…
…
どのみち世界で
厳粛な破壊の儀式が始まったら
押潰されたヒューマニズムの声など役に立たぬ
だがみよ ヒットラーは死んだんだ
ムッソリーニも死んだ
スターリンも死んだ
毛沢東も死んだ
なのに この世はさっぱりよくならない
はてさて 七十年代も終わりですか
あとに残っているのは小者ばかりだから
世界はやがて筋萎縮性の痙攣を起こし
まもなく頓死するだろう
(後略)
と鮎川信夫は「独白(1979年年十二月某夜)」という詩に書いている。これを読んで考えるのは、この世界はなかなか「頓死」などということをしないし、むしろ「死んだ」とか「頓死」とかいうことが死んだし、頓死するしかないような道を、われわれは最後まで歩いて行くことしかないのだろうということだ。最後のない最後へ、でも毅然として背筋を伸ばして歩くということは、そう簡単なことではないだろうが。
今日の「歩く」、8㌔。6時はもうすでに暗く、先ごろまでの感覚とは違う。背中が痛んでいたが、今日はゆっくり歩く、すこし痛みがやわらぐ。ハードすぎたのだ。
奄美で大雨。父に電話したら、徳之島でも大変な大雨で、海沿いの本川があふれていて、山のほうに迂回させられて、やっと亀津から喜念に帰ることができたということだ。母は風邪ぎみ、だった。
2 件のコメント:
ちょうど次回のエッセイで、”生死”と言う事を一人の作家(I get to pick)が、その数ある小説を通して、どのように表現してきたか。その観点は作家のキャリアーの中で変化してきたのか?というリサーチペーパーを書く事になっており、頭をかいているところです。3000 words! wow!
その作家によると思うけど、なんて名前?
書くことの勉強だと思って、いい英文を書くことに集中して頑張ってください。
絶対、無駄にはならない。
コメントを投稿