岩佐鶴丈さんの薩摩琵琶、林鈴鱗さんの尺八(琴古流)の演奏を聴いてきた。すてきでした。
鶴丈さんの演目は「壇ノ浦」(鶴田錦史 作曲、木下洋子 作詞)という新作?物と「耳切れ芳一」という御自分の編集・作曲になるもの。まあ両曲とも人口に膾炙した平曲などのアレンジ?だから、だれにもよくわかる。
私は琵琶の形状などに注意を凝らし、また師匠の撥の使い方、弦の押さえ方などを注目していたが、それも最初だけ、あとは琵琶のすべての技巧を使いつくしたかとも思われる演奏のすさまじさにひたすら耳を傾けるのみであった。
面白いものだ。もともとは「法具」としてあっただろう琵琶という楽器が、今でも滅びずに現前しているということは。宗教といえば大げさだが、われわれはこれらの曲が、平家の公達や棟梁たちの御霊を慰撫するためのものとして発足したことを忘れながら、しかし膨大な「思い出せない記憶」のなかのひとつとして、たしかに何か畏れなくてはならないものを前にして、今の岩佐鶴丈という若い琵琶演奏者、盲僧などではもちろんないが、若くてハンサムな彼も、酒を飲みながら聴いているわれわれも、その畏れの前に引き据えられているかのような心持になるのだった。
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