2011年1月16日日曜日

冬ごもり

寒い。センター試験の受験生たちのことを少し思いやる。先週の金曜日で大学の10年度の授業も終わった。前年度の受講生二人と(一人はなぜか去年この授業の単位は取ったのに今期もほとんど休みなく聴講してくれた3年生、もう一人は4年生だが、この一年思うことがあって休学していた女学生。今年は復帰するという、単位はほとんど取得しているそうで、今年後期のゼミを一つだけ取ればいいということ。)池袋で飲んだ。N君は今、詩を書いている。詩を書きたい、書くことに熱中している。Hさんは自分の進路に対して真正面から向き合い、悩み考えている。一つの道が見えてきている。ぼくは自分の今期の講義の反省ともつかぬ愚痴を、このもの分かりのいい優しい学生二人に向かってぐだぐだ言いながら日本酒を飲んだ。それが金曜日の夜。帰りに西荻で途中下車して杉並高校のときの教え子(実際には授業はもたなかったが)がやっているソーヤーカフェに寄り、おいしいラム酒(なんて言う銘柄だったか忘れてしまった)を飲む。お店で彼の奥さんとも話をするが、彼女は岡山の出身で三沢浩二や秋山基夫を知っているというのには驚いた。そこに岡崎武士さんが入ってきた。私は挨拶をして帰った。

土曜日、日曜日とひきこもる。今年になって買った『蕪村句集講義1』(東洋文庫)を読む。これは子規、碧梧桐、鳴雪、虚子らの「蕪村句集」輪講の記録である。その輪講は明治31年の1月15日から36年4月6日まで63回にわたり行われた、それが逐次「ホトトギス」に連載され、その後に単行本として「冬之部」「春之部」「夏之部」「秋之部」として刊行されたということだ。それを東洋文庫として三巻に分けて出版するというもの。全部出たのかどうか知らないけど、その一巻目「冬之部」を国立の増田書店で購入した。早稲田の佐藤勝明という人が校注している。この人はやはり最近出た(去年だが)『芭蕉全句集』(角川ソフィア文庫)の訳注者の一人でもある。

その中から「冬ごもり」の句。

「居眠りて我にかくれん冬ごもり」
これに対して碧梧桐は以下のように記す。
―汚れたる浮世の我を忘れて、暫く清浄の界に遊ばんといふ心なるべし。我を客観に見るが故に我にかくれんとと言ふ。居眠るは仮寝にして膝などを抱えたる侘人のさまをも想像すべく、冬籠の情を得たり。芭蕉が金屏の松の古びや、と詠ぜしは其客観にして、この句は即ち其主観なるべし。この句も時の連想少なき句なり。―

後半ちょっとわかりにくいが、芭蕉の「金屏の松の古さよ冬籠」との対比などいろいろ考えさせる。

「冬ごもり壁をこころの山に倚る」
「冬ごもり灯下に書すとかかれたり」

「勝手まで誰が妻子ぞ冬ごもり」
この句についての輪講の記録者は子規だが以下のように書いている。輪講の場を彷彿とさせる。
―鳴雪翁曰く、主人奥の間に冬籠りし居る時、勝手(松山にて茶の間といふが如し)の方に何やら話し声のするを聞き咎めて「さては何処の妻君か子供をつれておとづれたりと見ゆるは」と思へるなり。もっともこの来客は勝手まで来て、此の家の家内分と話したるのみにて、主人には面会もせず帰りたれば、主人はそれを誰とも知らぬなり。かく主人には面会せずして帰る処、冬籠りの情を穿ちたり。但し蕪村にしては悪き句なり(露月氏も悪句と為す)。
子規曰く、明解を得て疑団釈けたり。この趣向、太祇・几董などの多く作る所なり。この句を蕪村集中の佳什とは思はねど、鳴雪翁の如くは貶せず。蓋し複雑したる趣向を善く言ひ得たる処、伎倆驚くべきものあり。蕪村ならでは到底言ひをほせずと信ずればなり。―

「冬ごもり仏にうときこころ哉」これも子規の記録による。
―鳴雪翁曰く、万事を抛ちて冬籠り居れば、もとより寺詣りするでも無く、また内で勤行するでも無く、只為す事も無くて日を暮らすにぞ、自ら仏に疎遠になった心持ちはすると詠みたるなり。最も趣味深き句なり。―

蕪村の冬籠り、それを解釈する子規たち明治人の冬籠り、そしてわたしの冬籠り、共通するものは何処にあるか。

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