森下駅で降りて、隅田川(大川と呼びたい)にかかる新大橋に向かって歩く。そこを渡らずに左折して、川沿いに清州橋の方に向かって歩くとすぐ芭蕉記念館である。[近世の名数俳人―三神・五傑・十哲など―]いうタイトルの特別展が開催されていたが、見学者はしばらくの間は私一人であった。私は、芭蕉が、金沢の俳諧の弟子で僧侶の句空にあてた手紙(元禄四年正月三日付け)の雄渾な書体を見つめていた。帰ってから岩波文庫の『芭蕉書簡集』にあたる。「山中三吟」を基とした『卯辰集』の刊行に対して、芭蕉が注文を付けながらもそれを許した、その文脈のなかにある書簡だが、もっと勉強しなさい、と金沢の門人の代表のような人に向けて言っている。次のような言い方で。
…是非今一度再会之上にて、風雅御究可被成候(風雅御きわめなさるべく候)。御捨てなく候段、即ち西行・能因が精神、世外之楽、此外有間敷候(世外の楽しみ、この外あるまじく候)…
西行や能因の精神に立ち返ることで、「世外の楽しみ」を追求しなさいということだろう。
「世外之楽」という流麗雄渾な書体を見つめていた。それから外に出た。雨は激しく降っていた。大川沿いの舗装されたテラス!を傘をさしながら歩く。私一人である。芭蕉の句がそこここのプレートに書かれている。史跡庭園まで歩く。
―記念館の梅と芭蕉句(春もややけしきととのふ月と梅)―
―記念館を出て雨の中の大川、新大橋を望む―
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