Jacksonvilleから北へハイウェイ95、16号と車を飛ばして2時間ほどで目的地。Savannah はジョージア州有数の観光地。週末のせいもあり、相当の人出で賑わっていた。その家はオコーナーが13歳まで居住した所(Flannery O'Connor Childhood Homeで、ぼくが期待したような記念館ではなかった。(晩年の農場付きの家がAndalusiaというアトランタ寄りの所にあって、そこが記念館らしきイメージはあるが、そこまではとても遠いということ)
人のよさそうな案内係の中年の男性がいて、日本から来たというと、その家の入り口にゆき、鍵をかけて、ぼくのためだけに説明してやるという態勢をととのえる。娘が半分通訳してくれたから、ほぼ理解できたが、一人だけではおぼつかなかったろう。歴史的な景観保存地区で、家の2階の窓から正面に1870年代に建てられた大きなカソリックの教会(Cathedral of St.John the Baptist)の美しい尖塔が目に飛び込んでくる。これを少女時代のMary Flannery(案内のその人は必ずオコーナーのことをMary Flanneryと呼ぶ。これが本名で彼女は実際にこう呼ばれていたということ。Flanneryはいわゆるミドルネームである。作家として、いわばペンネームの意識でFlannery O'Connorを使ったのだという。すなわち、Mary Flannery O'Connorというアイリッシュの響きをもつ本名では本など全然売れないだろうと考えてミドルネームを名にしたのだという説明だった)が毎日眺めていて、またミサや他の奉仕行事などに通ったのだと思う。
少女時代のMary Flanneryの逸話をいくつも話してくれたが、それらはすべてこの少女が非常に変わった子供だったということを証明するものである。尼(nun)さんたちにも平気で自分の考えを主張する子だった、いつも孤独を好んでいた、童話はグリム童話しか読まなかった(彼女が読んだという本のまえで)、子供らしい童話は大嫌いだった、傑作なのは、裏庭(バックヤード)で母親が鶏を飼っていた、この裏庭はワーキングバックヤードとその係の人は言ったのだが、母親の仕事場のようなもので、そこで母親の仕事(卵を取ったり、鶏肉を料理したりか?)を手伝いながら、この少女にも鶏の飼育が命じられる。二羽の鶏が与えられたという。なんとまあMary Flanneryはこの鶏を後ろに歩くように調教したというのだ。そして実際に、この後ろに歩く鶏は有名になり、30年代のニュースフィルムにも取材されて今でも見る事ができるということで、見せてもらったりした。手紙の一節、
ーー私は内股歩きの子で、顎なしの少女です。もしあなたが私を一人にしてほっといてくれないのなら、私はあなたに噛み付きますよーーなどの説明。
すっかり疲れて、昼食の店に行くと、テレビで有名な料理おばさん系列の店ということで長蛇の列。おいしい南部料理の店ということだったが、並んだのはいいが、予約客以外はダメということがわかってそこを離れる。途中激しいスコールのような雨。なんとか食事をとったら、もう午後4時過ぎ。オマー(娘のパートナー)の素晴らしいドライブテクニックで他の車をぶっちぎるように抜きながら大雨と乾燥を繰り返すハイウェイを80マイルでフロリダへ帰ってきた。
3 件のコメント:
Mary O'corner(このつづりで正しいのでしょうか?)の子供時代のエピソード、その人間の思考と正確を際立たせていて、とてもおもしろく拝読。子供は、みなこのように育てられるべきではないでしょうか。この作家の母親も、環境の中のひとつの因子だとして。このエピソードは、何だかいまの私には勇気をもらったような気がします。
フロリダの雨、わたしも経験があります。葡萄のような大きな滴の烈しい雨だった。暖かいときに。そのとき、アメリカは大陸だなあと思ったことを思い出します。
I really appreciate your comment.
タクランケさんのコメントがとてもうれしい!
Mary O'cornnerの本をそこで買いました。
荷物になるのにね!
Jacksonvilleに滞在しているのですね。カリブ海を北上した先の半島にbanさんがいると考えると、感慨深いです。FaulknerのMississippiにも行く予定なのですね? 旅行記の続きを楽しみにしています。
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