2008年12月31日水曜日

おほつごもり

26日
「奏」でゲニウスの忘年会。瀬尾、福間、添田、雨矢、高貝、杉本、の諸氏と。帰りは瀬尾さんと一緒に。いろんな話をしたようだが、すっかり忘れている。恵子さんのおいしいい料理。

28日
拙宅で忘年会。Troy一家、木村、岩田、七森、さんたち。翌日から四国へ行くという息子もかけつけて。ずいぶん飲んだが酔っぱらいはしなくなった。御苦労さま、女房殿。

30日
どうにか年内に来年の、大学の同じ授業のシラバスを書き終えた。Web入稿ということなので、それを済ませたのが深夜だった。水村美苗の『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で―』を読んでいたので、その影響もかすかにあるのかもしれない。「日本語で書くとはどういうことか」などと考えてしまった。いずれにせよ、この現代において、書くということはどんな意味をもつのか、もたないのか、それを掘り下げることが課題であることに変わりはない。

31日
いよいよ「おほつごもり」。
9月、10月からの急転直下の経済不況、百年に一度などとも言われているが、その責めを負うべき政府や大手の経営者たち(とくに、某経済界の集まりの会長など)の「影」も感じられない、おかしな世の中である。虚構の金融マジックの果てには、それを裏返すどんな「てこ」もありえなかったということか。往時の「自己責任」論者たちの、欺瞞と不誠実がこういう結果を招いたのだろう。来年はすべてが白日にさらされ、一歩ずつ真摯な歩みがどの分野でもありますように!

みなさまよいお年をお迎えください。

2008年12月24日水曜日

ギフト

本当にひさしぶりに、湯浅さんからメールが届いた。これはクリスマスプレゼントのようなもの。この美しい英語に、ぼくはただものも言えず、見とれているだけ。ありがとう。


Dear Mr. Mizushima,

I should have written before – when you sounded sad; when wild roses were in bloom in Central Park; when you shared a moving thought with us on your blog; when I fell in love with Shakespeare because Hamlet played in the park, as a Manhattan skyline faded into summer dusk, was so ethereally beautiful; when the class of 2008, your last students, graduated with so much affection toward you; when a 14-billion dollar deal, on which I worked for over a year, closed; when you began your new adventure, teaching what you love to college students; when I walked across Brooklyn Bridge with my young colleagues on the first warm day of the year, feeling quite young myself; when your translation of an English poem was particularly good;when Lehman Brothers collapsed; when I learned that your father-in-law had passed away; when I spent one blissful week with old friends at their home in southern California overlooking the Pacific Ocean; when you were coping with the void left by your father-in-law . . . . I should have written to you before.

It has been snowing all day in New York City, and the City that has lost its confidence, feels unusually somber despite colors and lights, trimming windows, buildings, trees along the avenues and the 72-foot Norway spruce at Rockefeller Center. It is less than a week before Christmas, and it is rather quiet. And for the first time in almost two years, I have time to think thoughts not relating to my “deals” long enough – long enough to actually write to you. I do not have one coherent thought, a theme, to write about after such a long absence.
So, I will just say I am very sorry that I did not write before.

Mashiho

(December 19, 2008)


ニューヨークのクリスマスの夜も、これまでとはずいぶんと違うものになりそうだ。ゆっくりと静養してください。来年もあなたにとっては激動の年なのだろうから、せめてこれからの休日だけはゆっくりと休んでください。

ありがとう。

2008年12月20日土曜日

旅人かへらず

透谷顕彰碑
 
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白秋・赤い鳥小鳥
 
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西脇順三郎の『旅人かへらず』の57番と126番に、「さいかち」という植物が出てくる。正確に調べていないので、あるいはもっと出ているかもしれない。

57
さいかちの花咲く小路に迷ふ

126
或る日のこと
さいかちの花咲く
川べりの路を行く
魚を釣つてゐる女が
静かにしやがんでゐた
世にも珍しきことかな

「さいかち」って何だろうという思いが、頭の隅に残っていた。不思議なことに『旅人かへらず』を読み直したりするごとに、この植物のことを思い出していた。頭でっかち、というようなことばとライムを踏ませたりしたのは、西脇のでかい頭のことをまず思わざるを得ないからなのかもしれなかった。

千石英世さんの『9・11/夢見る国のナイトメア』という最近まとめられた本、そのⅢのパートは『翻訳から文体へ』という見出しで様々なエッセーが収録されている。そのなかの「乾いた文体」と題されたどこかでの講演の記録のようなものが特に面白かった。これは英文学者、福原麟太郎のエッセイをもとに、「文体」に対する千石流の自由な思考が展開してゆくものの一つだ。福原は「濡れた文体」と題してオール日本の小説家を批判し、その対極に西脇の文体を「乾いた文体」として挙げる。千石さんはそこから、ロマン主義の文体の「濡れ」を指摘し、小林秀雄に代表される批評の「濡れた文体」の特徴を「否定」の文体というようにまとめている。面白いことに、「乾いた文体」の保持者には英文学者(吉田健一を思え)やそれにシンパシーをもつ人が多くて、「濡れた文体」は仏文の徒が多いという。この指摘はさもありなんとぼくも思った。そこで挙げられている西脇を、特にその『旅人かへらず』を読み直したということだけの話で、千石さんのご本のことやら、その文体論の面白さなども含めて、金曜日の立教での授業で話したのである。西脇順三郎という詩人のことを学生諸君にどういうようにぼくは話したか。

――思想や倫理から限りなく遠い詩人、
疲れているとき読み返すと癒される?癒されるかも、
オタクのきびしい原型かも、でも、だから、かぎりなく自由かも、
限りなく、限りなく、この世を超えた「幻影の人」を
実にチンケな日常の中に見出す手品師だけど、
そういうことを含めてだれもこのひとの有する「距離」を
本当に計測した人はいない、
西脇における女の重要性をだれか考えて欲しい、
それから、彼の言う「淋しき」の爆発力と無力を、――

こういうことを喋って授業を終えた。そのあとぼくは新宿からロマンスカーなるものに乗り箱根へ逃げ出した。

この計画は、十一月に亡くなった義父が生きていたときに、女房と二人で考えたものだ。介護専門の女房の気晴らしに、12月に義父をショートステイにやり、箱根でも行こうというものだった。ホテルも予約していた。義父はスパッという感じで亡くなった。すべてぼくらには配慮すべきなにも今はないのである。

箱根で一泊して、今日は強羅のポーラ美術館というところで、「佐伯祐三とパリ」という特別展を見た。馬鹿にしていたが、ものすごくハードな深みのある展覧会であった。ひどく疲れた。この美術館のたたずまいも魅力あるものだった。

帰りは小田原で下車した。箱根には何回も行ったことがあるのに、小田原は初めてだった。すてきな町だった。透谷の顕彰碑を見た。そのあと、小田原文学館に行く。なんとそこでぼくは「さいかち」に再会したのである、いや正確に言うと、そこに行く道が「西海子小路」というのである。サイカチ小路だ。この路の端正な姿に感動する。サイカチが棘のある豆科の植物で、この通りには二本しか残っていないが、通りの名を記念してプレートまであるのだから、小田原の凄さを見た。この通りの家で、谷崎と佐藤の確執があり、それよりもっと昔には、齋藤緑雨が住み、いや小田原とは実は文学者の町なんだということを改めて確認したのである。まず、透谷、ゼーロンの牧野信一、「民衆詩派」詩人の福田正夫、かれらはこの土地に生まれたが、この地の風光にひかれてここに住んだか仮寓した文学者は多い。まず北原白秋と尾崎一雄。二人は小田原文学館の別館に一雄はその書斎を再現し、白秋はけっこう豊かな展示のある「白秋童謡館」なる瀟洒な家屋で記念されている。

そこを観ているうちに、昼飯を食っていないことを老夫婦は思い出す。小田原で途中下車したとき、駅で帰りの切符は買った。六時半だ。今はもう4時半を過ぎた。男の方は、酒を飲みたい。川崎長太郎も小田原の作家なのだった。幻影の抹香町を求めたい。駅へむけて歩みをすすめた。なんと、長太郎が日参したという「だるまや」を発見。そこで食べて飲みました。


小田原のさいかち通りの淋しき
思い出せない首吊りあとの淋しき
ロマンスなきロマンスカーの淋しき
木枯らしの橋を渡れば他国かな、尾崎の句の淋しき
牧野の雑誌「文科」すべて四輯の淋しき
辻潤もこの地を愛した、それの淋しき
透谷とミナの霞んだ写真の淋しき
赤い鳥小鳥の淋しき
ニシワキやサイカチの枯れて淋しき
サイカチ通りで狂信者に遭へる淋しき
だるまやで川崎長太郎に遭えぬ淋しき

2008年12月13日土曜日

感謝

昨晩は、詩の仲間たちが集ってくれて、ぼくの『樂府』出版のお祝いを、国立の「奏」でやってくれた。
新井さん、高貝さんも参加してくださり、とてもうれしかった。木村君の一時内地「帰国」祝いもかねており、彼の北海道の原野での建築中の「家」の写真などを見ながら話もはずんだ。そのうち、おくれて千石先生も来てくださった。千石先生の最近出版した本『9・11/夢見る国のナイトメア』(彩流社)の話も。福間さんがこの本を詳細まで読んでいるというような感じで批評していたのは、さすがだな思った。ぼくも気合を入れて読もうと思った。

相当に酔っ払って、岩田さん、千石先生、と議論しながら、あやうく片倉駅を乗り過ごすところだった。

みなさん、ありがとう。

2008年12月6日土曜日

加藤周一の死

加藤周一が昨日亡くなった。89歳だった。まともには読んではいないが、朝日の不定期の連載コラム『夕陽妄語』はよく読んだ。試験問題などにも何回も使ったりした。腰を据えた観察と的確な批評は、この国の浮薄を撃つだけではなく、文章自体も再読三読にたえるものだった。いよいよ、「知識人」らしき「知識人」はこの国からは払底し、売り尽くしの札が貼られるであろう。同じ頃11月28日にレビィ・ストロースは百歳の誕生日を迎え、サルコジ大統領が慶賀のために自宅を訪問したそうである。いろいろといわれるサルコジだが、この20世紀の偉大な文化人類学者を敬う気持は、人気取りの一環であれ、多少なりとも抱いていたということで、これと比較してわが邦のだれそれはと言うべき言葉もないのである。

昨日は立教の第9回目の授業だった。選んだ作品の合評に関して、ある受講生のリアクションカードを読んでいたら、冷たい批評が多すぎるという言葉が気になった。相互に批評させるのだが、率先して手をあげる人がいないので、ぼくが指名することになる。それが少し偏っているなとは思っていたけど、どうしても意見や批評をちゃんと言えるような学生を指名しがちになるのだ。その学生たちのコメントが冷たいと、この女学生は書いていた。冷たいというのはどういうことだろう?そう思えば、反論すればいいのではないか。次第に、いろんなことが表面化してきたようでもある。リベラルな場を作り出そうと、ぼくは最初の授業で語ったが、そのことの意味を再考しようと思った。あと少ししかないけれど。