昨日は雨の中、都営新宿線の森下駅で降りて、芭蕉庵があったと推定されるところに建立されている深川の芭蕉記念館に行く。午後5時頃から、友人たちと森下で飲むということがその日の行事だったのだが、早く出て芭蕉記念館を訪ねたのだった。神保町、小川町、などと電車が駅名をアナウンスしながら過ぎてゆくたびに、漱石の世界、たしか『彼岸過迄』に出てきた地名が次々に現われてくる。それだけで地名が呼び起こすある種の幻覚状態に自分が入っているような気がした。近代文学から17世紀の芭蕉の時空まで、この地下鉄路線は走っていることになるのか。
森下駅で降りて、隅田川(大川と呼びたい)にかかる新大橋に向かって歩く。そこを渡らずに左折して、川沿いに清州橋の方に向かって歩くとすぐ芭蕉記念館である。[近世の名数俳人―三神・五傑・十哲など―]いうタイトルの特別展が開催されていたが、見学者はしばらくの間は私一人であった。私は、芭蕉が、金沢の俳諧の弟子で僧侶の句空にあてた手紙(元禄四年正月三日付け)の雄渾な書体を見つめていた。帰ってから岩波文庫の『芭蕉書簡集』にあたる。「山中三吟」を基とした『卯辰集』の刊行に対して、芭蕉が注文を付けながらもそれを許した、その文脈のなかにある書簡だが、もっと勉強しなさい、と金沢の門人の代表のような人に向けて言っている。次のような言い方で。
…是非今一度再会之上にて、風雅御究可被成候(風雅御きわめなさるべく候)。御捨てなく候段、即ち西行・能因が精神、世外之楽、此外有間敷候(世外の楽しみ、この外あるまじく候)…
西行や能因の精神に立ち返ることで、「世外の楽しみ」を追求しなさいということだろう。
「世外之楽」という流麗雄渾な書体を見つめていた。それから外に出た。雨は激しく降っていた。大川沿いの舗装されたテラス!を傘をさしながら歩く。私一人である。芭蕉の句がそこここのプレートに書かれている。史跡庭園まで歩く。
―記念館の梅と芭蕉句(春もややけしきととのふ月と梅)―
―記念館を出て雨の中の大川、新大橋を望む―
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