2009年4月16日木曜日

尊かりけるいさかひなるべし

『笈の小文』に、次の部分がある。これは芭蕉の『旅』に対する思いを様々なレベルで述べている部分だと思う。

― 跪(踵 )はやぶれて西行にひとしく、天龍の渡しをおもひ、馬をかる時はいきまきし聖の事心にうかぶ。山野海濱の美景に造化の功を見、あるは無依の道者の跡をしたひ、風情の人の實をうかがふ。猶栖をさりて器物のねがひなし。空手なれば途中の 愁もなし。寛歩駕にかへ、晩食肉より甘し。とまるべき道にかぎりなく、立つべき朝に時なし。ただ一日のねがひ二つのみ。こよひ能宿からん、草鞋のわが足によろしきを求めんと斗は、いさゝかのおもひなり。時々気を轉じ、日々に情をあらたむ。もしわづかに風雅ある人に出合たる、悦かぎりなし。日比は古めかしく、かたくなゝりと悪み捨たる程の人も、邊土の道づれに かたりあひ、はにふ・むぐらのうちにて見出したるなど、瓦石のうちに玉を拾ひ、泥中に金を得たる心地して、物にも書付、人にもかたらんとおもふぞ、又此旅のひとつなりかし。(『笈の小文』より)―

最初の部分「跪(踵 )はやぶれて西行にひとしく、天龍の渡しをおもひ、馬をかる時はいきまきし聖の事心にうかぶ。」を上野洋三は次のようにその本(『芭蕉、旅へ』)で解説している。

― 渡し(舟)と馬とによって代表される水陸の交通手段についていう。「西行」は……『西行物語』などで著名な故事。「いきまきし聖」は、徒然草百六段で著名な高野山の証空上人の故事。上人が、路上で馬から落され、馬方に向かってさんざんいきまいたあげくに、自己の雑言の愚かしさに恥じて、逃げ帰った、という話である。
 舟に乗ろうとすると、頭を鞭で叩かれて血をながしたという人(西行のこと・水島注)を思いうかべ、馬に乗ろうとすると、馬から落されて立腹した人を思いうかべる、というのはともに旅路の上で出会うべき難儀を、つい予想してしまう、ということではあるが、そのとき連想する人間が、ともに僧形の人物ということには、注意すべきであろう。芭蕉が旅を語り始めるとき、とかく法体・黒衣の人物とともに、具体的に想像が展開し始める。それは、「旅路の画巻」(注・芭蕉が晩年に描いたといわれる十画、許六の画・芭蕉の賛のいわゆる旅十体の絵の流れ)の第一図が、僧形の人物のひとり旅で始まることと、軌を一にするからである。―

「僧形の人物のひとり旅」、それで始まるのが、芭蕉の旅の文章だと、なかんずく細道だと言いたいのであるが、西行の「難儀」はよくわかるが、「路上で馬から落され、馬方に向かってさんざんいきまいたあげくに、自己の雑言の愚かしさに恥じて、逃げ帰った」証空上人のエピソードは少し違うのではないか。上野洋三が言うようなまとめ方ではくくれないのではないかと思う。「ともに旅路の上で出会うべき難儀を、つい予想してしまう、ということではあるが、そのとき連想する人間が、ともに僧形の人物ということには、注意すべきであろう」というのは、どうでもいいことではないだろうか。

私は百六段の話が大好きである。

―高野証空上人、京へ上りけるに、細道にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが口ひきける男、悪く引きて、聖の馬を堀へ落としてげり。
 聖、いと腹あしくとがめて、「これは希有の狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣れり。かくのごとくの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曾有の悪行なり」と言はれければ、口ひきの男、「いかに仰せらるるやらん、えこそ聞き知らね」といふに、上人なほいきまきて、「何と言ふぞ、非修非学の男」とあららかに言ひて、きはまりなき放言しつと思ひける気色にて、馬ひき返して逃げられにけり。
 尊かりけるいさかひなるべし。―

この人物相互の関係の捉え方、それを捉えた兼好法師、それらの意味、芭蕉が惹かれたのは目には見えない相互の関係の意味であって、僧形など関係ないと私は思う。「尊かりけるいさかひなるべし」と確言する兼好の前には、頭を打たれて従容たる西行がいる。その二人の驥尾に付こうとしているのが芭蕉ではないか。

2 件のコメント:

岩田英哉 さんのコメント...

素晴らしい隠者の系譜。

higuma55 さんのコメント...

現代詩手帖の書評読みました。偶然本屋で見つけて嬉しかったです。