昨日は小生の輪講の番だった。にわか勉強、一夜漬け気味だったが、なんとか、
『冬の日』の最後の荷兮の発句「霜月や鸛の 彳々ならびゐて」から始まる歌仙の発表用レジュメをぎりぎりまでかかって作ることができた。午後2時開始に間に合ったという意味。いつもの市民センターの会議室に行くと、蛙鳴とタク和尚は既に着席して遅しという風情で小生を一瞥したようだった。遅参をわびるまもなく、蕃氏は怒濤のごとく、口角泡をとばし、立て板に水とばかりに、午後5時まで、36句を縦横に説ききたり説き去ったのであった、というのは嘘で、三名なごやかに一句一句嘗めるように味読したのであった。以下、気に入った付合の一続きを引用しておこう。
麻かりといふ歌の集あむ (芭蕉)
江を近く独楽庵と世を捨て ( 重五)
我月出よ身はおぼろなる (杜国)
「麻かり」という歌集の名前がいつまでも心に残る。 杜国の「月」の句も忘れられない。
泥のうへに尾を引鯉を拾ひ得て (杜国)
御幸に進む水のみくすり (重五)
この二句も、とくに杜国の願望が彼の実人生に照らしてみると切ないほどである。芭蕉復興に尽力した名古屋の俳人で、蕪村などと同時代の加藤暁台は杜国のこの句を「拾ヒ得テ放ス心ナラン」と評したというが(安東次男の『芭蕉連句評釈』下による)、深切な見方である。
「御幸に進む水のみくすり」ならぬ「養老」の酒がわれわれのいつもの輪講の後の愉楽であったことは言うまでもない。
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