さて、このコラムの内容を適宜引用もまぜながら紹介してみよう。
「己の気分を天や神に仮託する政治家」として駒野は「我欲の人」と前大阪府議会議長の発言、もちろん3.11の大震災へのそれを取りあげている。前者の「天罰」、後者の「天の恵み」。後者は橋下が構想する府庁舎移転先が地震で少し壊れた故に、反橋下である自分にとって「惠」だというような意味での発言だったと弁解したらしい。これは取りあげるに値しない。しかし「我欲の人」は4選を果たし、後者の前議長は可哀想に落選した。これも「天意か、はたまた天の配剤か」と駒野は書いている。私がこのコラムで注目したのは、天変地異などに遭遇したときに「天罰」などの、所謂「天譴」説発言は昔からあり、そのことを痛烈に批判した柳田國男の発言が紹介されていたからである。関東大震災のとき、柳田はロンドンにいたのだが、デンマークで開かれた万国議員会議に列席した日本の代議士たちがロンドンに立ち寄った。そして林大使宅に集まり「悲しみと愁いの会話を交えている」時のことだった。ある年長の議員が「もっも沈痛なる口調をもって、こういうことを言った。これは全く神の罰だ。あんまり近頃の人間が軽佻浮薄に流れていたからだと言った」と、柳田は書いている。(これらは柳田全集25巻所収の「青年と学問」の「南島研究の現状」という節から、仮名遣い漢字などを適宜変えて私が引用していることを註記しておく)。これを読むと、この長老議員の「もっも沈痛なる口調」と「我欲の人」のそれとは大いに異なるが、発言の主旨はほぼ同様だ。さて、これに対して柳田はどう反論したか。このコラムに載せられていない部分も含めて引用しておく。
私はこれを聴いて、こういう大きな愁傷の中ではあったが、なお強硬なる抗議を提出せざるをえなかったのである。本所深川あたりの狭苦しい町裏に住んで、被服廠に逃げこんで一命を助かろうとした者の大部分は、むしろ平生から放縦な生活を為しえなかった人々ではないか。彼らが他の碌でもない市民に代わって、この残酷なる制裁を受けなければならぬ理由はどこにあるかと詰問した。
私は柳田の「他の碌でもない市民に代わって」という部分を「我欲の人」やその他の同類の政治家などに変更したいほどであるが、それはさておき、柳田の発言にはさすが「常民」の研究に一生を捧げた人の発言だと改めて感じ入ったのである。この発言を知っていれば、「我欲の人」の「天罰」発言をもっと根底から批判できたのにとも思った。駒野は最後に次のように書いている。
さて都知事選結果を見ると「天の声」は、発言を忘れたか、大したことではないと判断したのだろう。それとも、まかり間違って共感したか?
忘れたと言えば、新銀行東京や五輪招致騒動も、はや忘却の彼方か。そんなに忘れっぽいと、忘れたころにやってくるという「天」の動きにはひとたまりもあるまい。
いや、「天の声」は、この結果こそ「天罰」と正しく言ったのだと、私は思う。柳田のこの発言をネットで調べたところ、石原の発言にからませて最初に言及していたのは「琉球新報」社の4月8日付けのコラム「金口木舌」であった。これにも脱帽する。
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