友人との読書会で、今日は『去来抄』の「同門評」のパートを読んだ。とくに心に残っているのは、次の記事だ。
―笠提げて墓をめぐるや初しぐれ― 北枝
先師の墓に詣でての句なり。許六曰く「是は脇よりいふ句なり。自ら何の疑ありて、や、とはいはん」。去来曰く「や は治定嘆息(じじょうたんそく)の や なり。かの常に人を訪ふには、笠を提げて門戸にこそ入れ。是は、思ひのほかに墓をめぐる事哉や、といへるなり。およそ、発句は一句を以て聞くべし。… ―
切字「や」の解釈がテーマだ。許六はこの「や」を疑いの「や」と取る。そうであるからには、「第三者が北枝のことを詠んだ句となる。自身の事なら何の疑いがあって、や、という疑問の語を使ったのであろうか」と言う。これに対して去来は「や」を「治定嘆息(じじょうたんそく)の や 」と取る。これは現代の高校の授業では詠嘆、感動の「切字、や」ということだ。「や」はこの時代には、両様の意味を持っていたというのも面白いが、その二つの意味が限定されていく分岐点がここにあるような気もする。
去来の言うことが妥当である、とくに「発句は一句を以て聞くべし―発句は一句全体の句意で判断すべき―」ということからも、と、註釈者(栗山理一)は去来の意見の妥当性を言うが、それはそれとして、許六の疑いの「や」と第三者性の理解の仕方も捨てがたいと私は思う。自らの、師への追悼のあまりの彷徨(墓をめぐる)を、第三者の眼によって捉え返すところに、北枝という弟子の芭蕉追慕の玲瓏とした悲しみを感じるのだ。
読書会のあとに、いつもの激安中華で飲みながら話した。友人が言うには、この北枝の句を見た時にすぐ思い出したのは、尾崎放哉の「墓のうらに廻る」という句だった、と。ここから破滅派の俳人はなぜ自由律に多いのか、最近刊行された正津勉さんの『河東碧梧桐 忘れられた俳人』―この人こそ自由律の源だが―の感想とか、破滅派讃仰の酔っぱらい談義になだれこんだのであるが、北枝と放哉の句の寂しさと悲しさは清らかなまま汚れることはない。
1 件のコメント:
水島さん、出席できず、誠に残念なり。この夜、わたしはリービ英雄の万葉集についての講演を聴いたのでした。
また、思うこと、新たに知りたること、多々あり。なにぬねの?または詩文楽に感想を上梓するものなり。
タクランケ
コメントを投稿