今日の散歩でカワセミを三度目撃す。生まれてはじめて、この美しい鳥をデジカメで撮影することが出来た。杉の木の枝と二度目の遭遇時の土手の写真である。興奮した。三度目は高速で川面をなめながら飛行していった。この眼に恵まれた幸せだけでいいと思った。
ダイヤモンド冨士などと喧伝するから、撮ってみよう思うのだが、昨日も今日も冨士はその姿を見せなかった。ただ、その近辺の残照の美しさは今が最高である。
蕪村に「桃源の路次の細さよ冬ごもり」という句がある。尾形 仂の鑑賞はこうだ。
「…桃源境に到達するまでの途中の道の何と狭いことだろう、と嘆じたものにほかならない。一句は、冬ごもりを極め込んではみたものの、世間の俗用が立て混んで、容易に桃源の安楽な気分には浸らせてくれない、というのである。」
「路次ロシ」は「路地ロジ」ではないという読みから、尾形先生はちょっと日常につきすぎた読みをあえて出しているのだが、それはこまごまとした日常そのものを桃源と読む読み方を行き過ぎであろうと思ったからにちがいない。
今の私はどらかといえば尾形説に与したい。日常を非日常に化するエネルギーの減衰と、しかしそれゆえ美なるものへの敬愛の強さを最近とみに感じているからである。
2 件のコメント:
カワセミを自分の眼でみたことがまだありません。うらやましいです。
でもここで見せて頂けてしあわせです。
夕空も川面に映りこんできれいな風景。
富士山は我が家のベランダからも見えますが、電線や信号機や樹木の枝に邪魔されてなかなかいい写真が撮れません。もっと遠くまで行かなければ。
Akiさま、ありがとうございます。最近は文学よりも、こうした風景のほうになぜか強くひかれます。
寒いです。ご自愛ください。
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