昨日、久しぶりに歩く。午後3時半過ぎに家を出る。湯殿川には何本も橋が架かっているのだが、我が家から20分ほどのところにある橋は稲荷橋という。そこに三脚に固定した立派なカメラが四台くらい、ということは写真好きのおじさんたちが四、五人橋の欄干で西側の冨士を狙っているのだ。これは散歩の帰りにわかったこと。すさまじい夕日、私はまぶしくて俯いて歩いていく。いつもの目的地までで折り返して帰る頃には、これはまたなんという美しい色に染まった空と冨士だろう。マゼンダ色というのか、それが何本も帯のように、川のように、渦巻きのようにシルエットになった冨士の周りを取り巻いている。でも押しつけがましい色ではない。往くときには眩しかったのだが、復路には丁度時刻は4時半ころになっていたが、まぶしい黄金の光を吸いこんだせいで身体の底からその光の名残が朱とも赤ともつかぬ色で静かに発色し燃えているような西空を心ゆくまで眺めたいばかりに、私は振り返り、振り返り、しまいには後ろ向きに歩くことを繰り返しながら、ああ!とため息までつきながら先ほどの稲荷橋に着いた。カメラの人たちはまだいた。「冨士の真ん中に日が落ちるのです」という。まぶしくはないのですか?いえ、いえ。この日没直後の色は素晴らしいですね、と言って私はファインダーを覗き込んだ。先ほどの眩しい落日(冨士を真中から割って落ちるという)とこの落日後の光の名残たちが演ずるどこか切ない郷愁に似た色のシンポジュームがそこに映っていた。
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