八王子中央図書館で、
若島正の『ロリータ、ロリータ、ロリータ』(作品社)、平川祐弘『アーサー・ウェイリー 源氏物語の翻訳者』(白水社)、サミュエル・ベケット『ワット』高橋康也訳(白水社)、同『また終わるために』高橋・宇野邦一訳(書肆山田)、同『マーフイ』三輪秀彦訳(早川書房)を借りてきた。ベケットの本は陳列されていず、調べてもらって、すべて書庫から持ってきてくれたもの。遅れてきたベケット愛好者としては『短編集』(白水社)も読みたかったが、これはこの図書館にはないということ。都立のどこかの図書館にあるかもしれない、その本をこの図書館が借りることができるなら、貸し出すことも可能だというので、そのための手続きをする。アマゾンで調べたら、二冊ほどそれぞれ異なる古本屋が所蔵し、出品していた。値段は、なんと五万円近い。いくら好きでも、定年退職者には購入する元気をうちひしぐ値段である。そこで困ったときの図書館ということで、今日は外出したのであった。
それに今日はベケットの命日でもある(こういう想起の仕方をベケットは笑うだろうか)。1989年の12月22日、彼は83歳で亡くなった。それに加えて冬至の日か。イエスの磔刑の日4月13日1906年に生まれ、昼日の一番短い冬至に亡くなるとは、いかにもベケットらしい極から極の〈文学〉を象徴している。処女長編小説といわれる『マーフィ』(1938年出版されたが反響なし、1947年にベケット自身によるフランス語版が出て読み直されたという)の冒頭は、
「それ以外に方法がないままに、太陽はなにひとつ新しいところがないものの上に照り輝いていた。マーフィは、まるで自由であるみたいに、それに背を向けて、ロンドンのウエスト・ブロンプトンの袋小路の奥に坐っていた。」と始まる。このはじまりについていろんなことが言えそうだが…。
あくがれて今日まで待ちしベケット忌
日の下に新しきなきベケット忌
行くわれを低き日が嘲うベケット忌
書記典主故園に遊ぶ冬至哉 蕪村
穴八幡に札求めたり寒き日に
柚三個浮かぶ湯船に許されて
しわ深きベケット隠る冬至哉
2010年12月22日水曜日
2010年12月21日火曜日
another bus
青山真治の「ユリイカ」をケーブルテレビで観た。初めて。長かったが、(映されているすべてのものの)距離感(観)と物語と映像と色彩が、丁寧だがしかしどこか逸脱した脚本のグルーブ(ノリ)に乗って飽きさせなかった。終日陰鬱な雨、八王子は。
役所はいい役者だと思った。自分を消すことを、もう少し香川なども役所から学んだらどうだろうか。カラスの鳴かぬ日はあっても香川の出ない日は最近ないようだ。
土曜日(18日)で今年の仕事は終わった。それから、ぼーっとしている。
役所はいい役者だと思った。自分を消すことを、もう少し香川なども役所から学んだらどうだろうか。カラスの鳴かぬ日はあっても香川の出ない日は最近ないようだ。
土曜日(18日)で今年の仕事は終わった。それから、ぼーっとしている。
2010年12月19日日曜日
Little is left to tell.
昨日観た、トラン・アン・ユンの「ノルウェイの森」が夢のなかの出来事のようにすっかり忘れ去られてしまっているのに今朝になって驚いた。そういうことを狙った映画なんだ、原作もそうだったんだ、という驚くべき確認。
美しい映像、トラウマたちの、しのぎあいの物語。性愛の袋小路を生の倫理として生きなおそうというフラットな男のだれも傷つけない閉じられた妄想の世界、いやその一歩手前で映画は止まっているというべきか。「わたしはぬれたことがなかった」というナオコの台詞。トラン・アン・ユンの映画で一番美しいのは、そういうナオコとワタナベクンをあの時代のなつかしいアパートの窓のなかに閉じこめながら、永遠にわたるかのように降り続ける雨だ、ぬれた雨、しかし、この雨でさえ、いやらしいフォークソングの雨とはちがい、ぬれながらどこか乾いている、その雨の映像だ。
美しい映像、トラウマたちの、しのぎあいの物語。性愛の袋小路を生の倫理として生きなおそうというフラットな男のだれも傷つけない閉じられた妄想の世界、いやその一歩手前で映画は止まっているというべきか。「わたしはぬれたことがなかった」というナオコの台詞。トラン・アン・ユンの映画で一番美しいのは、そういうナオコとワタナベクンをあの時代のなつかしいアパートの窓のなかに閉じこめながら、永遠にわたるかのように降り続ける雨だ、ぬれた雨、しかし、この雨でさえ、いやらしいフォークソングの雨とはちがい、ぬれながらどこか乾いている、その雨の映像だ。
2010年12月2日木曜日
Twilight kingdom
昨日、久しぶりに歩く。午後3時半過ぎに家を出る。湯殿川には何本も橋が架かっているのだが、我が家から20分ほどのところにある橋は稲荷橋という。そこに三脚に固定した立派なカメラが四台くらい、ということは写真好きのおじさんたちが四、五人橋の欄干で西側の冨士を狙っているのだ。これは散歩の帰りにわかったこと。すさまじい夕日、私はまぶしくて俯いて歩いていく。いつもの目的地までで折り返して帰る頃には、これはまたなんという美しい色に染まった空と冨士だろう。マゼンダ色というのか、それが何本も帯のように、川のように、渦巻きのようにシルエットになった冨士の周りを取り巻いている。でも押しつけがましい色ではない。往くときには眩しかったのだが、復路には丁度時刻は4時半ころになっていたが、まぶしい黄金の光を吸いこんだせいで身体の底からその光の名残が朱とも赤ともつかぬ色で静かに発色し燃えているような西空を心ゆくまで眺めたいばかりに、私は振り返り、振り返り、しまいには後ろ向きに歩くことを繰り返しながら、ああ!とため息までつきながら先ほどの稲荷橋に着いた。カメラの人たちはまだいた。「冨士の真ん中に日が落ちるのです」という。まぶしくはないのですか?いえ、いえ。この日没直後の色は素晴らしいですね、と言って私はファインダーを覗き込んだ。先ほどの眩しい落日(冨士を真中から割って落ちるという)とこの落日後の光の名残たちが演ずるどこか切ない郷愁に似た色のシンポジュームがそこに映っていた。
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