五月の貴公子 萩原朔太郎
若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でをどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
私は五月の貴公子である。
忌野清志郎が死んだ。58歳。
なぜか朔太郎の上記の詩が思い浮かんだ。忌野清志郎のイメージとどこがどうつながっているか、この詩を想起した私にもよく説明できないが、彼は永遠の貴公子であろう。
追善の気持で掲げておく。
好きなバラードも、
絶唱、
2 件のコメント:
高校から社会人初期くらいの頃に、RCに熱中していました。バンドでもコピーしたりして。
ものの考え方や表現に向かう態度、言葉と音楽への嗜好など、圧倒的な影響を受けていたことに、今更ながらに気付かされます。僕と仲間にとっては、「先生」だったのだと思います。昨日は当時の仲間から告別式の様子をメールで知らされて、少し泣きました。
一昨日は京大の座り込みテントの中で、深夜まで6時間くらいRCの映像を見ていました。若い頃のシャープな色気は、今見ると恐ろしいほどのものでした。後年の微笑ましさとは別の、鮮やかなものがそこにはありました。
五韻さん、
ありがとう。
座り込みテントとは、京大、講師の就業問題?に対する支援の、ですか。
いろんことにうとくなっています。
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