2012年9月24日月曜日
オスプレイ配備
クローズ・アップ現代を見ていて、思ったこと。オスプレイ配備 の問題について、先日ニューヨーク・タイムズの社説には、沖縄の 古傷に塩をなすりつけるようなものだということが書かれていたが 、アメリカの大新聞に、そのように書かせたのは誰だったのか?そ れは沖縄県(民)の地道な努力、知事公室に対アメリカの基地政策 を分析する部門を設けたり、アメリカの関係者たちとの接触を重ね て、直接に沖縄の問題を訴え続けてゆくという努力、自治体の今ま でとは異なる情報収集能力やアメリカとの直接的なパイプ(専門家 などとの)の建設などの、画期的な変化によるものであって、決し て日本政府ではない、というようなことが報じられていた。私もそ うだと思う(そのような部門がこれからも県民のために働いてくれ ることを望む)。ことほどさように、クニのアメリカとの安全保障 (特にその地位協定など)における、その従属性とそれに慣れた政 治家、官僚には到底できない対応だと思う。ここまで沖縄は歩いて きたのだ。何名かわからないが、自民党の総裁選に出ている候補者 のおしなべての対米従属の考えには、今さらながら吃驚した。民主 が壊したアメリカとの関係をしっかりしたものに直す、などと大昔 の冷戦時代に逆戻りするかのような話ばかりだ。(仮想敵は中国と ロシアと今度は韓国と言うのか。アメリカも驚くだろう。)
2012年4月6日金曜日
僧侶になる
今朝の朝日新聞、知花昌一さんが、大谷派の僧侶になったという記事があった。写真も添えられていた。1987年の沖縄国体で読谷村(知花さんの村だ)のソフトボール会場に掲げられた「日の丸」を引きずり下ろし焼いた人だ。ノーマ・フィールド「天皇の逝く国で」にはノーマによる彫りの深い知花さんのルポルタージュ― a supermarket owner―がある。これを読んで知花さんの行動の必然とその人となりを知り、普通の人による内在的なconformism批判の行動の重要性というのを学んだ。もちろん沖縄、読谷における「集団自決」の出来事などが知花さんに戦前、戦争時の軍国主義日本とそのシンボルとしての'rising sun'に対する憎悪の念を抱かせたには違いないが、そのような憎悪の気持ちと一人の普通の人間として日常の行動の中で思想として組み立て、訴えていくこととはまた別のことだとも思う。その困難な道を知花さんは妥協することなく歩んできて、今は僧侶になったということだろう。かつての過激な「反戦地主」と今はどうつながっているのだろうか。「沖縄を戦争のためにもう使わせない。仏教は平和と平等を願うもの。その精神を基地問題にも貫いてゆきたい。」と語っている。知花さんならやれるし、やるだろう、と思う。
2012年3月13日火曜日
喜劇
大阪府立高の卒業式で、教員が君が代を歌っているかどうか迄を監視するという喜劇が演じられた(起立、不起立の監視が主たるもののはずだが)。この高校の管理職は例の市長に報告し、お褒めの言葉を頂戴したという。03年に都立校で強制されたことが、もっとひどい、品性を疑うような仕方で行われている。卒業式はだれのためにあるのか?維新の会のために?生徒たちの高校最後の日に、3年間の様々な経験や思い出をかみ締めている生徒や教員、保護者などを前に府議などが来賓席でそれこそ自己宣伝にすぎない君が代関係の「政治」的な話をする(米長が都の教育委員をやっていたとき、園遊会で雰囲気を読めずに、全国で君が代起立や斉唱で頑張るなどという発言を天皇の前でして、天皇にたしなめられたことがあったが、恥ずかしさはそれより少ないというものではないだろう)。こういう議員は何の権利があって卒業式をぶちこわすことができるのか。君の議員生活より、長い伝統のある式を。
いつも考えることがある。それは教育というのは、三流政治屋どもの恰好の自己主張、宣伝の場であるということ。言いかえれば屑のような発言のゴミ捨て場のようなものである。カラスのように日の丸・君が代でなきわめけばいいということだ。彼らの君が代はだれのための君が代か。自分だけの君が代に決まっている。次にちょっと才気があるふりをしたいなら、「経営」者風の言説ですべてを切ればいい。その底にあるのは、「現場」の息や、生徒たちと教員がつくりあげてきた、その学校独特のスタイルに対する嫉妬と敵意に他ならない。ほんとうに、ほっといてくれよ、と言いたくなる。
「強制」、一度目は悲劇だが、二度目は喜劇だ。でもその喜劇は「きなくさい」。東北に目を向けねばならぬときに、その悲惨さにまぎれて、もっともエゴイスティックな連中が台頭してきている。
いつも考えることがある。それは教育というのは、三流政治屋どもの恰好の自己主張、宣伝の場であるということ。言いかえれば屑のような発言のゴミ捨て場のようなものである。カラスのように日の丸・君が代でなきわめけばいいということだ。彼らの君が代はだれのための君が代か。自分だけの君が代に決まっている。次にちょっと才気があるふりをしたいなら、「経営」者風の言説ですべてを切ればいい。その底にあるのは、「現場」の息や、生徒たちと教員がつくりあげてきた、その学校独特のスタイルに対する嫉妬と敵意に他ならない。ほんとうに、ほっといてくれよ、と言いたくなる。
「強制」、一度目は悲劇だが、二度目は喜劇だ。でもその喜劇は「きなくさい」。東北に目を向けねばならぬときに、その悲惨さにまぎれて、もっともエゴイスティックな連中が台頭してきている。
2011年7月18日月曜日
なでしこの戦い
「なでしこ」の含意は様々だが、すべて歴史的なものだろう。とくにこれとヤマトが接続した大和撫子は、なにか特別な意味を持っているようだ。清楚、辛抱強さ、りりしさ、日本女性の典型。日本代表の女子サッカーチームが公募でその名を募集したときに選ばれたのが「なでしこJapan」という名であった。そのときに、この名のコノテーションが問題になることはなかったと思う。この名にまつわるもろもろの、作られ強制された無意識―変な言い方だが―(清楚、優しさ、母性、辛抱強さ、殉教など)を爽やかに打破してくれたのが、今回の2011 FIFA Women's World Cupにおける日本代表、すなわち「なでしこJapan」の優勝であると私は考える。このチームの戦いを私は今日未明のアメリカとの決勝戦しか知らない(テレビで観戦したのは、この一つ)のだが、見ていて深い感銘を覚えた。
試合の前半ではアメリカの猛攻の前にいつ失点しても当然のような試合だった。素人から見たら、単に運のようなものが失点を免れさせたのだとしか思えなかった。ここをゼロゼロで持ちこたえた。後半には交代したばかりのアメリカのモーガンにドリブルで切り込まれ点を入れられた。ああ、と思った。でも、後半終了十二分前ごろにアメリカのゴール前でのもつれからすばやく宮間が蹴り込み、同点にした。このすばやさ、躊躇のなさ、しかも流れるような自然さに私は感動した。秘かに、Samuraiたちなら絶対に失敗したろうなどと失礼な感想を抱いたものだ。延長に入り、ワンバックの美しく強力なヘデイングで再び引き離されたが、後半に澤(なんという選手だろう!)の神業的なシュートで再び同点。決着つかず、PK戦にまでなり、日本が勝利を手にした。澤は得点王となり、MVPにも選ばれた。閉会式のセレモニー、その後の彼女たちのインタビューも見た。的確で無駄のない受け答え、しかも特筆すべきは、全然情緒的ではないこと、みんなが言いたいことを持っていて、しかも自分の頭で考えたことを、きちんとした日本語(スポーツ選手にありがちな、「"ら"抜き言葉」など一切なかった)で喋っていた、そのことを素晴らしいと思った。そして今までよくあった、こういう場合に、すべてにおいて扇情的なインタビュアーの質問もあまりなかったと私は思った。それはインタビュアーたちも、彼女たちの冷静で知的な応対に負けるしかなかったのだとも思う。
それから朝刊を読んだ。当然ながら、このゲームの結果は載っていない。そこにある嫌な、胸がむかつく記事があるのを眼が捉えた。私は瞬間にその記事を読むまいと思ったのだが、やはり眼を通さざるをえなかった。石原都知事の定例の記者会見の記事で、彼の口調そのままに書かれている。私はむかつきをこらえて後世のためにこれを筆写しておく。
―「女は強いですな、つくづく。男はだらしねえけどね。結構なことじゃないですか。(中略)とにかく最後に、アメちゃんにだけは勝ってもらいたいな。そうしたら、やっぱり日本人は留飲下げるよ。(中略)俺なんか古い人間だから、65年の遺恨っていうのがあるわけだよ、戦に敗れてからの。君ら、全然痛痒を感じていないだろうけどさ」(15日の定例記者会見)。―
夜郎自大、非常識、チンピラ、の発言だ。全力を尽くして戦ったアメリカの選手に対するこれ以上の非礼はないし、日本選手たちの栄冠も汚す発言だ。そういうことになるという想像力の一かけらもない人間。恥ずかしさを通り越して悲しくなり、やがてはこの男は道化かとも思わざるをえない、いや道化ではない、比べるのは道化に悪い。それにしても「アメちゃん」か、ぼくらをジャップと呼ぶようないかなるアメリカ人も私には想像できない。震災被害を深く悲しみ、あえて日本国籍を選ばれた老齢のキーン先生はどう思うだろうか。この老齢になっても、それ相応の叡智のかけらもない、今も障子破りのチンピラ作家都知事を。そしてこんなことを発言する男に五輪などを日本に招致する旗頭の役やその資格などつとまりもしないし、あるはずもない。都民の血税をまたドブに捨てて蛙の面に小便ですまそうというのだ。それにしてもなんとまあ、この男に寛容な事よ、都民たちは。
(結論)愚かな知事の発言や、これからなされるであろうメディアの虚飾に満ちた歓迎や扇情的な露出、また震災がらみの強制的な美談に取り込まれるのに抗して、「なでしこ」たちはこの試合のように冷静に、決してあきらめず、なによりも笑顔を忘れずに縦横に自らの道を切り開いてゆくであろう。そうであってほしい、最後のPK戦までになろうとも。
(教訓)私も、この知事のような考えと、それをよしとする勢力との戦いをあきらめることがないようにしよう。「なでしこ」の強さが教えたことを大切にしよう。
試合の前半ではアメリカの猛攻の前にいつ失点しても当然のような試合だった。素人から見たら、単に運のようなものが失点を免れさせたのだとしか思えなかった。ここをゼロゼロで持ちこたえた。後半には交代したばかりのアメリカのモーガンにドリブルで切り込まれ点を入れられた。ああ、と思った。でも、後半終了十二分前ごろにアメリカのゴール前でのもつれからすばやく宮間が蹴り込み、同点にした。このすばやさ、躊躇のなさ、しかも流れるような自然さに私は感動した。秘かに、Samuraiたちなら絶対に失敗したろうなどと失礼な感想を抱いたものだ。延長に入り、ワンバックの美しく強力なヘデイングで再び引き離されたが、後半に澤(なんという選手だろう!)の神業的なシュートで再び同点。決着つかず、PK戦にまでなり、日本が勝利を手にした。澤は得点王となり、MVPにも選ばれた。閉会式のセレモニー、その後の彼女たちのインタビューも見た。的確で無駄のない受け答え、しかも特筆すべきは、全然情緒的ではないこと、みんなが言いたいことを持っていて、しかも自分の頭で考えたことを、きちんとした日本語(スポーツ選手にありがちな、「"ら"抜き言葉」など一切なかった)で喋っていた、そのことを素晴らしいと思った。そして今までよくあった、こういう場合に、すべてにおいて扇情的なインタビュアーの質問もあまりなかったと私は思った。それはインタビュアーたちも、彼女たちの冷静で知的な応対に負けるしかなかったのだとも思う。
それから朝刊を読んだ。当然ながら、このゲームの結果は載っていない。そこにある嫌な、胸がむかつく記事があるのを眼が捉えた。私は瞬間にその記事を読むまいと思ったのだが、やはり眼を通さざるをえなかった。石原都知事の定例の記者会見の記事で、彼の口調そのままに書かれている。私はむかつきをこらえて後世のためにこれを筆写しておく。
―「女は強いですな、つくづく。男はだらしねえけどね。結構なことじゃないですか。(中略)とにかく最後に、アメちゃんにだけは勝ってもらいたいな。そうしたら、やっぱり日本人は留飲下げるよ。(中略)俺なんか古い人間だから、65年の遺恨っていうのがあるわけだよ、戦に敗れてからの。君ら、全然痛痒を感じていないだろうけどさ」(15日の定例記者会見)。―
夜郎自大、非常識、チンピラ、の発言だ。全力を尽くして戦ったアメリカの選手に対するこれ以上の非礼はないし、日本選手たちの栄冠も汚す発言だ。そういうことになるという想像力の一かけらもない人間。恥ずかしさを通り越して悲しくなり、やがてはこの男は道化かとも思わざるをえない、いや道化ではない、比べるのは道化に悪い。それにしても「アメちゃん」か、ぼくらをジャップと呼ぶようないかなるアメリカ人も私には想像できない。震災被害を深く悲しみ、あえて日本国籍を選ばれた老齢のキーン先生はどう思うだろうか。この老齢になっても、それ相応の叡智のかけらもない、今も障子破りのチンピラ作家都知事を。そしてこんなことを発言する男に五輪などを日本に招致する旗頭の役やその資格などつとまりもしないし、あるはずもない。都民の血税をまたドブに捨てて蛙の面に小便ですまそうというのだ。それにしてもなんとまあ、この男に寛容な事よ、都民たちは。
(結論)愚かな知事の発言や、これからなされるであろうメディアの虚飾に満ちた歓迎や扇情的な露出、また震災がらみの強制的な美談に取り込まれるのに抗して、「なでしこ」たちはこの試合のように冷静に、決してあきらめず、なによりも笑顔を忘れずに縦横に自らの道を切り開いてゆくであろう。そうであってほしい、最後のPK戦までになろうとも。
(教訓)私も、この知事のような考えと、それをよしとする勢力との戦いをあきらめることがないようにしよう。「なでしこ」の強さが教えたことを大切にしよう。
2011年4月14日木曜日
柳田國男の発言
朝日新聞に「社説余滴」というコラムがある。今日は駒野剛という人が書いているが、それを読んで溜飲が下がる思いがした。我が都知事、石原慎太郎批判である。批判と言うよりは揶揄か。私は彼のことをを「我欲の人」と呼ぶことにしているから、以下そう書く。
さて、このコラムの内容を適宜引用もまぜながら紹介してみよう。
「己の気分を天や神に仮託する政治家」として駒野は「我欲の人」と前大阪府議会議長の発言、もちろん3.11の大震災へのそれを取りあげている。前者の「天罰」、後者の「天の恵み」。後者は橋下が構想する府庁舎移転先が地震で少し壊れた故に、反橋下である自分にとって「惠」だというような意味での発言だったと弁解したらしい。これは取りあげるに値しない。しかし「我欲の人」は4選を果たし、後者の前議長は可哀想に落選した。これも「天意か、はたまた天の配剤か」と駒野は書いている。私がこのコラムで注目したのは、天変地異などに遭遇したときに「天罰」などの、所謂「天譴」説発言は昔からあり、そのことを痛烈に批判した柳田國男の発言が紹介されていたからである。関東大震災のとき、柳田はロンドンにいたのだが、デンマークで開かれた万国議員会議に列席した日本の代議士たちがロンドンに立ち寄った。そして林大使宅に集まり「悲しみと愁いの会話を交えている」時のことだった。ある年長の議員が「もっも沈痛なる口調をもって、こういうことを言った。これは全く神の罰だ。あんまり近頃の人間が軽佻浮薄に流れていたからだと言った」と、柳田は書いている。(これらは柳田全集25巻所収の「青年と学問」の「南島研究の現状」という節から、仮名遣い漢字などを適宜変えて私が引用していることを註記しておく)。これを読むと、この長老議員の「もっも沈痛なる口調」と「我欲の人」のそれとは大いに異なるが、発言の主旨はほぼ同様だ。さて、これに対して柳田はどう反論したか。このコラムに載せられていない部分も含めて引用しておく。
私は柳田の「他の碌でもない市民に代わって」という部分を「我欲の人」やその他の同類の政治家などに変更したいほどであるが、それはさておき、柳田の発言にはさすが「常民」の研究に一生を捧げた人の発言だと改めて感じ入ったのである。この発言を知っていれば、「我欲の人」の「天罰」発言をもっと根底から批判できたのにとも思った。駒野は最後に次のように書いている。
いや、「天の声」は、この結果こそ「天罰」と正しく言ったのだと、私は思う。柳田のこの発言をネットで調べたところ、石原の発言にからませて最初に言及していたのは「琉球新報」社の4月8日付けのコラム「金口木舌」であった。これにも脱帽する。
さて、このコラムの内容を適宜引用もまぜながら紹介してみよう。
「己の気分を天や神に仮託する政治家」として駒野は「我欲の人」と前大阪府議会議長の発言、もちろん3.11の大震災へのそれを取りあげている。前者の「天罰」、後者の「天の恵み」。後者は橋下が構想する府庁舎移転先が地震で少し壊れた故に、反橋下である自分にとって「惠」だというような意味での発言だったと弁解したらしい。これは取りあげるに値しない。しかし「我欲の人」は4選を果たし、後者の前議長は可哀想に落選した。これも「天意か、はたまた天の配剤か」と駒野は書いている。私がこのコラムで注目したのは、天変地異などに遭遇したときに「天罰」などの、所謂「天譴」説発言は昔からあり、そのことを痛烈に批判した柳田國男の発言が紹介されていたからである。関東大震災のとき、柳田はロンドンにいたのだが、デンマークで開かれた万国議員会議に列席した日本の代議士たちがロンドンに立ち寄った。そして林大使宅に集まり「悲しみと愁いの会話を交えている」時のことだった。ある年長の議員が「もっも沈痛なる口調をもって、こういうことを言った。これは全く神の罰だ。あんまり近頃の人間が軽佻浮薄に流れていたからだと言った」と、柳田は書いている。(これらは柳田全集25巻所収の「青年と学問」の「南島研究の現状」という節から、仮名遣い漢字などを適宜変えて私が引用していることを註記しておく)。これを読むと、この長老議員の「もっも沈痛なる口調」と「我欲の人」のそれとは大いに異なるが、発言の主旨はほぼ同様だ。さて、これに対して柳田はどう反論したか。このコラムに載せられていない部分も含めて引用しておく。
私はこれを聴いて、こういう大きな愁傷の中ではあったが、なお強硬なる抗議を提出せざるをえなかったのである。本所深川あたりの狭苦しい町裏に住んで、被服廠に逃げこんで一命を助かろうとした者の大部分は、むしろ平生から放縦な生活を為しえなかった人々ではないか。彼らが他の碌でもない市民に代わって、この残酷なる制裁を受けなければならぬ理由はどこにあるかと詰問した。
私は柳田の「他の碌でもない市民に代わって」という部分を「我欲の人」やその他の同類の政治家などに変更したいほどであるが、それはさておき、柳田の発言にはさすが「常民」の研究に一生を捧げた人の発言だと改めて感じ入ったのである。この発言を知っていれば、「我欲の人」の「天罰」発言をもっと根底から批判できたのにとも思った。駒野は最後に次のように書いている。
さて都知事選結果を見ると「天の声」は、発言を忘れたか、大したことではないと判断したのだろう。それとも、まかり間違って共感したか?
忘れたと言えば、新銀行東京や五輪招致騒動も、はや忘却の彼方か。そんなに忘れっぽいと、忘れたころにやってくるという「天」の動きにはひとたまりもあるまい。
いや、「天の声」は、この結果こそ「天罰」と正しく言ったのだと、私は思う。柳田のこの発言をネットで調べたところ、石原の発言にからませて最初に言及していたのは「琉球新報」社の4月8日付けのコラム「金口木舌」であった。これにも脱帽する。
2011年4月8日金曜日
「想像」臨時号から
昨晩は脳天気なことを日記に書いていたら、突然揺れ出した。前回のことがあるから、少しは余裕があったけど怖かった。東北沿岸の被災地の人々はやりきれないだろうと思う。水と電気がなんとか復旧したと思ったら、わずか2日ばかりで、また断水と停電、疲れ切った顔で話している人々をテレビ画面で見ている。原発の無事故を喧伝しているニュース。 鎌倉にお住まいの羽生康二さんは、いつもその個人誌「想像」を送って下さる。今日はその132号と臨時号の二冊が届いた。臨時号に「とうとう原発大事故が起きた」というタイトルで書いていらっしゃる。その終わりを引用しておく。
羽生さんのように30年間の長きにわたり反原発を主張してこられた人の「今は無力感でいっぱいだ」という嘆きはこのうえもなく重い。他にもこのような嘆きを抱えている人は多いと思う。未来に向かって日本は(エネルギー政策を含めて)どのような選択をするかが問われている。その議論が次のような利益がらみのやり方で封殺されてはならないと思う。広河隆一氏のツイッターでの発言から。
1号機から4号機までの事故が報じられたとき、わたしは心配しおびえながらも、これで日本の原発はすべて廃止することになるだろう、と思った。日本中の人々が、原発のおそろしさを悟り、原発即時廃止という世論がわき上がるだろう、と思った。ところが、わたしの考えは甘かった。メディアには原発廃止の意見はほとんど見られず、世論も盛り上がる気配はない。電力確保のためには原発は必要だから安全対策をしっかりやってほしい、という声が大部分だ。
日本がこのまま原発を運転しつづけたら、必ずまた大事故が起きる。こんどと同様に地震が引き金となる可能性が大きいが、人為的なミスによることも充分ありうる。もし浜岡原発が地震でこわれたら、関西も関東も放射能まみれになるだろう。福井県には十数機もの原発があり、高速増殖炉もんじゅもある。これらのどれかが事故を起こしたら?と考えるとおそろしい。
「想像」を読み返してみると、1981年3月の12号から原発反対を主張してきた。1986年のチェルノブイリ原発事故以降は、JOCなど大きな事故があるたびに特集を組んで原発反対を訴えてきた。反原発運動の、高木仁三郎(原子力資料情報室)、山口幸夫(同)、小出裕章(京大原子炉実験所)、中嶌哲演(原発銀座・福井県小浜市の明通寺住職)などの方々に依頼して書いてもらった。「想像」で30年間原発反対を訴えてきたことが無駄だったとは思わないが、今は無力感でいっぱいだ。福島第一原発の大事故を機会に、日本中の人々が原発のおそろしさを悟ってほしいと願っている。(2011年3月29日)
羽生さんのように30年間の長きにわたり反原発を主張してこられた人の「今は無力感でいっぱいだ」という嘆きはこのうえもなく重い。他にもこのような嘆きを抱えている人は多いと思う。未来に向かって日本は(エネルギー政策を含めて)どのような選択をするかが問われている。その議論が次のような利益がらみのやり方で封殺されてはならないと思う。広河隆一氏のツイッターでの発言から。
広瀬隆と広河隆一を起用したとして、電事連(電力業界の宣伝をになう)が、上杉隆さんのやっているニュースターから広告を引き上げました。東電を批判したということで他のラジオ局からも引き上げたそうです。
2011年2月25日金曜日
This is America. Who are you?
藤永 茂先生のブログでRay McGovernという元CIAの情報アナリストだった人のことを知る。 http://www.opednews.com/articles/Ray-McGovern-Assaulted-B...
ヒラリー・クリントンのスピーチのときに、この老アナリストは、ヒラリーの欺瞞的な在り方に抗して、彼女に背を向けて、黙って立っているというスタイルで抗議をするのだが、このスタイルを彼は"silent witness"(静かな目撃者とでも訳しておこう)と名付けていて、他のところでもやったことがあるという。ところがこのヒラリーの演説会ではすぐさま手荒に逮捕された。
you tubeにも彼の逮捕(彼はなにも警告もうけずに暴行されるように逮捕される、ちょうど中国の公安がやるのと同じだ)に顔色も変えずに、演説を続行する神経の太いヒラリーの様子が映っている。
Rayは部屋から手錠を食い込まされて血だらけになりながら連れ出されるが、"This is America" "Who are you?"と叫ぶ、おそらくヒラリーへ向けて。
中東の民衆の蜂起を受けて、ヒラリーがさも偉そうに演説しているときの話、この2月15日の火曜日のこと。
ヒラリー・クリントンのスピーチのときに、この老アナリストは、ヒラリーの欺瞞的な在り方に抗して、彼女に背を向けて、黙って立っているというスタイルで抗議をするのだが、このスタイルを彼は"silent witness"(静かな目撃者とでも訳しておこう)と名付けていて、他のところでもやったことがあるという。ところがこのヒラリーの演説会ではすぐさま手荒に逮捕された。
you tubeにも彼の逮捕(彼はなにも警告もうけずに暴行されるように逮捕される、ちょうど中国の公安がやるのと同じだ)に顔色も変えずに、演説を続行する神経の太いヒラリーの様子が映っている。
Rayは部屋から手錠を食い込まされて血だらけになりながら連れ出されるが、"This is America" "Who are you?"と叫ぶ、おそらくヒラリーへ向けて。
中東の民衆の蜂起を受けて、ヒラリーがさも偉そうに演説しているときの話、この2月15日の火曜日のこと。
2010年6月2日水曜日
「友愛」の行く末
鳩山首相が辞めた。小沢幹事長も。宇宙飛行士の宇宙滞在よりは100日ほど長く、独裁者たちよりは限りなく短い在職期日であった。日本の首相の賞味期限は1年を待たないということが4名によって実証された。
先日、雁屋哲のブログを読み、「真の敵は誰か」ということで、それはアメリカであるということが説得的にそこには書かれていた。なるほどと肯くことが多かった。1972年の沖縄返還時からの密約のつけは巨大化し、それを結局は待望の政権交代を果たした民主でも清算できなかったということなのか。1972以前からの問題でもある、安保にからんで一党独裁のように続いてきた自民、いわゆる55年体制のトラウマをこの政権こそは真っ当に見据えて、アメリカと対等な関係を築かなければならなかったのに、またも潰えたということでもある。
それを未だ生き残る「巨悪」たち、某新聞社主、某首相経験者、某某などや、あいも変わらぬ安保フェチストたち、安保オタク、冷戦思考のお化けたち、そして検察たち、滅び去るべきマスメディアたちの、野合が鳩山を結局はつぶしたということになるのか。
鳩山の辞職に、中国は即座の反応をし、大々的にニュースで取りあげた、ロシアも、韓国も。今の時点で何の反応もないのがアメリカ。それでもnhkのニュースで、アメリカ特派員は、鳩山の普天間の「迷走」ぶりに、不快を示したなどとアメリカ政権(まだ寝ていて、なんの反応もない)の従前からみんなが「耳タコ」状態になっている、おきまりのアメリカの反応を最初から明示し、鳩山辞職への、アメリカのいまだなされぬコメントの創作をもいとわぬ解説ぶりだった。要するに、戦後からの刷り込み(アメリカは先生、日本はまだ生徒)のはなはだなること払いがたしということがよくわかる。
友愛の次は争闘か。
今、ツイッターを見たら、鳩山元首相が次のように呟いていた。
―hatoyamayukio 本日、総理の職を辞する意思を表明しました。国民の皆さんの声がまっすぐ届く、クリーンな民主党に戻したいためです。これからは総理の立場を離れ、人間としてつぶやきたいと思っています。引き続きお付き合い下さい。―
先日、雁屋哲のブログを読み、「真の敵は誰か」ということで、それはアメリカであるということが説得的にそこには書かれていた。なるほどと肯くことが多かった。1972年の沖縄返還時からの密約のつけは巨大化し、それを結局は待望の政権交代を果たした民主でも清算できなかったということなのか。1972以前からの問題でもある、安保にからんで一党独裁のように続いてきた自民、いわゆる55年体制のトラウマをこの政権こそは真っ当に見据えて、アメリカと対等な関係を築かなければならなかったのに、またも潰えたということでもある。
それを未だ生き残る「巨悪」たち、某新聞社主、某首相経験者、某某などや、あいも変わらぬ安保フェチストたち、安保オタク、冷戦思考のお化けたち、そして検察たち、滅び去るべきマスメディアたちの、野合が鳩山を結局はつぶしたということになるのか。
鳩山の辞職に、中国は即座の反応をし、大々的にニュースで取りあげた、ロシアも、韓国も。今の時点で何の反応もないのがアメリカ。それでもnhkのニュースで、アメリカ特派員は、鳩山の普天間の「迷走」ぶりに、不快を示したなどとアメリカ政権(まだ寝ていて、なんの反応もない)の従前からみんなが「耳タコ」状態になっている、おきまりのアメリカの反応を最初から明示し、鳩山辞職への、アメリカのいまだなされぬコメントの創作をもいとわぬ解説ぶりだった。要するに、戦後からの刷り込み(アメリカは先生、日本はまだ生徒)のはなはだなること払いがたしということがよくわかる。
友愛の次は争闘か。
今、ツイッターを見たら、鳩山元首相が次のように呟いていた。
―hatoyamayukio 本日、総理の職を辞する意思を表明しました。国民の皆さんの声がまっすぐ届く、クリーンな民主党に戻したいためです。これからは総理の立場を離れ、人間としてつぶやきたいと思っています。引き続きお付き合い下さい。―
2010年4月29日木曜日
思い、ウムイ、徳之島
普天間基地の一部機能の徳之島移設の問題についての甲府の女性の投書(4月25日・朝日新聞・声欄掲載)を読んだ。島の反対集会や3町長の政府側との面会拒否によせて、「徳之島で要らぬものは沖縄でも要らぬ。そんな思いには至らないのだろうか。徳之島が基地の町にならなかったらそれで解決なのだろうか」と書かれている。その前に考えて欲しい。あの反対集会に参加した人々は単に自分たちの島だけがよければなどと考えて「基地反対」と主張しているのだろうか。古くは薩摩の搾取にあえいだ奄美の島として、また沖縄とともに戦後米軍の冷戦戦略の一端として53年まで分断支配されていた歴史、それまでもそうだったが復帰してからの困窮にたえた生活の経験、それらが「長寿、子宝、癒しの島に米軍基地はいらない」というスローガンに集約されているのではないか。普天間、沖縄の強いられている負担を、一番身近で同様な文化圏に属するものとして骨身にしみてわかるからこそ「反対」なのではないか。当然のことだが、このスローガンは沖縄のものでもある。問題は徳之島の民意や3町長の対応にあるのではない。日本駐留米軍基地の問題を含めて、アメリカの軍事戦略そのものとそれに対する同盟国(対等とはとても言えない)としての旧態依然とした対応(政権は変わったのではないか、変わったよね。)の仕方こそが問題なのだ。
(26日頃に書いたものだが、昨日の鳩山首相の徳田虎雄との会見などもあり、事態は予断を許さない。いずれにせよ、最終的に苦難を引き受けるのはそこに住んでいる名もない人々である。米海兵隊の基地移設を最終的に容認せざるをえないように諸々の強制が「腹案」裏にメディアも含めて、いや率先して論調が操作されているようだ。そのことに対して深い危惧と怒りを感じる。これは徳之島に生を享けた一人の人間としての思いでもある。)
(26日頃に書いたものだが、昨日の鳩山首相の徳田虎雄との会見などもあり、事態は予断を許さない。いずれにせよ、最終的に苦難を引き受けるのはそこに住んでいる名もない人々である。米海兵隊の基地移設を最終的に容認せざるをえないように諸々の強制が「腹案」裏にメディアも含めて、いや率先して論調が操作されているようだ。そのことに対して深い危惧と怒りを感じる。これは徳之島に生を享けた一人の人間としての思いでもある。)
2010年4月7日水曜日
Forza del Destino「運命の力」
イタリア首相のベルルスコーニが1994年に立ち上げた政党名は、フォルツァ・イタリア(Forza Italia)と言って、イタリア頑張れ、というような意味らしいが(ベルディの歌劇にも、「運命の力」Forza del Destinoというのがあった)、自民党脱党の、鉄幹の孫や、平沼、園田某などが立ち上げた新政党の名は「立ち上がれ日本」というもので、これは石原慎太郎という都知事の命名らしい。ここにあるのは、ベルルスコーニの二番煎じで、そうであるからには、かつての枢軸国(独は自立しているけど)への、あの過去への、無意識の愛の突然の奔流ということか。
「過去への愛は現在への恨みと幾重にも綯い交ぜになっている」というのは、アドルノの言葉だ。
「過去への愛は現在への恨みと幾重にも綯い交ぜになっている」というのは、アドルノの言葉だ。
2010年2月26日金曜日
無益の事
石原都知事は歯に衣を着せぬ発言で知られるが、それも度を超せばただ非常識で大人げない。バンクーバー五輪の若い日本選手を「チンピラ」と呼んだり、「銅(メダル)を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」などと放言する。また「国家という重いものを背負わない人間が速く走れるわけがない、高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけがない」などと、五輪のあり方や選手の意識に無知な時代錯誤的な発言に終始する。選手たちに敬意をはらい、ねぎらう気持ちなどは皆無である。16年の東京五輪の招致失敗の自らの責任には一顧もしない人の発言である。こういう人が東京五輪の招致運動の旗を振ったところでだれもついていかないのは当然のことだ。
2009年10月6日火曜日
I t is good news! we will be there for sure.
ブラジルが大好きな友人、アメリカのDouglasに、2016年のオリンピックの開催地がリオに決まったことをお祝いするメールを出したところ、今日その返事が来た。個人的な内容は抜きにして引用すると、"I t is good news! we will be there for sure."と書いてあった。これは、ぼくが絶対二人で、その年には行こうぜ、と書いたことに対しての返信なのだ。僕たちは、まあ、内密な話だが、ブラジルで骨を埋めようというようなことを語ったことがある。いや正確にはそうではない。何回もブラジルに行って、貧民などに対してボランティアでいろんな援助をやったことのあるDouglas によると、ブラジルはアルカディアなのだという、それは、ブラジルであったことはブラジルで封印する、という都合のいいアルカディア観なのだが、それにしてもブラジルのことを 話すDougの眼の輝きが僕には忘れられない。 僕たちにとって、東京でのオリンピックなどというのは選択肢のなかには最初からなかった。こんな意地悪で品性下劣な知事の支配するところなど、それだけでオリンピック委員会というのか、候補地を決定する機関も選ぶのをためらうに決まっている。ここに書きたくもないのだが、東京というより、自分が選ばれなかった(都民の莫大な税金を浪費して)のでというほうが実情に近いが、昔の自民党の総裁選に似たカラクリが候補地決定には働いているなど、あるいは自分ではよく使った手法の身内主義(nepotism)などから敷衍して、候補地を決める委員会のなかに日本の身内を送り込んでおくべきだったとか、本当に情けない下劣なことを反省もなく喋ったのを心底恥ずかしい思いで見た。そしてその次の五輪に向けてはどうかと問われると、都民の意見を斟酌しなければ、などと本当に信じられないほど無責任な意見を述べる、今回に関しては斟酌したのか?自分の人気が危ないとなると、責任を転嫁する。あほらしくてもう書きたくないのでやめる。よくぞ、この男を何期も知事の座に据えてきたことよ!
asahi.comによると、
本当に馬鹿なやつだ。彼の好きそうな言葉であえて言えば「日本人としての」品性を疑う発言だ。リオの委員会の非難を全面的にぼくは支持する。
リオに2016年に行こう。Dougと一緒に。そして二人でもう帰ることをやめようかしら。
―from left ダグラス、ジョージ(ブラジルからアメリカに働きに来ている)―ダグラスの姉、マリーアン邸で―
asahi.comによると、
16年の夏季五輪開催地に選ばれたブラジル・リオデジャネイロの招致委員会は5日、東京都の石原慎太郎知事が、ライバル都市のイメージを損なう論評を禁じた国際オリンピック委員会(IOC)の規則に抵触する発言をしたと非難する声明を出した。IOCに正式に抗議するという。
リオの招致委は朝日新聞の取材に、「4日の記者会見で『裏取引』があったかのように言及した部分だ」と説明した。
石原知事は4日の会見で、「例えば、ブラジルの大統領が来てですね、聞くところ、かなり思いきった約束をアフリカの(IOC委員の)諸君としたようです。それからサルコジ(仏大統領)がブラジルに行って『フランスの戦闘機を買ってくれるなら(五輪招致で)ブラジルを支持する』とか」などと発言。開催地選考に関しても「目に見えない非常に政治的な動きがあります」と話していた。
本当に馬鹿なやつだ。彼の好きそうな言葉であえて言えば「日本人としての」品性を疑う発言だ。リオの委員会の非難を全面的にぼくは支持する。
リオに2016年に行こう。Dougと一緒に。そして二人でもう帰ることをやめようかしら。
―from left ダグラス、ジョージ(ブラジルからアメリカに働きに来ている)―ダグラスの姉、マリーアン邸で―
2008年8月7日木曜日
ジョー・オダネル再び
ある写真家の死
少し前になる、テレビを見ていたら、老齢の、腰の曲がったアメリカ人が長崎の浦上天主堂の席に座りながら、嗚咽していた。彼は、Joe O’Donnelといって、被爆直後といってもいい、1945年の8月23日に、最初に長崎入ったアメリカ海兵隊所属のカメラマンだった。番組は、彼が当時撮影した瓦礫だらけの悲惨な長崎の街の写真をたどりながら、変遷した現在の街をさまよい歩いていく彼をルポしたものだった。番組の収録はいつ行われたものかは分からないが、この夏でないことは確かである。なぜなら、彼はこの8月、しかも、なんという因縁だろう、その9日にナッシュビルで亡くなったからである。85歳であった。
彼の名前は知らなくとも、死んだ弟をひもで背負いながら、歯を食いしばり、直立不動の姿で焼き場に佇む少年の写真を見た記憶のある人いるだろう。Joe O’Donnelの有名な写真である。番組では、この少年を探そうとしたが、結局は不明だった。でも灰燼に帰した小学校で、机に座り、まっすぐに先生を見つめている、おかっぱ頭の少女や、やせた少年たち、全部で10名にも満たないようなクラス風景があるが、そのなかの少女や少年たち、今は70過ぎの彼らとの再会は果たした。
その番組で、私が一番覚えているのは、爆風で飛ばされて、丘の中腹にまで落ちてきた、浦上天主堂で飾られていた聖人の巨大な頭部像の写真であり、それを修道女に見せながら、これは今どこにあるのだろうか?とオダネルが訊ねていた場面だった。その写真にある、聖人の頭部、その破壊された顔が凝固して動かない姿勢で見つめているものこそは、一面荒廃に帰した長崎の町なのだ。修道女が、これは見たことがある、平和祈念館に展示されているのではないかというようなことを答えたが、オダネルは、ああ、とため息をついて、それはいけない、ここに、そのままの状態で、この長崎の町全体を見つめてほしい、この神を恐れぬ蛮行の証言と証明のために、聖人はここにいなくてはならない、と語ったのである。
Joe O’Donnelという人から受ける印象は、静かで内省的、でもユーモアも忘れない、そして何よりも長崎・広島への原爆投下を深く反省し、核兵器に反対する人というものであった。
この人の名前は忘れないでおこうと思い、すぐに書き留めた。
彼の追悼記事がニューヨークタイムズに出たのは、8月14日であった。そして、それからJoe O’Donnelが撮影したという写真の数々に現在疑いの目が差し向けられていることを知るようになった。
Joe O’Donnelについて、nyt.comの死亡記事や、その後に出た批判記事などから、知ったことについて書いておこう。(”Joe O’Donnel, 85, Dies; Long a Leading Photographer”by Douglas Martin, August 14, “Known for Famous Photos, Not All of Them His”by Michael Wilson September 15)
Joseph Roger O’Donnelは1922年5月7日にペンシルヴァニア州のジョンストンで生まれた。ハイスクール卒業後、海兵隊に入り、軍は彼を写真学校に行かせた。先述の1945年、8月23日、彼の所属部隊は最初に日本に上陸した部隊の一つになった。長崎から10マイルほどのところに送られ、上官の命令で長崎の写真を撮ることになる。歩いてそこに出向いた23歳の多感な海兵隊軍曹で写真家の若者の眼に映じたのは、”no bird, no wind blowing, nothing to make you think there had once been a real city here.”というものだった、これは後年の彼の述懐。長崎で彼は20箱の煙草を代償に馬を購入し、それにboyと名をつけ、荒廃した家に住む、その家の目印には瓦礫を使った。そこで寝泊りして、写真を撮ったが、カメラを2台使い、一つは軍隊用の公的なもののために使い、もう一台は全く私的な、彼自身の写真のために使った。そして後者のネガを自分のトランクの奥底に秘めて、帰国した。それから半世紀後にやっと、トランクを開けて、そのネガを現像した、あまりにも悲惨なゆえに、感情的に正視出来なかったからである。戦争中の後半もしくは帰ってからの彼は、大統領付の写真家として活躍したこともある(ここらあたりの彼のキャリアははっきりとしない、誇大妄想という批判が出されている)。しかし、例のテレビ番組でも、トルーマンと二人であるビーチを散歩していたときに、トルーマンが立ち止まって小便をした、そのとき思い切って自分は大統領に、あなたは日本に原爆を落とすことに迷いはなかったのですか?と訊いたところ、トルーマンが「あれは自分の決断ではない、ルーズベルトが決めたんだ」と叫んだ、という話を、このうえもなくリアルに報告していた。
彼が撮影したと、1999年のCNNでのインタビューで主張した有名な写真がある。![]()
これはケネディ・ジュニアが父の棺に敬礼する、あまりにも有名な写真であるが、実はこれを写したのは、彼ではなく、今アナポリスで結婚記念の写真家になっている72歳のStan Stearnsという人のものであるらしい。しかし、当時の報道写真はそのクレジットについて現在のようにうるさくはなかったので、これに類する写真は一杯あるということも確かで、オダネルがそこにいて、3歳のJohn―John(ジュニアのニックネーム)のこの可憐な写真を撮らなかったという理由にはならない、らしい。私は、このことの方を信じたい。うるさいほど、今、オダネル批判の記事が出ていて、今日のnytにもあった。これには違う事情もあるのではないか。
彼はそのトランクの底に秘めていた、長崎・広島のネガを現像して、1995年に日本で出版する。その後アメリカでも。しかし、アメリカでは当然のことながら、この被爆のありのままを伝えた写真は拒絶された。オダネルは、そこから核兵器にプロテストする運動に身を捧げるようになったと追悼記事は書いている。
1995年に彼の一連の被爆地の写真は論争のなかに巻き込まれた。その年に、スミソニアン航空宇宙博物館(NASM)で、広島に原爆を落とした飛行機エノラ・ゲイの展示が計画され、そのときの館長はオダネルの写真も展示する計画であったらしい。しかし、退役軍人たちの反対で、オダネルの写真の展示のプランは却下されざるをえなかった。その理由は、「彼の写真が一方的に原爆の悲惨さのみを強調することで、日本の残虐さと、戦争を終わらせ、アメリカ兵の命を救った原爆の役割を両方とも無視している」というものだった。これに対して、オダネルはラジオのインタビューで次のように強く主張した。「被爆直後に自分が見たことに鑑みれば、核ではなく、通常兵器で日本は敗れたにちがいない、日本本土への侵攻でアメリカ兵の死傷者が何十万も出るという予想などとは関係なしに」。彼は、こう主張することで、核兵器そのもののアンバランス、そのおそるべき非対称性を主張したのだと私は考える。
彼の写真で疑いが持たれているのは、1943年にテヘランで、スターリンとルーズベルト、チャーチルが会談したときのものとか、ヨットを操縦するケネディとか、フルシチョフの胸に指を突きつけている副大統領ニクソン、など結構あるらしい。でも、彼はそれらの写真を自分が撮影したと主張することで、そこから金を得ようとしたことはなかったと、批判記事の筆者Michael Wilsonも書いている。未亡人は日本人でKimikoさんという方だが、どこに金があるのか、と彼女も言っているほどだ。
未亡人などがいうことによると、オダネルはメンタルな病ということではないが、記憶に混濁が生じることがよくあったという。背骨には金属が入り、皮膚がん(これはおそらく長崎の滞在で放射能を浴びたせいでもあろう)にかかっていたという。彼は、被爆者であったのだ。
著作権の問題などは抜きにして、私はJoseph Roger O’Donnellという人間に深くひかれている。長崎の町を、深い祈りを湛え、沈思黙考して彷徨する老人の姿を私は忘れないだろう。
以上は昨年の9月に書いたものである。今日(8月7日)NHKの番組でオダネルのことが特集のドキュメンタりーということで放映されていたので、それを見たが、私が去年書いたもの以上のことは何もなかった。ただ彼の息子タイグを視点として、亡き父の平和への遺志を継承するというスタイルだったが、息子さんの真摯さには打たれた。オダネルのことをもっと調べたいという若い人たちの参考になればと思い、これをここにも再掲する。
2008年7月10日木曜日
梅雨の果て
うすあかねして夕雲や梅雨の果て (原 石鼎)
この句を思わせるようなあかね雲が散歩の終りに見えて、梅雨も明けるのかなと思った。
あっという間に7月も中旬。答案の束をかかえて採点地獄が始まる。三十五年にわたり、こういうことをしている。
○ 大分の教育委員会の収賄事件。現場からの賄賂。それはしかしなんと悩ましい、やるせないものかとも思う。構図ができていて、その構図に載ることが死活問題になる。どういう構図でも、その構図が支配、権力のがわにあれば、それに乗る、載るかそうでないかの選択肢かしかない。その親玉の文科省が、結局はそういう構図を描いてきたわけだから、率先して支配してきたわけだから、このような事件は、事件としての明徴(賄賂・収賄)の違いはあれ、徴のない無意識のなかでも、教育委員会は「偉く」、なんでもでき、現場はそれに従わざるをえない、というような刷り込みができている。それは幻想にすぎないのだが、事実としてもそうだから厄介だ。ここ東京の委員会は収賄はやっているかどうかよくわからないが、もっとひどいことをやっている。現場を現場として認めないということを、職員会議では手をあげて採決するな、などという命令で実践しているからだ。「先生」とは、この「格差社会」のなか恵まれていて(だから賄賂も横行するのだろう)ワーキングプアーではないかもしれないが、精神的なその寄る辺なさでは同じではないかなどと思う。もちろん大分での管理職クラスの「事件」とは無縁に、日々生徒たちと格闘している本当の「先生」のほうがずっと多いのだが、彼らだって、敷かれ、強いられた幻想の構図から完全に自由であるということではないだろう。前のどうしようもない首相のときにどさくさにまぎれるようにして多数をたてに、基本法が「改悪」され、わけのわからない諮問委員会も作ったが、その答申の最悪のものは「教員免許の更新」というものである。免許証の更新のように、車検のように、こんなものを作ることで、それに群がる「権益」なるものが生じる、そして、そこではまた新たな「事件」が予感される。この制度の動機自体が、はなから現場の「教員」を虫けら同然に線引きすることでスティグマ化したものである。「教育」は、そうでないあらゆるものと二項対立的に意識化されることで、都合よく理想化されたり、ゴミダメ化されたりを、ここ何十年とやらされてきた。明治以来というのが正確だが。もうすこしみんなが肩の力をぬいて、「先生」が目前の生徒たちとゆっくり語りあうことを許してもいいのではないか。そこからしか「論語」のような世界は開けないのだから。これも幻想にすぎないが。
○ サミットが終わった。航空機を使用したテロが行われた場合を想定して、イシバくんたち防衛賞(省?)の面々が図上演習を行い、最悪の場合はその航空機を撃墜するというシュミレーションだったという。公共放送を名乗る某局が7時の全国ニュースで得々と発表している。「アホか」というのが、私の最初の発声である。この局のいつもの「刷り込み」に対して。次に、本当にそうだったら、この面々の「お遊び」を「公共」のものとして聴かざるをえないわが身の奴隷状態に対して。税金など払いたくないとつくづく思う。某局に対するお足も。他にやることが一杯あるだろう。
○ 数句。
We must love one another or die. ( W.H.Auden)
サミットなぞ梅雨の晴れ間のたわごと
頂きと自らを呼ぶ醜さよ
アイヌピト(人間)殺しつくして温暖化
ポチセ(子宮)思い洞爺湖凍らず黴雨もなし
梅雨けしと一人泣きつつ千年紀
アチャ(父)ウヌ(母)ポ(子)ミッポ(孫)イルワク(兄弟姉妹)
生苦き
この句を思わせるようなあかね雲が散歩の終りに見えて、梅雨も明けるのかなと思った。
あっという間に7月も中旬。答案の束をかかえて採点地獄が始まる。三十五年にわたり、こういうことをしている。
○ 大分の教育委員会の収賄事件。現場からの賄賂。それはしかしなんと悩ましい、やるせないものかとも思う。構図ができていて、その構図に載ることが死活問題になる。どういう構図でも、その構図が支配、権力のがわにあれば、それに乗る、載るかそうでないかの選択肢かしかない。その親玉の文科省が、結局はそういう構図を描いてきたわけだから、率先して支配してきたわけだから、このような事件は、事件としての明徴(賄賂・収賄)の違いはあれ、徴のない無意識のなかでも、教育委員会は「偉く」、なんでもでき、現場はそれに従わざるをえない、というような刷り込みができている。それは幻想にすぎないのだが、事実としてもそうだから厄介だ。ここ東京の委員会は収賄はやっているかどうかよくわからないが、もっとひどいことをやっている。現場を現場として認めないということを、職員会議では手をあげて採決するな、などという命令で実践しているからだ。「先生」とは、この「格差社会」のなか恵まれていて(だから賄賂も横行するのだろう)ワーキングプアーではないかもしれないが、精神的なその寄る辺なさでは同じではないかなどと思う。もちろん大分での管理職クラスの「事件」とは無縁に、日々生徒たちと格闘している本当の「先生」のほうがずっと多いのだが、彼らだって、敷かれ、強いられた幻想の構図から完全に自由であるということではないだろう。前のどうしようもない首相のときにどさくさにまぎれるようにして多数をたてに、基本法が「改悪」され、わけのわからない諮問委員会も作ったが、その答申の最悪のものは「教員免許の更新」というものである。免許証の更新のように、車検のように、こんなものを作ることで、それに群がる「権益」なるものが生じる、そして、そこではまた新たな「事件」が予感される。この制度の動機自体が、はなから現場の「教員」を虫けら同然に線引きすることでスティグマ化したものである。「教育」は、そうでないあらゆるものと二項対立的に意識化されることで、都合よく理想化されたり、ゴミダメ化されたりを、ここ何十年とやらされてきた。明治以来というのが正確だが。もうすこしみんなが肩の力をぬいて、「先生」が目前の生徒たちとゆっくり語りあうことを許してもいいのではないか。そこからしか「論語」のような世界は開けないのだから。これも幻想にすぎないが。
○ サミットが終わった。航空機を使用したテロが行われた場合を想定して、イシバくんたち防衛賞(省?)の面々が図上演習を行い、最悪の場合はその航空機を撃墜するというシュミレーションだったという。公共放送を名乗る某局が7時の全国ニュースで得々と発表している。「アホか」というのが、私の最初の発声である。この局のいつもの「刷り込み」に対して。次に、本当にそうだったら、この面々の「お遊び」を「公共」のものとして聴かざるをえないわが身の奴隷状態に対して。税金など払いたくないとつくづく思う。某局に対するお足も。他にやることが一杯あるだろう。
○ 数句。
We must love one another or die. ( W.H.Auden)
サミットなぞ梅雨の晴れ間のたわごと
頂きと自らを呼ぶ醜さよ
アイヌピト(人間)殺しつくして温暖化
ポチセ(子宮)思い洞爺湖凍らず黴雨もなし
梅雨けしと一人泣きつつ千年紀
アチャ(父)ウヌ(母)ポ(子)ミッポ(孫)イルワク(兄弟姉妹)
生苦き
2008年6月9日月曜日
in Rampage
A 25-year-old man who told the police he was tired of life went on a killing rampage in a popular shopping street in central Tokyo on Sunday, plowing his truck into a crowd of pedestrians before stabbing passers-by with a survival knife. Seven people died and 11 were injured.
Man Kills 7 on Tokyo Street in Rampage
By NORIMITSU ONISHI
上記はThe New York TimesのWeb版での、昨日の秋葉原の事件の報告の冒頭部である。NORIMITSU ONISHI氏という、いつもの日本の寄稿家のそれである。これを最後まで読んでも、この事件の「闇」は明らかにはならない。こういう「報道」のスタイルで終始している、しかしくだらない解説よりも、こちらの後づけにすぎない報告の方で充分だという思いもある。
rampageという語は、あばれまわること、大暴れ、という名詞と、その自動詞として使うと辞書に載っている。in rampageは「暴れ回って」という成句である。即物的な、その定義の底に、すべては閉じ込められれている。明らかになったのは、この25歳の男が、「人生に疲れて」いたことである。それに、今日のニュースによれば事件寸前まで、彼は自らの思いをネット上の記事として、逐一書いていた。それは無残なヒーロー気取りといえばいえるものだが、そのなかで、私が記憶にとどめたのは、「自分がだれからも必要とされていない」という記事だった。
この種の不全感が殺人に結びつく、その短絡さはいくら非難しても足りないが、こういう思いそれ自体は実に当然の思いであると私は考える。その孤立感に耐えて、自らを「他者」化するまでに、「人生に疲れ」ていることが必要な常態であると、今の私はそう思う。でも、ときどきふきあげるrampageの思いは御し難いものがあるが。
どこにも由来を持たない、必然性のない、突然の「死」に出遭った人のなかで、一番若い人は19歳の友人同士だった。殺されたすべての人の無念さは言うまでもない。
昔、アメリカの友人たちとテキサスからメキシコ湾まで南下する旅をしたことがあった。テキサスの州都、オースチンにあるテキサス大学は、友人夫婦の母校である。そこを訪ねたとき、友人が、大学の広場の建造物に残されているいくつかの穴を指して、これが、あの大虐殺(マサカ)のときの銃弾の跡だと教えた。あのときは何人殺されたのだろうか?「無差別」に、大学の塔の上から、銃を撃ったのである。
比較しても意味はないが、こういう「殺人」の底をいくら探しても、それ自体がぽっかり空いた「穴」のような、おそろしく無意味な、ものとことに帰着するのではないだろうか。それらが、この現代の在りようそのものに結びついていることだけは確かな。
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