賀茂へまゐる道に、「田植う」とて、女の、新しき折敷のやうなるものを笠に着て、いと多う立ちて、歌を唄ふ。折れ伏すやうに、また何ごとするとも見えで、うしろざまにゆく。「いかなるにかあらむ。をかし」と見ゆるほどに、郭公をいとなめう唄ふを聞くにぞ心憂き。「郭公、おれ、かやつよ。おれ鳴きてこそ、我は田植うれ」と唄ふを聞くも、いかなる人か、「いたくな鳴きそ」とは言ひけむ。仲忠が童生ひ言ひおとす人と、「郭公、鶯に劣る」と言ふ人こそ、いとつらう憎けれ。 (二一〇段)
八月晦、「太秦に詣づ」とて見れば、穂に出でたる田を、人いと多く見騒ぐは、稲刈るなりけり。「早苗取りしかいつのまに」、まことに先つ頃、「賀茂へ詣づ」とて見しが、あはれにもなりにけるかな。これは男どもの、いと赤き稲の、本ぞ青きを持たりて刈る。何にかあらむして、本を切るさまぞ、やすげに、せまほしげに見ゆるや。いかでさすらむ。穂をうち敷きて、並みをるもをかし。廬のさまなど。 (二一一段)
朝、そして午後、自宅に居るときに、よく郭公の鳴くのを聞く。同じ郭公だと、私は鳴き声で見当をつけているのだが、その姿を見たことはない。清少納言も郭公が好きだったということが「枕草子」でよくわかる。また、この郭公が農事、田植えと密接な縁を持っていたこともわかる。平安女房は田植えの早乙女たちの作業をよくしらないというふうに書いているが、そんなことはあるまい。清少納言の面白いのは、田植えの女性たちが、郭公に向かって「おまえが鳴くから私は田植えをしなければならないのだ」という唄、労働歌だろう、それをちゃんと採集しているところだ。それを郭公好きの自分としては郭公を悪くいうようで嫌いだと書いている。鶯よりも好きだったのだ。田植えから稲刈りまで、彼女はきちっと観ていたのだ、知っていたのだ。「あはれにもなりにけるかな」という感慨は身にしみるものだ。彼女を「をかし」などとは誰言ひけむ。
6月25日、真柄希里穂さんがコーディネイトしている研究会に出た。空閑(くが)睦子さんの博士論文の発表会。その論文のタイトルは「変化する価値観におけるコミュニティ創生の研究 ―グローカルな次元でみんながつながる、ウエルビーイングを求めてのコミュニケーション・コミュニティの発想―」。空閑睦子さんは「実践:田舎の探し方」(ダイヤモンド社)をはじめ、いわゆる田舎探しの本などを書いている。震災後ということもあって、コミュティの問題はこれからいっそう切実な問題として考えなければならなくなるだろう。とても刺激的で参考になる発表だった。彼女はこれで博士号を取得したということだった。その助言者(スーパーバイザー)として、中山和久さんという民俗(族)学、社会学の先生が来られていた。発表の後のまとめや、その後の懇談会での話が印象的だった。ぼくよりもちろんお若いが、今のテーマは「巡礼」ということ。お遍路の話などを聴いた。「日本における巡礼景観の構成原理」というお勤めの大学の紀要に書かれた論文の別刷を頂戴した。夏休みの読書の一冊として、楽しみにしている。真柄さんは日本福祉教育専門学校、精神保健福祉養成学科の教員であり、阪大の院生でもある。そして高校のときの私の教え子でもある。
2011年6月29日水曜日
2011年6月20日月曜日
親友交歓
昨晩(6月19日)はフランスから一時帰国している中村夫妻と三軒はしごする。まず待ち合わせ場所の吉祥寺公園寄り伊勢屋で三時間近く飲み、それから西荻に移動し、教え子の「ソーヤー・カフェ」でラム酒。その後西荻で見つけた「新保」という飲み屋にゆく。そこで奇遇とも言うべき出会いあり。それは中村夫妻の知人だった。店が満員だったので、僕たちは隠れ部屋というか、屋根裏部屋のような所に通され、そこに「みやこうせい」という知る人ぞ知る(いや有名な人なのだが、ぼくは始めて知った)写真家でエッセイストの人がいたのである。みやさんと、その友だちの浅沼さん。みやさんはぼくより十歳ぐらい上だが、そうは見えない、若々しさに溢れたひとだった。ご両人とも岩手出身の人。菜穂さんもそうだ。盛岡。楽しい日だった。中村君、菜穂さん、ありがとう。
中村君は西荻の音羽館を知っていた。彼が本を買いたいというので、一緒に行く。店主のHさんとも久しぶりに会う。そこにあった「現代思想」06年・2月臨時増刊「フランス暴動」を中村君はあがない、ぼくに贈ってくれた。彼が訳したグリッサンとシャモワゾーの「遠くから」がある。ぼくは中村君に奨められてグリッサンの「関係の詩学」を買う。昔の高校時代の教え子の刺激的な話を聴きながら、彼、中村隆之が単著でグリッサン論を刊行する日も遠くはないなと思った。
今日、山の上の学校で、生徒たちに話す。ぼくの教え子はね、自慢できるすばらしい人間ばかりなんだ。だから、きみたちも必ずそうなるよ、自信を持ちなさいね。
中村君は西荻の音羽館を知っていた。彼が本を買いたいというので、一緒に行く。店主のHさんとも久しぶりに会う。そこにあった「現代思想」06年・2月臨時増刊「フランス暴動」を中村君はあがない、ぼくに贈ってくれた。彼が訳したグリッサンとシャモワゾーの「遠くから」がある。ぼくは中村君に奨められてグリッサンの「関係の詩学」を買う。昔の高校時代の教え子の刺激的な話を聴きながら、彼、中村隆之が単著でグリッサン論を刊行する日も遠くはないなと思った。
今日、山の上の学校で、生徒たちに話す。ぼくの教え子はね、自慢できるすばらしい人間ばかりなんだ。だから、きみたちも必ずそうなるよ、自信を持ちなさいね。
2011年4月25日月曜日
In memory of our cat called"Atom."
In memory of our cat called"Atom."
Some two inches from my nose
The frontier of our family lies motionless
Breathless, once that blows you like blazes.
Yet he beckons you to fondle himself,
Beware of rudely crossing it:
He has no gun, but he can scratch on your heart.
(note)
Atom is dead today. He was 21 years old.
There are some quotations in this poem. But I don't specify it.
2011年4月24日日曜日
Climb Every Mountain
16日、娘夫婦を心配して、こんな苦難の時に来日してくれたDonとDoloresを囲んでささやかなパーティを我が家で開く。二人は21日にテキサスに帰る。

21日、国立市公民館の古典講座「源氏物語の世界」(各月1回で全5回シリーズ)始まる。30名余りの受講者。終わった後、呼び止められる。非常勤で行っている高校の卒業生で、今上智大独文の3年生だというKさん。市の広報で見て(木曜日は大学の講義のない日だったし、先生の名前を見て懐かしかったから)受講者として申し込んだら当選したという。
びっくりしつつもうれしかった。この講座の前に、「奥の細道」を2年がかりで読みあげたが、そのときの受講者の男性陣も5名ほどいたので心強い。
23日、大佑(東高の卒業生)の結婚式。長駆、那須塩原まで、と書きたいのだが、新幹線で1時間余り、八王子から乗り換えなどを含めて3時間足らずで到着した。沛然たる雨。
塩原駅に待機していた送迎用のバスに40分ほど乗り那須高原のセント・ミッシエル教会という式場に着く。主イエスの前での結婚式である。そのあと披露宴は、降り止まぬ雨の中会場のミッシエルガーデンコートというイギリスのマナーハウスを模した館へバスで15分ほどの移動。雨のために視界は全然きかない。披露宴での大佑の挨拶に「下野の国、一宮の二荒山神社の龍神を招いたような雨で…」といような即妙の言葉があった。荒れ狂うかに見える龍神の神慮はすべてを癒し豊年を予告するものに他ならない。研ぎすまされた鋼鉄のような肉体を真っ白の礼服に包んだ現職の自衛隊員、終始笑みを絶やさぬ31歳の大佑を見つつ、そこに龍神の化身を感じたのは酔いのせいだったろうか。この男は式が終わればまた、被災地の支援に赴くのである。

知性高く美貌をも兼ねそなえた新婦については、大佑の高校時代の友人たち、中村哲也、佐久間隆介、豊田秀秋などの、「あいつにこんな美人が、ラッキーなやつだ、…」という言葉にならぬため息交じりの羨望の様がすべてを語って余りあるものだ。
隆介は余興で斉藤和義の二曲を玄人のような素晴らしいギターの弾き語りで歌ってくれた。彼はこの演奏のためにノンアルコールビールで控えていたから、式が終わって塩原駅前のいかにも田舎の定食屋という風情の店で二人で地酒の熱燗を傾けていろいろ語り合ったのも深く思い出に残ることになった。
私は挨拶で、大佑が高校1年の時の文化祭でミュージカルsound of musicのトラップ大佐を演じたことなどを紹介し、彼の人となりについて、苦労をいとわぬ、そして悩む力を持った人間であるとまとめたが、思うことの半分も言えなかったような気がする。よせばいいのに、これこそがsound of musicのテーマソングだと私が思う次の曲の詩を朗読した。この二人のこれからの「生」にふさわしいと思ったからだ。
Climb Every Mountain
Climb every mountain
Search high and low
Follow every byway
Every path you know
Climb every mountain
Ford every stream
Follow every rainbow
Till you find your dream
A dream that will need
All the love you can give
Everyday of your life
For as long as you live
Climb every mountain
Ford every stream
Follow every rainbow
Till you find your dream
すべての山に登りなさい
高い所も低い所も探しなさい
知っているすべての脇道や
あらゆる小道をたどりなさい
すべての山に登りなさい
すべての流れを渡り
すべての虹を追いかけなさい
あなたの夢を見つけるまで
その夢をかなえるには
あなたの愛すべてが必要だから
来る日も来る日も与え続けなさい
あなたの命がある限り
すべての山に登りなさい
すべての流れを渡り
すべての虹を追いかけなさい
あなたの夢を見つけるまで
(以上、イースターの日に記す)
21日、国立市公民館の古典講座「源氏物語の世界」(各月1回で全5回シリーズ)始まる。30名余りの受講者。終わった後、呼び止められる。非常勤で行っている高校の卒業生で、今上智大独文の3年生だというKさん。市の広報で見て(木曜日は大学の講義のない日だったし、先生の名前を見て懐かしかったから)受講者として申し込んだら当選したという。
びっくりしつつもうれしかった。この講座の前に、「奥の細道」を2年がかりで読みあげたが、そのときの受講者の男性陣も5名ほどいたので心強い。
23日、大佑(東高の卒業生)の結婚式。長駆、那須塩原まで、と書きたいのだが、新幹線で1時間余り、八王子から乗り換えなどを含めて3時間足らずで到着した。沛然たる雨。
塩原駅に待機していた送迎用のバスに40分ほど乗り那須高原のセント・ミッシエル教会という式場に着く。主イエスの前での結婚式である。そのあと披露宴は、降り止まぬ雨の中会場のミッシエルガーデンコートというイギリスのマナーハウスを模した館へバスで15分ほどの移動。雨のために視界は全然きかない。披露宴での大佑の挨拶に「下野の国、一宮の二荒山神社の龍神を招いたような雨で…」といような即妙の言葉があった。荒れ狂うかに見える龍神の神慮はすべてを癒し豊年を予告するものに他ならない。研ぎすまされた鋼鉄のような肉体を真っ白の礼服に包んだ現職の自衛隊員、終始笑みを絶やさぬ31歳の大佑を見つつ、そこに龍神の化身を感じたのは酔いのせいだったろうか。この男は式が終わればまた、被災地の支援に赴くのである。
知性高く美貌をも兼ねそなえた新婦については、大佑の高校時代の友人たち、中村哲也、佐久間隆介、豊田秀秋などの、「あいつにこんな美人が、ラッキーなやつだ、…」という言葉にならぬため息交じりの羨望の様がすべてを語って余りあるものだ。
隆介は余興で斉藤和義の二曲を玄人のような素晴らしいギターの弾き語りで歌ってくれた。彼はこの演奏のためにノンアルコールビールで控えていたから、式が終わって塩原駅前のいかにも田舎の定食屋という風情の店で二人で地酒の熱燗を傾けていろいろ語り合ったのも深く思い出に残ることになった。
私は挨拶で、大佑が高校1年の時の文化祭でミュージカルsound of musicのトラップ大佐を演じたことなどを紹介し、彼の人となりについて、苦労をいとわぬ、そして悩む力を持った人間であるとまとめたが、思うことの半分も言えなかったような気がする。よせばいいのに、これこそがsound of musicのテーマソングだと私が思う次の曲の詩を朗読した。この二人のこれからの「生」にふさわしいと思ったからだ。
Climb Every Mountain
Climb every mountain
Search high and low
Follow every byway
Every path you know
Climb every mountain
Ford every stream
Follow every rainbow
Till you find your dream
A dream that will need
All the love you can give
Everyday of your life
For as long as you live
Climb every mountain
Ford every stream
Follow every rainbow
Till you find your dream
すべての山に登りなさい
高い所も低い所も探しなさい
知っているすべての脇道や
あらゆる小道をたどりなさい
すべての山に登りなさい
すべての流れを渡り
すべての虹を追いかけなさい
あなたの夢を見つけるまで
その夢をかなえるには
あなたの愛すべてが必要だから
来る日も来る日も与え続けなさい
あなたの命がある限り
すべての山に登りなさい
すべての流れを渡り
すべての虹を追いかけなさい
あなたの夢を見つけるまで
(以上、イースターの日に記す)
2011年4月11日月曜日
One month since the quake
One month since the quake,
However many aftershocks still have been jolting Japan.
We welcome flowering of Sakura, having no resentments against the merciless circle of the seasons.
The poem that follows is one of the most famous in the Japanese canon.(in the Heian period)
"Is not the moon--
or the spring,
the spring of the past?
Alone I remain
my selfsame self."
Must I say I feel the same way?
However many aftershocks still have been jolting Japan.
We welcome flowering of Sakura, having no resentments against the merciless circle of the seasons.
The poem that follows is one of the most famous in the Japanese canon.(in the Heian period)
"Is not the moon--
or the spring,
the spring of the past?
Alone I remain
my selfsame self."
Must I say I feel the same way?
2011年4月7日木曜日
パラピリプルペレポロ
先々日、久しぶりの山の上の職場での打ち合わせ。研修会なるものあり。NHK放送研修センター日本語センターの講師で、もとNHKのアナウンサー花田和明氏のワークショップのような講演を3時間聴く。書き言葉に対して「音のことば」という観点から様々のことを教わる。国語教師として長年やってきたが、ほとんどは読解や小論文などの分野で、「音のことば」話し言葉の特性を理解して、生徒たちに考えさせたことはあまりなかった。60過ぎの手習い。
○「千葉の石山さん?滋賀の西山さん?」「岡山県?和歌山県?」ちゃんと言えますか?言えません。
○次は、「耳で聞いて一度でわかるようにはなしてください」という問題の一つ。ちゃんとできますか?
【あなたは出張先の静岡から教務主任の田中先生へ電話をしましたが、不在のため、電話に出た先生に伝言を頼みました】
「あすの11時から1時間ほど、静岡で打合せが入ったので、午後3時からの研修会には少し遅れるって、教務主任の田中先生に連絡しておいてください」
○「天気予報です」を一息で何回言えますか?というのは発声・発音の基本としてやらされたことの一つ。これは「息は声のエネルギー」という主旨での練習。「天気予報」は約1秒、小さな声や早口にならないよう、4~5m先に声を届けるつもりで、目標は15回、一回の息でです。退屈なときやってみてください。朗読などが好きな人は特に。
○パラピリプルペレポロ マラミリムルメレモロの発声練習
唇を使う音と舌を使う音との練習。
話し方のポイントや情報の整理の仕方などを押さえてグループに別れて発表もした。久しぶりに何も考えずに楽しく声を出した時間であった。
2011年3月29日火曜日
2011年3月23日水曜日
町へ
昼すぎから、八王子に出る。歩いて行く。途中の片倉郵便局で、今回の被災地への義援金を日赤経由で送る。われわれ(私と女房)にできることはこれぐらいしかない。統一地方選の看板を見て、選挙で金を使うよりも、被災者、被災地復興のために金を使ってほしいものだと思う。この立候補者たちはどれだけ義援金を出したのか、あるいはそれに見合う活動をするのか。とにかく政治家というものほど、石原のことがいつも念頭にあるのだが、「我欲」にかたまったものはいないものだ、特にこの日本には。鳩山などはどうだろうか?十億ぐらい可能なのではないか?あるいは政治家はそういう行為をしてはならないというような法律があるのか。もらうだけでいいということか。
松岡書店で、一冊200円の本を五冊購入する。すなわち、「日本の詩歌17・堀口大学他」(中公文庫)、同「24丸山 薫他」、「俳諧問答」(岩波文庫)、「王安石」「梅堯臣」(ともに岩波・中国詩人選集)。
そしていつものごとく大いなる失敗。予感はあったのだが、最後の二冊は書棚の奥にすでに鎮座していました。家で分かったのだが、購入したこの二冊には某大学の研究図書という判子が押してあったのには驚いた。
八王子の町、計画停電がなかったせいかも知れないが、久しぶりの賑わいであった
松岡書店で、一冊200円の本を五冊購入する。すなわち、「日本の詩歌17・堀口大学他」(中公文庫)、同「24丸山 薫他」、「俳諧問答」(岩波文庫)、「王安石」「梅堯臣」(ともに岩波・中国詩人選集)。
そしていつものごとく大いなる失敗。予感はあったのだが、最後の二冊は書棚の奥にすでに鎮座していました。家で分かったのだが、購入したこの二冊には某大学の研究図書という判子が押してあったのには驚いた。
八王子の町、計画停電がなかったせいかも知れないが、久しぶりの賑わいであった
2011年3月22日火曜日
2011年3月16日水曜日
ocean joins us
I've read this message(Book VIEW CAFE BLOG )written by Ursula K. Le Guin and very encouraged.
To My Japanese Readers:
There is an ocean between us, yet that ocean joins us.
The great tsunami that struck Japan travelled on, growing weaker, until it came to the west coast of America. Here it did little harm. But with that wave came to us the great wave of your grief and suffering.
I hope you know that there are many, many people here who are thinking of you now, and crying for you, and praying that the worst will soon be past.
I admire, more than I can say, the quiet courage the ordinary people of Japan have shown amidst so much loss, suffering, and fear. Your strong and patient faces are beautiful to see. I look at them and cry. I wish you strength and the hope of better days.
With love,
Ursula
To My Japanese Readers:
There is an ocean between us, yet that ocean joins us.
The great tsunami that struck Japan travelled on, growing weaker, until it came to the west coast of America. Here it did little harm. But with that wave came to us the great wave of your grief and suffering.
I hope you know that there are many, many people here who are thinking of you now, and crying for you, and praying that the worst will soon be past.
I admire, more than I can say, the quiet courage the ordinary people of Japan have shown amidst so much loss, suffering, and fear. Your strong and patient faces are beautiful to see. I look at them and cry. I wish you strength and the hope of better days.
With love,
Ursula
2011年3月7日月曜日
誰のことか?
最近は加齢とともに、少し穏和になったと思っていたが、次の記事には切れた。アメリカ国務省のメア日本部長(前在沖縄総領事)というのが、昨年末、アメリカン大学の学生ら14人(この学生たちは東京、沖縄への2週間の研修旅行を前にして、このメアさんから講義
を受けたということだ)に対して以下のようなレクチュアをしたらしい。
―沖縄は日本政府に対する「ごまかしとゆすりの名人」である。「怠惰でゴーヤーも栽培できない」など。そして、普天間飛行場は住宅地に近い福岡空港や伊丹空港と同じで特別に危険ではない、だから日本政府は沖縄の知事に対して「お金が欲しいなら(たぶん、辺野古移転にということだろう、この共同通信発の記事はここを省いているから、私が補うのだが)サインしろ」と言うべきだと述べている。云々―
ゆすっているのはアメリカだということは密約問題露顕からの、いやそれ以前からの厳たる事実だ。しかし、メアさんの発言で妙に心情的にそうだよなと思うのがある。それは、この記事の記者(署名はない)の考えが入っているのかも知れないが、ことさらに「沖縄」といい、「日本政府」というように対立的に分けて書いているところである。180度転換して考えてみれば(いや、このメアの発言を私なりに読み替えてみれば)、「沖縄は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人」というメアの言葉を沖縄の底知れぬ闘い(まさに対「日本政」、対「アメリカ」)のエネルギーの発現、きわめてすぐれた戦術的なその発現の仕方とも取れるのではないか。もちろんメアの意図とは全く異なるが。
しかし、いかように解釈しても腹が立つことには変わりがない。盗人猛々しいとは、こういうことを言うのだ。
を受けたということだ)に対して以下のようなレクチュアをしたらしい。
―沖縄は日本政府に対する「ごまかしとゆすりの名人」である。「怠惰でゴーヤーも栽培できない」など。そして、普天間飛行場は住宅地に近い福岡空港や伊丹空港と同じで特別に危険ではない、だから日本政府は沖縄の知事に対して「お金が欲しいなら(たぶん、辺野古移転にということだろう、この共同通信発の記事はここを省いているから、私が補うのだが)サインしろ」と言うべきだと述べている。云々―
ゆすっているのはアメリカだということは密約問題露顕からの、いやそれ以前からの厳たる事実だ。しかし、メアさんの発言で妙に心情的にそうだよなと思うのがある。それは、この記事の記者(署名はない)の考えが入っているのかも知れないが、ことさらに「沖縄」といい、「日本政府」というように対立的に分けて書いているところである。180度転換して考えてみれば(いや、このメアの発言を私なりに読み替えてみれば)、「沖縄は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人」というメアの言葉を沖縄の底知れぬ闘い(まさに対「日本政」、対「アメリカ」)のエネルギーの発現、きわめてすぐれた戦術的なその発現の仕方とも取れるのではないか。もちろんメアの意図とは全く異なるが。
しかし、いかように解釈しても腹が立つことには変わりがない。盗人猛々しいとは、こういうことを言うのだ。
2011年3月6日日曜日
God Be with You till We Meet Again.
非常勤で出講している高校の卒業式。45回生。中高一貫の私立女子校だが、この期の生徒たちとは、三年前、私が初めてこの学校に勤めて主に授業を受け持った生徒たちだったので格別に思い出が深かった。その最後の、答辞と聖歌「神ともにいまして」の合唱には久しぶりに涙がにじむ。なによりも一番いいのは、「日の丸」と「君が代」がないこと。都教委の役人がいないこと。
そのあと京王プラザホテルで卒業生主催の集まり。こういう集まりは嫌いだったが、初めて出席した。すばらしかった。ありがとう。
卒業生たちを見ていたら、自分の昔のこの頃のことがかすかに思い出され、同時に蕪村の次の句が重なるように浮かんできた。これは卒業生たちにとっても、私と同様に未来のある時点での「懐旧」の思いを代弁するものになるのかもしれない。しかし、この「遅き日」の季感と実感はもうだれも感ずることはあるまい。すべてが早すぎる。
遅き日のつもりて遠きむかしかな
そのあと京王プラザホテルで卒業生主催の集まり。こういう集まりは嫌いだったが、初めて出席した。すばらしかった。ありがとう。
卒業生たちを見ていたら、自分の昔のこの頃のことがかすかに思い出され、同時に蕪村の次の句が重なるように浮かんできた。これは卒業生たちにとっても、私と同様に未来のある時点での「懐旧」の思いを代弁するものになるのかもしれない。しかし、この「遅き日」の季感と実感はもうだれも感ずることはあるまい。すべてが早すぎる。
遅き日のつもりて遠きむかしかな
2011年2月24日木曜日
麗しき果実
出光美術館、「転生する美の世界」と題された江戸琳派、酒井抱一、鈴木其一らの展覧会に行く。これは―酒井抱一生誕250年「琳派芸術」―の第二部の特別展で、酒井や鈴木の作品が第一部の時よりも多く展示されているということだけで、私は見に行ったのだが、ただ、ただ素晴らしかった。門外漢としてそれだけしか言えないのが残念なのだが、二時間ほど美術館で魂を奪われていた。抱一は言うまでもないが、私はその弟子の鈴木其一の秋草図屏風や藤花図などにも惹かれた。抱一の秋草図や燕子花図屏風の鮮烈さは圧倒的である。風神・雷神図もはじめて関心を持って視た。文化・芸術というものは発展などという概念とは無縁であって、いつでもその極点で輝いているものがそうで、とくに江戸美術の爛熟はもうそれ以上はありえないものだということを今回も思った。それに比べて…はなどという必要もない。
乙川優三郎の新聞連載小説『麗しき果実』に出てくる実在の人物、原羊遊斎、酒井抱一、鈴木其一たちの実際の作品に出会えたわけだ。原羊遊斎の蒔絵もあった。抱一や其一の図案帖も。たしか乙川の作品ではヒロインの女性が蒔絵の世界で苦闘して行くというものだった、そこに原羊遊斎や酒井抱一の大物がいて、鈴木其一との淡いロマンスもあったような記憶がある。単行本になっているだろうから、暇があったら読み返してみたい。乙川の丁寧な文章にひかれて、新聞小説、まして歴史小説などを自分自身が毎日期待しながら読んだのも珍しいことだった。何かの縁だろう。
妻と二人で、有楽町のガード下の居酒屋で飲んだ。私は金陵の熱燗二本。おでんなど。いい気持ちで東京駅始発の中央線に乗り帰宅す。
乙川優三郎の新聞連載小説『麗しき果実』に出てくる実在の人物、原羊遊斎、酒井抱一、鈴木其一たちの実際の作品に出会えたわけだ。原羊遊斎の蒔絵もあった。抱一や其一の図案帖も。たしか乙川の作品ではヒロインの女性が蒔絵の世界で苦闘して行くというものだった、そこに原羊遊斎や酒井抱一の大物がいて、鈴木其一との淡いロマンスもあったような記憶がある。単行本になっているだろうから、暇があったら読み返してみたい。乙川の丁寧な文章にひかれて、新聞小説、まして歴史小説などを自分自身が毎日期待しながら読んだのも珍しいことだった。何かの縁だろう。
妻と二人で、有楽町のガード下の居酒屋で飲んだ。私は金陵の熱燗二本。おでんなど。いい気持ちで東京駅始発の中央線に乗り帰宅す。
2011年2月20日日曜日
渺たる滄海の一粟
―「嗚呼噫嘻(ああああ)、我れ、これを知れり。疇昔の夜、飛鳴して我を過りし者は、子にあらずや」と。道士顧みて笑う。予も亦た驚き醒む。戸を開いて之れを視るに、其の処を見ず」―というのは、蘇東坡の「後赤壁賦」の最後の数句なり。赤壁の下の江流にて客と遊びし折り、大いなる孤鶴の舟を掠めて西に飛去せるあり。その夜、夢に一道士現れ、「予に揖して言いて曰く、『赤壁の遊楽しかりしか』と」。「予」は件の夢なる道士の姓名を問ひしも、うつむきて答へず、とあり。その後に、冒頭に掲げたる、「予」の「ああああ、あなたは昨晩私の舟を過ぎった鶴ではないですか」という感嘆の問いの発せらるる場面。
頃日、「蘇東坡詩選」(岩波文庫)を読み、その簡潔率直なる文意に甚だ打たれき。中国宋代の変転きわまりなき(怪奇なる)政治場裡にて、かくのごとき詩人政治家、まさに大いなる孤鶴のごとき博大なる人間のありしに驚嘆すとともに、若干の希望をも抱けり。
19日、息子夫婦とその岳父母と、我ら二人を入れ計六人(三家族)にて飲む。愉快なり。
20日、日曜のnhkの囲碁トーナメント。秋山次郎が趙治勲を中押しで破る。痛快なり。
頃日、「蘇東坡詩選」(岩波文庫)を読み、その簡潔率直なる文意に甚だ打たれき。中国宋代の変転きわまりなき(怪奇なる)政治場裡にて、かくのごとき詩人政治家、まさに大いなる孤鶴のごとき博大なる人間のありしに驚嘆すとともに、若干の希望をも抱けり。
19日、息子夫婦とその岳父母と、我ら二人を入れ計六人(三家族)にて飲む。愉快なり。
20日、日曜のnhkの囲碁トーナメント。秋山次郎が趙治勲を中押しで破る。痛快なり。
2011年2月17日木曜日
いざ雪見、いざ行む
あっという間に、2月も終わりに近づきつつある。この間のことを少し書いておこう。
10日、白井明大、阿蘇 豊、木村和史と西国分寺の西国村という居酒屋で飲む。古くていい居酒屋なり。下戸の和史が、これまで付き合って一緒に行った居酒屋で一番感じがいいと言明した。阿蘇氏とは初対面だったが、その山形県人としての風格が、私の先輩の一人とそっくりだったので、すっかり打ち解けてしまった。白井君と和史はカメラの話で盛り上がったようだ。
12日、福間塾。「さかえ屋」、「奏」久しぶりに。
13日、中国の長春で教えている元同僚が休みで帰国している、彼を囲んで元同僚たちの集まりが八王子であった。それに出る。元同僚は66歳だが、その精悍な感じは昔と変わらない。今年一年はまた中国で教えるという。彼のいる間に訪問できたらなどと思った。
尾形 仂『蕪村の世界』(岩波・同時代ライブラリー)が、私の最近の枕頭の書である。
○いざ雪見容(かたちづくり)す蓑と笠
○雪の旦(あした)母屋のけぶりのめでたさよ
この二句の詳しい尾形先生の鑑賞は省くが、最後のまとめを引用しておこう。
「同じ雪の題によって、一方では都会の風流人の雪見にとおどける風狂の心に古人への思いを重ね、一方では深い根雪を友に一冬を送る雪国の生活者の雪に安堵し心勇む生活実感を詠出する。一人で大きく隔たった何人分もの生を生きる、蕪村の詩的連想の多様さには毎度ながら舌を巻かざるを得ない。」
10日、白井明大、阿蘇 豊、木村和史と西国分寺の西国村という居酒屋で飲む。古くていい居酒屋なり。下戸の和史が、これまで付き合って一緒に行った居酒屋で一番感じがいいと言明した。阿蘇氏とは初対面だったが、その山形県人としての風格が、私の先輩の一人とそっくりだったので、すっかり打ち解けてしまった。白井君と和史はカメラの話で盛り上がったようだ。
12日、福間塾。「さかえ屋」、「奏」久しぶりに。
13日、中国の長春で教えている元同僚が休みで帰国している、彼を囲んで元同僚たちの集まりが八王子であった。それに出る。元同僚は66歳だが、その精悍な感じは昔と変わらない。今年一年はまた中国で教えるという。彼のいる間に訪問できたらなどと思った。
尾形 仂『蕪村の世界』(岩波・同時代ライブラリー)が、私の最近の枕頭の書である。
○いざ雪見容(かたちづくり)す蓑と笠
○雪の旦(あした)母屋のけぶりのめでたさよ
この二句の詳しい尾形先生の鑑賞は省くが、最後のまとめを引用しておこう。
「同じ雪の題によって、一方では都会の風流人の雪見にとおどける風狂の心に古人への思いを重ね、一方では深い根雪を友に一冬を送る雪国の生活者の雪に安堵し心勇む生活実感を詠出する。一人で大きく隔たった何人分もの生を生きる、蕪村の詩的連想の多様さには毎度ながら舌を巻かざるを得ない。」
2011年2月9日水曜日
Now is the winter of our discontent
昨日63回目の誕生日。ディラン・トマスの「10月の詩」のフレーズ、It was my thirtieth year to heaven
を真似てIt was my sixty-third year to heaven yseterday と言ってみようか。ディラン・トマスは1953年39歳の若さでアル中のために死んだ。30や39歳ならまだ天国と言えるかもしれない。63ではちょっと苦しいが、願望をこめて。
今朝、雪降る中を学校に行く。模擬試験の監督が終わると雪は止んでいた。昼前には帰る。妻は用事で外出。光が射し込み、気温も上がる。気持ちを奮い立たせて散歩に出かける。10㌔余り歩く。湯殿川の源流を探りたいのだが、それはまたの楽しみにとっておこう。館(たて)町の浄泉寺という曹洞宗のお寺まで歩いてみた。
帰途の城址公園で、いつものメタセコイアの木の枝にいつものカワセミがいるのを発見。池の上を優雅に旋回し、この世ならぬその背の緑を惜しげもなく見せてくれるのだが、私の技術とカメラでは撮影不能。ひたすら静止しているところしか写せないのが残念である。五時過ぎに帰宅。
沙翁の「リチャード三世」の有名な冒頭の台詞、
Now is the winter of our discontent
Make glorious summer by this sun of York.
(やっと不満の冬も去り、ヨーク家にも輝かしい夏の太陽が照りはじめた)
というのをなんとなく思い出した。季節は確かに変化している。不満も輝きも人間が付加するに過ぎない。
を真似てIt was my sixty-third year to heaven yseterday と言ってみようか。ディラン・トマスは1953年39歳の若さでアル中のために死んだ。30や39歳ならまだ天国と言えるかもしれない。63ではちょっと苦しいが、願望をこめて。
今朝、雪降る中を学校に行く。模擬試験の監督が終わると雪は止んでいた。昼前には帰る。妻は用事で外出。光が射し込み、気温も上がる。気持ちを奮い立たせて散歩に出かける。10㌔余り歩く。湯殿川の源流を探りたいのだが、それはまたの楽しみにとっておこう。館(たて)町の浄泉寺という曹洞宗のお寺まで歩いてみた。
帰途の城址公園で、いつものメタセコイアの木の枝にいつものカワセミがいるのを発見。池の上を優雅に旋回し、この世ならぬその背の緑を惜しげもなく見せてくれるのだが、私の技術とカメラでは撮影不能。ひたすら静止しているところしか写せないのが残念である。五時過ぎに帰宅。
沙翁の「リチャード三世」の有名な冒頭の台詞、
Now is the winter of our discontent
Make glorious summer by this sun of York.
(やっと不満の冬も去り、ヨーク家にも輝かしい夏の太陽が照りはじめた)
というのをなんとなく思い出した。季節は確かに変化している。不満も輝きも人間が付加するに過ぎない。
2011年2月4日金曜日
RIP エドゥアール・グリッサン
中村君のブログ、OMEROS http://mangrovemanglier.blogspot.com/2011/02/blog-post.htmlで知ったのだが、エドゥアール・グリッサンが昨日亡くなったということだ。マルティニックの出身で、島やクレオールとしての存在の幅を深く大きく広げた作家、詩人だった。2009年のフランス海外県でのゼネストの際には旧宗主国フランスへの抵抗の精神的な支柱として、「島」の経済的な回復のみならず、詩的な回復を目指したゼネスト支援のマニフェスト(従来のマニフェストの概念を打破する、瞠目すべき詩的マニフェスト)「高度必需品宣言」の主要な書き手の一人でもあった。
New york timesのobituaryを調べたら、AP通信の以下の記事があった(だけ)。
PARIS (AP) — France's prime minister says celebrated Martinican poet Edouard Glissant has died. He was 83.
In a statement, Francois Fillon paid homage to Glissant's work, which "marked several generations of thinkers and writers far beyond" his native French Caribbean island. Le Monde newspaper said Glissant died Thursday in Paris.
Born in Sainte-Marie, Martinique, on Sept. 21, 1928, Glissant was among the generation of French Caribbean poets who came to prominence in the 1950s and included the late Aime Cesaire.
Glissant published more than 20 books, including collections of poetry and critical analyses.
A graduate of La Sorbonne university in Paris, he taught at both Louisiana State University and at the City University of New York.
New york timesのobituaryを調べたら、AP通信の以下の記事があった(だけ)。
PARIS (AP) — France's prime minister says celebrated Martinican poet Edouard Glissant has died. He was 83.
In a statement, Francois Fillon paid homage to Glissant's work, which "marked several generations of thinkers and writers far beyond" his native French Caribbean island. Le Monde newspaper said Glissant died Thursday in Paris.
Born in Sainte-Marie, Martinique, on Sept. 21, 1928, Glissant was among the generation of French Caribbean poets who came to prominence in the 1950s and included the late Aime Cesaire.
Glissant published more than 20 books, including collections of poetry and critical analyses.
A graduate of La Sorbonne university in Paris, he taught at both Louisiana State University and at the City University of New York.
2010年11月23日火曜日
Rockaby
ベケットの"Rockaby"はマザーグースの"Rockabye, baby"の声をその奥にとどめている。たとえ、それが死にゆく老女の終わりの声と、柔らかな幼子を眠らせる声の響きの対照で際立っているにせよ。ベケットの"Rockaby"の終わりで、「声」が痛烈に言う、
fuck life(人生なんて、くそったれ)
このひとの目を閉じてあげて
rock her off(ゆらりゆらりこの人を眠らせてあげて)
rock her off(ゆらりゆらりこの人を眠らせてあげて)
マザーグースの"Rockabye, Baby"
Rockabye, baby, on the tree top, おやすみ赤ちゃん 木の上で
When the wind blows the cradle will rock; 風が吹けば ゆりかごゆれる
When the bough breaks the cradle will fall, 枝が折れれば ゆりかご落ちる
And down will come baby, cradle, and all. 赤ちゃんかごごと みんなみな落ちる
fuck life(人生なんて、くそったれ)
このひとの目を閉じてあげて
rock her off(ゆらりゆらりこの人を眠らせてあげて)
rock her off(ゆらりゆらりこの人を眠らせてあげて)
マザーグースの"Rockabye, Baby"
Rockabye, baby, on the tree top, おやすみ赤ちゃん 木の上で
When the wind blows the cradle will rock; 風が吹けば ゆりかごゆれる
When the bough breaks the cradle will fall, 枝が折れれば ゆりかご落ちる
And down will come baby, cradle, and all. 赤ちゃんかごごと みんなみな落ちる
2010年10月20日水曜日
「頓死」の頓死
…
…
どのみち世界で
厳粛な破壊の儀式が始まったら
押潰されたヒューマニズムの声など役に立たぬ
だがみよ ヒットラーは死んだんだ
ムッソリーニも死んだ
スターリンも死んだ
毛沢東も死んだ
なのに この世はさっぱりよくならない
はてさて 七十年代も終わりですか
あとに残っているのは小者ばかりだから
世界はやがて筋萎縮性の痙攣を起こし
まもなく頓死するだろう
(後略)
と鮎川信夫は「独白(1979年年十二月某夜)」という詩に書いている。これを読んで考えるのは、この世界はなかなか「頓死」などということをしないし、むしろ「死んだ」とか「頓死」とかいうことが死んだし、頓死するしかないような道を、われわれは最後まで歩いて行くことしかないのだろうということだ。最後のない最後へ、でも毅然として背筋を伸ばして歩くということは、そう簡単なことではないだろうが。
今日の「歩く」、8㌔。6時はもうすでに暗く、先ごろまでの感覚とは違う。背中が痛んでいたが、今日はゆっくり歩く、すこし痛みがやわらぐ。ハードすぎたのだ。
奄美で大雨。父に電話したら、徳之島でも大変な大雨で、海沿いの本川があふれていて、山のほうに迂回させられて、やっと亀津から喜念に帰ることができたということだ。母は風邪ぎみ、だった。
…
どのみち世界で
厳粛な破壊の儀式が始まったら
押潰されたヒューマニズムの声など役に立たぬ
だがみよ ヒットラーは死んだんだ
ムッソリーニも死んだ
スターリンも死んだ
毛沢東も死んだ
なのに この世はさっぱりよくならない
はてさて 七十年代も終わりですか
あとに残っているのは小者ばかりだから
世界はやがて筋萎縮性の痙攣を起こし
まもなく頓死するだろう
(後略)
と鮎川信夫は「独白(1979年年十二月某夜)」という詩に書いている。これを読んで考えるのは、この世界はなかなか「頓死」などということをしないし、むしろ「死んだ」とか「頓死」とかいうことが死んだし、頓死するしかないような道を、われわれは最後まで歩いて行くことしかないのだろうということだ。最後のない最後へ、でも毅然として背筋を伸ばして歩くということは、そう簡単なことではないだろうが。
今日の「歩く」、8㌔。6時はもうすでに暗く、先ごろまでの感覚とは違う。背中が痛んでいたが、今日はゆっくり歩く、すこし痛みがやわらぐ。ハードすぎたのだ。
奄美で大雨。父に電話したら、徳之島でも大変な大雨で、海沿いの本川があふれていて、山のほうに迂回させられて、やっと亀津から喜念に帰ることができたということだ。母は風邪ぎみ、だった。
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