ピーテル・ブリューゲルとW.H.オーデン
水島英己
Covid-19が日本でもパンデミックの様相を呈しはじめた。この流行で、カミュの「ペスト」が再読されているという。私が思い出したのはピーテル・ブリューゲル(1525~30―1569)の『死の勝利』(1562年頃)の絵だった。この絵について、森洋子は「ブリューゲルは世界の終末論的風景のなかで、集団の大量死を一大スペクタルとして表現したのです。…この絵の背景として、ブリューゲルは疫病や戦争による多数の犠牲者を考えたのかもしれません。いつの時代でも予期せぬ自然災害、戦争やテロなどの人災による集団の死の悲劇は人々の記憶から消し去ることはできないのです。その意味で《死の勝利》は現代人に対しても示唆の多い教訓画と言えるでしょう」(『ブリューゲルの世界』森洋子・新潮社・2017刊)と書いている。
4月10日の時点で、ニューヨーク・タイムズによると、Covid-19の世界の感染者が150万人で、死者は95041人だという。残念ながら、これはもっと増えるだろう。今、世界中が、このウィルスとの闘いに明け暮れている。『死の勝利』を当時の人々はどういう気持ちで眺めたのだろうか。悲しみや悔い、怒りや祈り、さまざまな感情の混在。この絵を見ることで、改めて胸はざわめき、大きな恐れを感じたに違いない。それは今の私も変わりはない。森の言葉だが、「予期せぬ自然災害、戦争やテロなどの人災による集団の死の悲劇」について、それを忘れてしまったかのようにグローバル化する世界は様々な矛盾を覆い隠したまま、相変わらず経済活動を中心にして進んで来た。特に日本では9年前の東北大震災と東電の原発事故(災害)の記憶もすでに風化しつつあるのではないかと思われるほどだった。そういうときに、「集団の死の悲劇」の記憶を呼び覚ますかのように、目に見えないウィルスが猛威を振るっている、と思うのはおかしいだろうか。ブリューゲルの『死の勝利』が私に示唆するのは、もう一度この時点で立ちどまって、考えてみようということだ。「集団の死の悲劇」を何回も繰り返さないために、個々人は何が求められているのか、何ができるのかということを。「緊急事態宣言」を4月8日に日本政府は出した。その行く末も、いろんな意味で注視すべきものとしてある。
次の絵は『イカロスの墜落のある風景』(1560年代?ベルギー王立美術館蔵)である。この作品はピーテル・ブリューゲルのものではなく、彼の作品の模写だという説がある。森の先述の本「ブリューゲルの世界」には、この絵は載せられていない。長年の間、ブリューゲル作と信じられ、この絵をモチーフに書かれた詩もある。ここでは、絵の帰属問題は棚上げにして、その詩の一つを読んでいきたい。
W.H.オーデン(1907₋1973)の『美術館』と題された詩。この美術館は、ベルギー王立美術館のことだ。オーデンは1938年に数箇月ベルギーに滞在したことがあった。ブリュッセルのこの美術館を訪れて、この絵を見たのだろう。この詩は1938年12月の成立。原詩と訳を掲げる。前後二連の詩。訳は前半はテリー・イーグルトンの『詩をどう読むか』(岩波書店・2011刊・この中でイーグルトンはこの詩について批評している)の訳者川本晧嗣のもの、後半は『Bruegel』(WOLFGANG STECHOW 西村規矩夫訳・美術出版社 1987)から西村訳を引用する。
Musée des
Beaux Arts
W. H. Auden
About
suffering they were never wrong,
The old
Masters: how well they understood
Its human
position: how it takes place
While
someone else is eating or opening a window or just walking dully along;
How, when
the aged are reverently, passionately waiting
For the
miraculous birth, there always must be
Children
who did not specially want it to happen, skating
On a pond
at the edge of the wood:
They
never forgot
That even
the dreadful martyrdom must run its course
Anyhow in
a corner, some untidy spot
Where the
dogs go on with their doggy life and the torturer's horse
Scratches
its innocent behind on a tree.
In
Breughel's Icarus, for instance: how everything turns away
Quite
leisurely from the disaster; the ploughman may
Have
heard the splash, the forsaken cry,
But for
him it was not an important failure; the sun shone
As it had
to on the white legs disappearing into the green
Water,
and the expensive delicate ship that must have seen
Something
amazing, a boy falling out of the sky,
Had
somewhere to get to and sailed calmly on.
苦しみのことで間違えたためしはない
昔の大画家たちは。彼らはその人間的位置を
知り抜いていたのだ。誰かが苦しんでいるときにも、
他人はものを食べたり窓を開けたりのろのろ歩いていたりする。
老人たちが敬虔に熱烈に奇蹟的な生誕を
待ち焦がれているときも、いつだって
とくにそれを望んでいるわけでもない子どもたちが、森のそばの
池でスケートをしているものだ。
巨匠たちは一刻も忘れない、
あの恐ろしい殉死でさえ、まるでどうでもいいことのように
どこかの隅っこ、散らかり放題の場所でひっそり進行することを。
そこでは犬どもが平気で犬どもの生活を続け、拷問役人の馬が
無心な尻を木にこすりつけていたりする。
たとえば、ブリューゲルの『イカロス』では。なんとあらゆるものが
全く悠然として災いから顔を背けていることだろう。鋤で耕す男は
水のはねる音と孤独な絶叫を聞いたのかも知れないが、
彼にとってそれは重大な失敗(しくじり)ではなかった。太陽は
平生のとおりに、緑の水の中に消えていく白い脚を照らし出した。
そして優美な豪華船は、子供が空から降ってくるという
驚くべきものを見たに違いないのに、
その目的地を目指して静かに帆走していった。
前半部の一つめは、苦しみの位置はどのようなものかということについて書かれている。それは誰かが食べたり、窓を開けたり、ぼんやり歩いている、そういう普段のありふれた行為と並置され、そういう場にあるということだ。二つ目の老人たちの待ち望む「奇蹟的な生誕」は「奇蹟」であり、苦悩とは直接かかわりがないにせよ、その人間的な位置、奇蹟のしめる人間生活のなかの位置というものが、「とくにそれを望んでいるわけでもない」スケート遊びに興じる少年たちと並置されることになる。それは苦しみが、窓を開ける誰かのありふれた日常の行為に並置されるのと同様だ。端的に言えば、このようにオーデンは「苦悩」や「奇蹟」を特別視しない。ありふれた日常の行為のとなりに位置づけることで、「苦悩」や「奇蹟」を相対化しようとしている。前半の最後の「殉死(教)」も、それが行われる場所を陋巷の片隅に設定し、犬や馬の生活と同次元の底辺に置くことで、「殉死(教)」の与える畏怖や聖別のイメージを剥がしてしまうのだ。このような捉え方を、詩の語り手はまとめて、苦しみのことで昔の大画家たちは間違えたためしはない、と語るわけだ。
その「ためし」の具体例として、第二連目に、この絵が詩「美術館」に引用、展示されることになる。それを見る前に、一般に、この絵はどのように眺められ、解釈されているのかを考えてみたい。「イメージの森のなかへ」と題された「大画家」たちの絵の大判の啓蒙書のシリーズがある。その一冊の『ブリューゲルの宴』(利倉 隆・二玄社・2009年刊)から、利倉 隆の解説を引用する。
この絵は風景画であると同時に、ギリシャ・ローマ神話を題材にした絵でもあります。舞台は南の地中海、ギリシャのクレタ島の迷宮に閉じ込められた万能の職人ダイダロスは、人口の翼で息子のイカロスとともに迷宮を脱出しました。父親のほうはみごとに成功、しかし、空高く舞い上がったイカロスは太陽に近づきすぎて翼を付けたロウが熱で溶け、墜落してしまいます。この絵にはダイダロスもイカロスもいるはずです。ではどこに?
ブリューゲルの絵には物語の主題や主人公がわざわざ目立たないところに置かれていることが多いのです。ところで、丘の上で畑を耕している人、彼はこの事件にまったく気づいていないようです。丘の中腹では犬を連れた羊飼いがぼんやりと空をながめている。ダイダロスはみつかりましたか? イカロスはいましたか?
ブリューゲルがこの絵を描いた後、別の画家が手直しをしたのです。そのときにたぶん、ダイダロスの姿が消えてしまった。もしかすると羊飼いが見上げる空のあたりにダイダロスが描かれていたのかもしれない。この絵では、太陽が水平線のあたりに見えます。物語ではイカロスは空高く太陽に近づいたためにロウが溶けたはずなのに。手直しをした画家の不注意だったのか、それともブリューゲルが神話の物語を風景画のなかに隠していたためにその意味が伝わらなかったのか。
海には帆船が浮かんでいます。あぁ……その下にイカロスがまっさかさまに。翼の溶けた羽も散っています。そのさらに手前にはのんびりと釣りをする人が。
ここには教訓がこめられています。「イカロスのように、人間の力を過信すると身を滅ぼす」ブリューゲルはさらに、人間にはできない大胆なこころみよりも日々の暮らしや労働のほうが大事なのだと言いたかったのかもしれません。
過不足のない見事な解説だ。オーデンの詩は、この小さく描かれた、「わざと目立たないところに置かれ」たイカロスの墜落に焦点をしぼり、それを大きく取り上げる。前半部では「苦悩」「奇蹟」「殉死(教)」が、ありふれた日常の行為や卑俗なものとの並置において相対化されていた。原文で言えば、その“suffering”(苦悩)ではなく、二連目では“disaster”(災厄、災害)としてとらえられることに注意したい。“suffering”が内面的なものを含む言葉であるのに対して“disaster”は主に災害、震災、風水害などを表す言葉といえる。目に見える客観的なもの、そういう点では一連目の「奇蹟」や「殉死(教)」ともつながっている。そのより具体的なものとして、少年の墜落と溺死を「災い」として考えたのだろう。“suffering”と“disaster”とは深くつながっている。“disaster”は人々に言い知れぬ“suffering”をもたらすものだから。
しかし“disaster”も“suffering”の占める人間的な位置と同様に、いやそれ以上に「なんとあらゆるものが全く悠然として災いから顔を背けていることだろう」と突き放されるものになる。「災い」に直面し、「苦悩」するものの姿はここには全く描かれていない。前景に大きく描かれた鋤を持つ後ろ姿の農夫、その下で、空を見上げる羊飼い、さらにその下で、坐って釣りをする男の後ろ姿、その男と帆船の間にさかさまになったイカロスの両脚が小さく見える。そのイカロスには誰の視線も注がれてはいない。初めてこれを見た者はイカロスを探すのに苦労するだろう。しかも突き出た両脚だけのイカロス。「顔を背ける」というより、無視、放置されている、といったほうが正確だ。ここから利倉が解説しているように、この絵には教訓が込められているという見方も出てくるのだろう。そうとでも言わなければ、一体この絵は何を描いたのか、見当がつかないということになるかもしれない。
「絵」そのものが「苦しみ」や「災い」とは無縁である。そういう点から考えれば『死の勝利』こそは「苦しみ」「災い」を反省させる「教訓画」としてあるものだった。「寓意画」「教訓画」として挙げられる作品もブリューゲルにはあるが、オーデンはこの絵から「イカロスのように、人間の力を過信すると身を滅ぼす」、あるいは「人間にはできない大胆なこころみよりも日々の暮らしや労働のほうが大事なのだ」というような教訓や寓意を読むことはしなかった。「彼にとってそれは重大な失敗(しくじり)ではなかった」というふうにイカロスの墜落を農夫の側から捉えることによって、「災い」とは無縁な人間の生活、日常を強調することで、逆に、苦しみや災い、“failure”(失敗)の人間の生活における位置(Its human position)を確定しようとしたのではないか。
次のブリューゲルの絵は新訳聖書ルカ伝に題材を取ったもので、『ベツレヘムの人口調査』
(1566年ブリュッセル王立美術館蔵)という題を持つ。
「そのころ全世界の人々を戸籍に登録せよという勅令が、ローマ皇帝アウグストゥスによって発布された。…人々は皆登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。ダビデ家とその血筋に属していたヨセフも、登録のために、すでに身ごもっていたいいなずけのマリアを伴って、ガリヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。ところが、二人がそこにいる間に、マリアはお産の日が満ちて、男の初子を産んだ。そして、その子をうぶぎにくるみ、かいばおけに寝かせた。宿屋には、彼らのために場所がなかったからである。」という箇所。
森洋子は「村人が人頭税を支払うために故郷に戻ってきた情景」(「ブリューゲルの世界」)とするが、いずれにせよ、ここで描かれている光景が、冬のフランドル地方であり、ブリューゲルその人の世界に、聖書の世界が移しかえられているということが大切なのだ。どこにヨセフとマリアがいるのかということを、最初は分からなかった。
森は「前景の中央にロバに乗る身重のマリアと付き添うヨセフがいます。不安から頬を紅潮させたマリア、大事な大工道具を籠の中に入れてしっかりと歩を進めるヨセフなど、二人の描写への思い入れには感嘆します」と書いているが、ここは森自身の思い入れが過ぎるような書き方になっているのではないだろうか。
前景の青色の衣を着たのがマリア、ロバを引いているのがヨセフということが分かるが、この二人もそうだと言われるとマリアとヨセフかと思われる程度であって、画面の左、人々が集合している場所(居酒屋が代理の受付所になっている)への動きに視線は向かうので、その動きに二人の姿も解消されて目立たないのだ。後ろ姿のヨセフはなおさら聖書の知識がないと分からないだろう。
このように、ブリューゲルの描き方自体に独特のものがある。主題になっているものをずらすというか、それ自体を中心に描かず、他のものとの関連において描くという方法。それを非主題化と言ってもいい。群衆のなかに、生活のなかに、関係の中に主題を置くとも言える。それを際立たせない。ブリューゲルの絵の特徴と言ってもよい。マリアとヨセフのベツレヘムへの旅を含む『ベツレヘムの人口調査』という主題が冬のフランドルの、「農村の営み」(森洋子)、子どもの遊び、スケート、雪合戦などの中に置かれているということが重要なのだと思う。テーマが隠れてしまうほどに場面がそれぞれのグループごとの行動によって分割されている。そのことを今すこし考えてみたい。
http://art.pro.tok2.com/B/Brueghel/z068.ht
上の絵は『雪中の東方三博士の礼拝』(1563年油彩 板 オスカー・ラインハルト・コレクション)。これも聖書のモチーフで、これはマタイ伝。この絵について、中野幸次(『ブリューゲルへの旅』1976年)は次のように書いている。
絵はただ北国の冬の日の憂愁をおびた茶褐色の家々と、そこに営まれる日常を描いているだけである。人びとは雪の中で氷を割って水を汲み、薪を束ね、雪をさけて前かがみにすべりやすい雪路を急ぐ。そのなかで、村人とほとんど見わけのつかぬ一団がいる。画面を斜めに走る路地のはずれに、なかば画面から追い出されかけて傾いた藁屋があり、そこにいる嬰児を抱いた被布の女に二人の男が跪いているのだった。
だが男たちも、それに従う者も、荷を積んだロバも、同じ茶褐色のなかにまぎれ、頭にも肩にも背にも、一様に雪がしんしんと降り積もって、すべては雪の中の景色にすぎない。だが、この目立たぬフランドルの寒村で、村人のだれからも気づかれずに起こっていることこそ、あの人類史上の重大な出来事なのだった。
やがて、悲しむ者、貧しい者、病める者、苦しむ者、彼の接した人びとすべての上に限度をしらぬ優しいなぐさめの手をさしのべるであろう人の誕生祝が、このだれからも見捨てられたような一隅で起こっているのだった。王にも家来にも村人にも、幼児にも犬にもロバにも廃墟にも茅屋にも、すべての上に雪が、それこそただ霏々と降りしきるネーデルラントの無名の寒村のなかで。
「この目立たぬフランドルの寒村で、村人のだれからも気づかれずに起こっていることこそ、あの人類史上の重大な出来事なのだった」というのは、聖書の「奇蹟的な生誕」を「目立たぬフランドルの寒村」にあえて移したブリューゲルの絵から来る感動の言葉であって、中野はそこを強調するために、わざとそう言ったのだ。オーデンの詩の「奇蹟的な生誕」の背景もここで「だれからも気づかれずに起こっていること」であり、子供たちがスケート遊びに興じているときのことであった。中野は更に「重大な宗教的事件はその伝統的特権を完全に奪われて、無関心な村人のなかでさりげなく起こっている」と言い、「これ以上に大胆な価値の転倒があろうか。そしてこれ以上意味深く事柄の本来の意味を、じかに見る者に伝えることができるだろうか。事柄はただ日常生活の一齣となることで、初めてその真実をあらわにしている」とまとめるのだが、これはブリューゲルの絵画の核心を言い当てている。
ブリューゲルがギリシャ・ローマ神話に題材を採ったのは『イカロスの墜落のある風景』だけだと言われる。この絵にも先ほどのブリューゲルの「核心」としての「価値の転倒」や「無関心」がイカロス「神話」に対して働いているのだ。「神話」や「聖書」の出来事のいわば脱構築が行われているとも言える。そのような核心にオーデンは反応したのではないか。「神話」や「聖書」の出来事への「無関心」「価値の転倒」は、ブリューゲルの生きた時代、宗教改革の時代とも深い関連があるだろう。
オーデンは、詩『美術館』において、ブリューゲルのこれらの絵から「苦しみ」や「災厄」への人々の「無関心」という在り方を取り出した。その「無関心」をオーデンは自分の時代の人々の「無関心」に移す。「イカロスの墜落を農夫の側から捉えることによって、「災い」とは無縁な人間の生活、日常を強調することで、逆に、苦しみや災い、“failure”(失敗)の人間の生活における位置(Its human position)を確定しようとしたのではないか。」と私は書いたが、そのときのオーデンの意識下には自らの生きている時代の状況が蠢いていたのではないか。迫りくるファシズムと世界大戦への不安のなかで、この詩は書かれている。苦しみや災厄が、その時代の人間生活のなかでもつ位置というものが測られているのだ。それは無力さと変わらない。どんなに苦しんでも、どんなに災厄に塗れようとも、誰もそれに耳を傾け、目を向ける者はいない、ということなのだ。オーデンの捉える「無関心」はブリューゲルのそれのように価値転倒的でもなく、日常生活への信頼なども感じられないものだ。不安の時代の詩人として、近接する「災厄」への人々の、自分も含めての「無関心」さが暴かれている。それが『美術館』の無関心であり、ブリューゲルの朗らかな「無関心」とは全く位相を異にするものだった。
ブリューゲルが描いた農民の生活の堅固さに改めて心を揺さぶられた。堅固な日常、不安のない明日への希望、そういうものが失われて久しい。追い打ちをかけるかのように疫病が世界を覆っている。オーデンとブリューゲルを思い出したのは、こういう不安で不穏な日々が続き、social distancing(社会距離戦略)などという言葉が耳慣れるようになってからだった。この嵐を抜け出たとき、世界は変わっているのだろうか。以前と変わらず成長や進歩の夢を追い続け、経済(の回復一辺倒)だけの世界になっているのだろうか。それとも懸案の様々な問題にきちんと直面し、格差や分断の社会を考え直す多様な意見が生きるような世界が来るのだろうか。生きのびた一人ひとりが他者を思いやり、日々の生活の根を豊かに堅固にするような具体的な試みを考えていく社会の到来を心から祈る。(4/10/2020)
(参考文献)本文中に示したものは除く。W.H.AUDEN Selected Poems (vintage
books edited by Edward Mendelson)。『図説 ブリューゲル』(岡部紘三・河出書房新社・2012)。
井口正俊『ブリューゲルの「絞首台の上のカササギ」考』他(井口の論文はすべてネット上で読んだ。示唆されることが多かった。)