか、ほとほと首をかしげざるを得ない。これは言いがかりであって、谷内自身の論理で言えば、むしろ「だれも…思わない」というところにこそ、彼の推奨する「誤読」のラディカルさはあるのではないかとも思うほどだ。私は次のように思う。これは谷内の言うような事態ではない、つまり文学の「原典」などというカノンがあり、それに対して抵抗しなければ「文学」ではないなどという範疇の問題ではない。そういう「体勢」に無意識かもしれないが読みを導いてはならないと私は思う。
式部の歌と「ストーリー」としての散文は相互に照らし合っている。倉田の言葉を使えば彼の詩と「歌」の―秘かに符合する「切所」― 、それを読者としても発見する歓び、その歓びを、切ない「現代」の「青春」の「回想」の数々に古歌の「風体」を合わせることから生み出そうとした、そこにこの詩集の新しさがある。古歌に引きずられてではなく、古歌の新しい「風体」を今ここで私たちは倉田の「ストーリー」と一緒に発見するのである。

2 件のコメント:

平川 優 さんのコメント...

谷内という人はこんなことを書いていますね。
「私は、その全部を読んだわけではないのだが、おもしろくなかった。読みとばしたページにおもしろい詩があるかもしれないが、全部読み通す気力がわかなかった。」
全部を読まずによく批評なんかしますね。「全部読み通す気力ががわかなかった」のではなく、実際のところは読み通す能力がなかったのではないでしょうか。
倉田さん表出力はたいしたものです。

ban さんのコメント...

平川先生、

コメントありがとうございます。