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2010年11月28日日曜日

Home Word

Home Word

TAIYO NAというニューヨーク在住の若い日系アメリカ人グループのヒップホップのCD "HOME:WORD" を聴いている。金曜日、千石氏の授業の特別ゲストとしてTAIYO(太陽)君と、弟の大地君が招かれていて、実際に彼らの話を聞いた。ニューヨークにおけるとくに日系の若いミュージシャンの置かれている差別的な状況など、そういうなかでヒップホップにこめるプロテストの意味など、はじめてで心に残る話だった。日本のいとこの結婚式のために来たということ、千石さんとは、彼の知り合いの中里さんというニューヨーク在住の画家(千石さんの話によれば、この夏、町田市立国際版画美術館で中里さんの展覧会があって、そのオープニングに中里さんは来日し、そして帰米するが、自宅で不慮の事故に遭い急死したという。)を介しての古い付き合いだということだった。千石さんが学生(大学院の授業だが)たちのために自分の授業に招待したわけだ。日本語も上手で、いとこの要望でその結婚式ではじめて歌ったという日本語の歌(「魔女の宅急便」のテーマソング?)をギターを弾きながら生で披露してくれた。これもすばらしかった。気持ちのいい若者たちだった。ニューヨークに来たら連絡してくださいとも言われた。

Asian Americanとしてのアイデンティティの問題、それが主なテーマのようだ。Bob DylanはNo Direction Homeと帰属を否定できるわけだが、彼らのように始終いろんな場面で、どこら来たのか?どこなのか?と問われ続けざるをえない場合、Homeを真っ正面から問題にせざるをえないし、そこから「歌」が生まれてきて、その歌はなにかとても切ない。
タイトルのHome WordはこれとHomeward(家の方へ)のpunになっている。

You tube にある彼らの代表的なアルバムを以下に紹介しておこう。








2010年9月13日月曜日

Walk Don't Run

山の上から帰ったのが、4時前。今日は、三時間の授業がある日。三年生は昨年の入試問題、ロラン・バルトなどを援用した記号分析の文章で、同志社の問題。表象や記号等という言葉の解説などをやらかす。二時間目は、「こころ」二年生。三時間目は王朝の和歌、二年生の古文。頭はくるくる回るが、なんとか昏倒しないで授業を終えた。
 
 終えて職員室に戻ったらA先生から素晴らしいプレゼント。この夏山形に行ったということで、「錦爛DEWA33 秋あがり 秋季限定品」という純米吟醸の720ml壜を頂戴する。しかも保冷してあるので喫驚した。

 4時20分から妻と歩く、その後いつものように(最近はそうしている)一人でスコシ走る。最後に城趾の池の前で合流する。歩く前に、いつも発泡酒を二缶冷蔵庫に冷やして、その幻影をにんじんのように幻視しながら歩いているわけだが、今日は一缶だけ入れて、プラスA先生から頂戴したお酒の壜を入れた。なんか心が非常に豊かになったような気がし、王侯貴族のような気分で鷹揚に歩いた。今その酒を味わう、その美味なること、老いらくの来むといふなる道、まさに、まがふがに、である。いやこうして老いるのだ、確かに、その美味に溺れて。

 今、Chet Atkinsの "Walk Don't Run'が鳴っているぞ。youtubeから彼を拾って再生リストに入れて最近聴いている。ベンチャーズの"Walk Don't Run'もいいけど。ああ、団塊だなあ。
 

2010年9月12日日曜日

Vincent

久しぶりに聴いて、やっぱりいいと思うDon Mcleanの古い歌。



これを名手Chet Atkinsが弾けば、

2010年5月22日土曜日

途上

今朝の朝日の連載もの、「うたの旅人」は森田童子の「ぼくたちの失敗」だった。一読して、森田の歌を聴きたくなったので、youtubeで探す。そこにあるほとんど全てを聴き、「再生リスト」に入れておく。これで午前中の時間のすべてを費やすが、後悔しない。それほど素晴らしかった。全部おなじ曲のように聞こえるが、泣きたくなるほど詩(詞)がぼくの記憶のどこかをくすぐるように突く。忘れたと思っている記憶が蘇生する、たまらくなるというような経験。たぶん同時代人だが、同時に聞いてきたという経験が私にはない。逆にそれだから今の地点で鮮やかに響くのだろう。彼女は現在は活動を停止しているということだ、停止というより止めたということの方が正確かも。その歌のすべては、メジャーな市場で売れる(売れたこともある)よりも、そんなものに関係なく、ひたすら亡滅に向かって走って行く、その旅の途上のスケッチである。











2009年5月4日月曜日

五月の貴公子

五月の貴公子            萩原朔太郎

若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でをどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
私は五月の貴公子である。


忌野清志郎が死んだ。58歳。
なぜか朔太郎の上記の詩が思い浮かんだ。忌野清志郎のイメージとどこがどうつながっているか、この詩を想起した私にもよく説明できないが、彼は永遠の貴公子であろう。
追善の気持で掲げておく。





好きなバラードも、


絶唱、

2008年6月10日火曜日

歌を歌う

 今日は、吉田正の命日ということで、nhkの歌謡番組を、97歳の義父と一緒に見る。昭和23年の「異国の丘」に終わる、吉田の歌のメドレー。驚いたのは、80歳過ぎの、三浦光一がまだ生きていて、歌ったことだ。もう、何を彼が歌ったかは忘れてしまった。鶴田浩二の映像もあり、彼が歌う「街のサンドイッチマン」なども聞いた。とても官能的な歌いぶりで、人間もそうである。途中から見たのだが、女房が、ジェロという若者も歌い、キーが合わないようだったが、それをまとめきった歌いかたは、さすがだったというようなことを言った。あとで、ジェロが自分の「海雪」を熱唱するのを聞いた。この歌は、秋元康の作詞だが、この詞はよくない。ただ、直観的にそう感じた。あと、橋幸夫とか三田明、八代など。耄碌が進んだ義父に、一緒に歌おうよと言いながら、最後の「異国の丘」を女房も入れて三名で歌う。老猫がびっくりしていた。一生懸命、回らぬ口を動かして義父も歌ったようだ。

 戦後歌謡史のなかで吉田正の曲はどう位置づけられているのだろうか。ド演歌でもない、またポップスでもないその中間を描き続けてきた人というのが、私の感想である。いわば、「健全なる中間層の健全なる歌」。その幅広さも、そういう中間層(戦後民主主義の担い手たち)の存在があってこそ、だったのだろう。この国の最近の政治は、その中間層をぶち壊しに壊してきた。

 白いハンカチでマイクを清めつつ、小指を立てながら歌う鶴田は特攻隊に連綿とした未練の思いがあったにせよ、吉田正の歌を歌うときが一番幸福だったのではないだろうか。

2008年3月6日木曜日

歌曲

―卒業式の夜の会では、ゆっくり「おめでとう」を言えないまま、先生の幸せそうないい笑顔を眺めていました。ごめんなさい。
ほかの方々から、そしてこのブログで、先生の好いエピソードたくさん聴かせて、読ませてもらいました。
先生のすべての言葉、すべての振る舞い、すべての表情、全人格を生徒たちは受けとめましたね。教師冥利に尽きる、とはこのことではないでしょうか?
私も見習いたいです。明日ゆっくりお話したいです。

吉田秀和の新著、書評欄で見て読みたくなっています。先を越されました。今週、朝日夕刊に連日インタヴュー記事が出ていますね。読んでおられますか?
昨夜「歌わせたい男たち」紀伊國屋ホールで観てきました。(姜尚中氏が客席にいましたよ)
別の世界にいる人なら「馬鹿な!」と大笑いできるところでしょうが、私にはとても笑えなかった。泣けました。すべてが、あまりにも現実だったから。
うちはいよいよ来週です。では。―

komachitoさんから、上記のコメントを頂戴した。前半部は、ほめすぎ、こちらとしては忸怩たる思いもするが、でもうれしい言葉でした。もうこれで、なんの未練もなく、都立をやめることができます。というのも大げさだが。ほんとうにkomachitoさん、ありがとう。もう少し頑張る元気が湧いてきました。

吉田秀和の新しい本。詩と、それを曲にした「歌曲」の、これは、すべてを味わいつくした人の、それでも感動を忘れない鮮やかで豊かな鑑賞(批評というより)。そこから落ちてくる甘い果汁のようなすばらしい文章を一滴一滴味わいながら読む本である! 楽譜の分析もあるから、楽典などに興味のある人は何倍も楽しめる本である。
雑誌「すばる」に連載中のもの。この本で扱われている詩人たち、その曲。

○ヴェルレーヌ「月の光り」 フォーレが作曲しているもの。

○リヒァルト・シュトラウス作曲「夕暮をゆく夢」 詩はオットー・ビーアバウムのもの。これを述べたこの章のタイトルは「薄暮の夢」とあり、―Bに―という献辞がある。これは吉田秀和の、亡くなった奥さんバルバラさんのことだろう。この献辞がある章が「歌遥か」―もう一度Bに―とある。しかし、最初のページ明記されているように、この本全体が―Bに―ささげられているのであった。

○リヒァルト・シュトラウス作曲「四つの最後の歌」 詩はヘッセ3つと、アイヒェンドルフ(19世紀ドイツ・ロマン派の大詩人という吉田の説明がある)のものが一つ。これはシュトラウス「その人が死ぬ前年に書き上げた文字通り最後の四つの歌」。
ぼくは、これを聴いてみたいと思った。

○メーリケの詩にフーゴー・ヴォルフが曲をつけた「メーリケ歌曲集」など、これへの言及が多い。メーリケは、小説「旅の日のモーツァルト」で日本でも知られた人。

あとは省略して、読者それぞれが、それぞれの好きな詩と歌曲に酔えばいい。この本は、音痴の私でも、曲が、歌が聞こえてくるような本です。吉田秀和は、あとがきに、このあとがきがまたすばらしいのだが、ハイネの言葉をめぐって、「歌曲」の真髄を言い当てている。
ハイネは、
Le lied est le Coeur qui chanteと言ったらしい。「歌曲とは歌う心である」。これをドイツ語訳したものがあり、それはEs ist das Herz, das Lieder singt. それを吉田秀和は「歌曲を歌うのは心である」と日本語で直訳する。そこから、最後に筆者自身の考え、「歌曲とは心の歌にほかならない」というふうに自分はハイネを訳すという。

つまり、「歌曲とは歌う心である」から「歌曲を歌うのは心である」に移り、そして「歌曲とは心の歌にほかならない」という具合にハイネを深化させる。
―歌曲について書いた小文を集めたこの本が、幾分なりと、そういう成り行きに通じるものになっていたら、どんなにうれしいことだろう。― というのが著者のこの本のモチーフである。これは見事というしかないが、浅学のわたしにも、まさに、その「成り行き」の奥深さが感じられてならないというのが読後感である。

ここであげられた歌曲のCDがないか、探したがなかった。でも、ブラームスの歌曲の悠揚せまらざる素晴らしさを述べた章「雲の歌と夜の露の歌」を読み、これがまた、この雲を愛する吉田秀和という人のたたずまいと重なるすばらしい文章なのだが、そこで述べられた歌曲「野辺にひとり」の曲の分析の途中で、ブラームスの特徴を指摘した部分、そこに出てくるヴァイオリンソナタがあったので、それを今から聴こうと思う。でも、その前に、筆者の文章を味わおう。

― 略(「野辺に一人」の曲のアナリーゼ・筆者自筆の楽譜つき) 充足した安定感の響きで出発し、ごく短い乱れのあと、また取り返された確信と平安の思い。これはこの詩全体の構造であると同時にブラームスの音楽の真髄であり、核心であった。私たちはこの歌曲の最初の動きを耳にしただけで、すぐ「ああ、ブラームスだ」と思い当たる。
 この歌曲は彼の作品の多くで実にしばしば出会う一つのパターンの典型的な例で、しかも、その多くが類型的作品に終わらず、むしろ、この巨匠の選りぬきの名作になっているのである。たとえば、ヴァイオリン・ソナタ第一番、ト長調。あの曲の最初のフレーズをきいて、「ブラームス!」と心の中で叫ばない人はいないだろう。―

さあ、これから聴いてみよう。