【〈全―世界〉氏ムッシュ-・トゥモンド(Monsieur Tout-monde)】
今日は、書きかけの詩「汽水域」、自分にとっては最も長い詩になるが、まだ完成に到らないそれの続きを考えながら、グリッサンの『フォークナー、ミシシッピ』(中村隆之訳・インスクリプト)の最初の章「ローワン・オークに向かってさまよう」と、中村隆之の「訳者解説」を読んだ。 正直言って、フォークナーは「エミリーへの薔薇」などの短編などしか満足に読んだ覚えはない。しかし、このグリッサンのフォークナーをめぐるエッセイ(そう言ったほうがいいほど、それ自体が自由で詩的な文章である)は文句なしに面白いし、引き込まれる。「ローワン(ローアンとも)・オーク」はフォークナーの邸宅の名前だ。グリッサンはマルティニックの詩人で、訳者の博士論文は彼の文学についての研究であった。訳者「あとがき」に一読して忘れられない印象的なエピソードが述べられている。中村隆之は2010年一月に研究員として滞在していたマルティニック島でグリッサンの自宅に迎えられ、敬愛する詩人と会った。以下引用する。
―詩人はヴェランダに私を招き、ゆったりとした椅子を勧め、自分は小さな肘掛け椅子に腰掛けた。身長一メートル九十センチ、体重百キロほどに見えるその大柄な体軀が窮屈そうにその小さな肘掛け椅子に座っている様子は、遠方からの客に対する歓待の精神以外の何ものでもなかった。私はそのヴェランダで、本書における花々の風景に思いを馳せながら、小さな質問をした。「マルティニックを花に喩えるなら何でしょう。たとえばセゼールであればバリジエの花(その色と形から燃えさかる剣に見える花)を自分の政党の象徴に選びましたが」。老齢の詩人は私の言葉に耳を澄ませながら、ゆっくりとこう答えてくれた。「マルティニックを一つの花に喩えることはできない。私にはマルティニックは無数の、繁茂する、様々な花々だ」。―
まさに、この本も「フォークナー、ミシシッピ」をミシシッピだけでなく、アメリカス、いや全―世界の他者、花々のためにさまよいながら開いてくれた、大きな、優しい人グリッサンの「遺書」のようなものだとおもう。もちろん、1996年に発表されたこの本はグリッサンの最後の著書ではないが、訳者中村隆之さんにとってはいろんな意味でそうであろうと思う。よけいな忖度かもしれないが。グリッサンに手渡すべきこの書物は、2011年2月3日の彼の死(享年82歳)によって「叶わなくなってしまった」。中村君は続ける、「しかし、この作家の場合、当人の死によって作品の存在感は弱まるどころか、ますます強まるようだ。今はエドゥアール・グリッサンのこの著作が一人でも多くの読者に出会うことを心から祈りたい」と。ぼくもそう思う。それに値するすばらしいさまざまな示唆を含んだ著作だ。とくに、今の、この状況は以下の恐ろしい認識と全く変わりはない以上、グリッサンの開いて行く全―世界の混合を探求するしかないと思う。
―「彼は(フォークナー)私たちの世界が見棄てられてあることを、部族や民族や国民などのあいだで交互に繰り返される虐殺を―彼らは相手を虐殺することが急務であるという点でのみ意見を一致させる―徹底的に預言した」―
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