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2012年3月27日火曜日

For indeed, the kingdom of God is within you.(Luke 17)

「悔い改めよ、神の国は近づいた」というのがヨハネの宣言なら、「神の国はあなたたちのなかにある」(ルカによる福音書17:21)というのがイエスの思想だと大澤真幸は述べ、次のようにいう。「「近づいた」(ヨハネ)ということは、神の国にまだ到着していない、ということである。「あなたたちの中に(あなたたちの手の届く範囲に)」(田川健三の解釈によるという)(イエス)ということは、神の国にすでに到着しているということを意味する。決定的な出来事を基準にして、ヨハネとイエスの相違は、「いまだ/すでに」の二項対立に対応している。問題は、このように認識の相違が、実践に関して、どのように違いをもたらすか、である。」


前者(いまだ)の認識は「最小限の余裕がある。救世主はまだ訪れてはいないので、これからがんばればよい」しかし、後者(すでに)は「一刻の余裕もなく、神の国にふさわしく生きなくてはならない。すでに到来している「それ」の意味を十全に現実化するような生き方をしないわけにはいかないのだ。それは「後で」という言い訳を決して許さない、逃れえない重責である。」という違いになる。
ここから(「神学」的な原発事故の把握)大澤真幸はどのような結論(このノートの最後に引用した)を導くのか。


「原子力」に関しての大澤のとらえ方をおさえておく必要がある。「二○世紀の中盤、平和利用された原子力の存在は、「神の国は近づいた」=「メシアはもうすぐやって来る」という福音、いわばヨハネ的福音として機能した。」だが今日の原発事故は「神の国(天国)」について何を語っているかと大澤は問い、次のように答える。「原発事故がわれわれに語っているのは、「あななたたちは神の国のはるか遠くにいる」、あるいは「神の国は存在しない」というメッセージであろう。原発周辺の共同体をそれこそ根こそぎにしてしまうほどの原発事故が何かを意味しているとすれば、…われわれが「地獄」にいることを含意する、…メッセージしかありえないように思われる。しかし、そうではないのだ。原発事故が意味しているメッセージ、それはあのイエス・キリスト的な福音、「神の国はあなたたちのなかにある」なのである。少なくとも、原発事故は、このようなメッセージを示している、と見なすこともできる」と。


原発事故のもつ、二つの対極的な意味をもう一つのイエスの言葉を大澤は引いて説明する。ヨハネに関して、イエスは激賞して「女から生まれた者の中で最も偉大な者」と述べたあとで「しかし神の国では最も小さい者もヨハネよりは大きい」と逆とも取られかねない一言を付加したという。「つまり、神の国では、地上で最も偉大な者が、最小の者に反転するのである。この反転は、原発事故のような最も悲惨な出来事が、神の国の到来を告げる最良の福音になる、という転回と対応している。」と大澤は書く。ここからどのような結論が得られるか。


(結論)「事故は否定的な仕方で―悲惨な災害を媒介にして―、「神の国」の到来を告知した。この場合の「神の国」とは、原発を必要としない社会、原発への依存を断った社会である。われわれは、今すぐに動き出さなくてはならない。…仮に、今すぐに原発をすべて停止したり、廃炉にしたりはできないとしても、停止を決断すること、明確な期限の付いた停止を決断することならばできる。「いつまでに停止する」ということ、できるだけ短い期限を設定した停止ならば、直ちに決定することができるはずだ。これがなすべき第一歩である。イエスは、こう言っている。「手を鋤につけてから後ろをふり向く者は、神の国にふさわしくない」(ルカ9:62)と。手を鋤につける、とは神の国に入ってしまった、ということである。もはや神の国に入ってしまったのだから、後ろを顧みるわけにはいかない。原発に未練を残すわけにはいかない。」


この結論にいたる論証のための具体的な例として、ヨブ記のヨブや、「江夏の21球」の江夏投手!などが持ち出される。言いたいのは、イエス・キリストがヨハネとは違い「革命家」にならざるをえないということ、「神の国に到着してしてしまったときの人間の重責の担い方を、身をもって示している」ということの例としてである。江夏は広島の優勝という神の国のただ中にいて、彼にしか投げられないウェストボールでスクイズをはずしたのだという。「江夏にとって「優勝」は、あらかじめ果たされている約束であり、これに現実という実質を与えるのが彼の使命であった。」江夏はイエスであったと大澤は言っているのだ。ヨブがイエスと類比的なのはすぐわかる。大澤真幸は、すでに、神の国が到来しているということ、「救世主はすでに来た」という宣言こそが、「まだ訪れていない…これからがんばればよい」という預言よりも「はるかにおそろしい啓示」であるという、彼の「神学」のポイントがここにはあるのだろう。


小島きみ子さんの「タッチ」という詩(エウメニデスⅢ)を読んで、そこに出てくる聖書のことばやリルケのことばに触発された。小島さんが出されている「空しさ」と「永遠」という問題は聖書的、神学的な問題のみならず、われわれの日常の生き方の問題でもあるが、それをどう考えていけばいいのかも「タッチ」を読みながら思ったこと。また大澤真幸の論旨とも深いところで呼応しているとも思った。「風にカラカラと戦ぐポプラのように」、わたしの「魂」に「届けられた」言葉にありがとうと言いたい。

2011年3月21日月曜日

ゆき暮れて

震災10日目。しこりのように福島第一原発の状況が胸につかえている。地震と津波による被災地支援と復旧・復興は完全ではないが、その緒につきはじめたようでもある。それに対して「原子力」と「放射能」の問題は依然としてその、「災厄」の始まりに留まっており、その終息は見えない。レスキュー隊や自衛隊、現場で働いている東電その関係の人々のまさに献身的な努力とこの人たちの無事に対しては深い感謝と祈りを捧げるしかない。しかし、「いまのところ…ではない」とか「ただちに…するものではない」などという日本語特有の言い回しで世論を繕う、あるいは作るメディアや御用学者たちの無責任な言説ではなく、そこで起きている真の「事実」の開示と、それに基づいた(たとえそれが最悪の事実であれ)責任ある「避難」を含めた「指示」がもっとも今望まれている、と私は思う。

彼岸の中日、春雨料峭。閉じこもるのみ。解酲子にならって私も「方丈記」を再読してみた。
やはり、今から826年前、元暦2年(1185・7月9日)の大地震を記述したところが印象に残る。

…山は崩れて河を埋め、海は傾きて陸地をひたせり。土裂けて水湧き出て、巌割れて谷にまろび入る。…地の動き、家の破るる音、電(いかづち)に異ならず。家の内にをれば忽にひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるはただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚え侍りしか。かくおびただしくふることは、しばしにて止みにしかども、その名残しばしば絶えず、世の常驚くほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやう間遠(まどほ)になりて、或いは四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、おほかたその名残三月ばかりや侍りけむ。


余震の回数、それが三ヶ月ばかり続いたというところなど、実際に経験した人でないと書けない。

ゆき暮れて雨もる宿やいとざくら     蕪村

2011年1月23日日曜日

寧生而曳尾塗中

昨日は小生の輪講の番だった。にわか勉強、一夜漬け気味だったが、なんとか、
『冬の日』の最後の荷兮の発句「霜月や鸛の 彳々ならびゐて」から始まる歌仙の発表用レジュメをぎりぎりまでかかって作ることができた。午後2時開始に間に合ったという意味。いつもの市民センターの会議室に行くと、蛙鳴とタク和尚は既に着席して遅しという風情で小生を一瞥したようだった。遅参をわびるまもなく、蕃氏は怒濤のごとく、口角泡をとばし、立て板に水とばかりに、午後5時まで、36句を縦横に説ききたり説き去ったのであった、というのは嘘で、三名なごやかに一句一句嘗めるように味読したのであった。以下、気に入った付合の一続きを引用しておこう。

  麻かりといふ歌の集あむ   (芭蕉)
江を近く独楽庵と世を捨て   ( 重五)
  我月出よ身はおぼろなる  (杜国)

「麻かり」という歌集の名前がいつまでも心に残る。 杜国の「月」の句も忘れられない。

 泥のうへに尾を引鯉を拾ひ得て   (杜国)
 御幸に進む水のみくすり  (重五)

この二句も、とくに杜国の願望が彼の実人生に照らしてみると切ないほどである。芭蕉復興に尽力した名古屋の俳人で、蕪村などと同時代の加藤暁台は杜国のこの句を「拾ヒ得テ放ス心ナラン」と評したというが(安東次男の『芭蕉連句評釈』下による)、深切な見方である。

「御幸に進む水のみくすり」ならぬ「養老」の酒がわれわれのいつもの輪講の後の愉楽であったことは言うまでもない。

2010年12月22日水曜日

go out in midwinter

八王子中央図書館で、
若島正の『ロリータ、ロリータ、ロリータ』(作品社)、平川祐弘『アーサー・ウェイリー 源氏物語の翻訳者』(白水社)、サミュエル・ベケット『ワット』高橋康也訳(白水社)、同『また終わるために』高橋・宇野邦一訳(書肆山田)、同『マーフイ』三輪秀彦訳(早川書房)を借りてきた。ベケットの本は陳列されていず、調べてもらって、すべて書庫から持ってきてくれたもの。遅れてきたベケット愛好者としては『短編集』(白水社)も読みたかったが、これはこの図書館にはないということ。都立のどこかの図書館にあるかもしれない、その本をこの図書館が借りることができるなら、貸し出すことも可能だというので、そのための手続きをする。アマゾンで調べたら、二冊ほどそれぞれ異なる古本屋が所蔵し、出品していた。値段は、なんと五万円近い。いくら好きでも、定年退職者には購入する元気をうちひしぐ値段である。そこで困ったときの図書館ということで、今日は外出したのであった。

それに今日はベケットの命日でもある(こういう想起の仕方をベケットは笑うだろうか)。1989年の12月22日、彼は83歳で亡くなった。それに加えて冬至の日か。イエスの磔刑の日4月13日1906年に生まれ、昼日の一番短い冬至に亡くなるとは、いかにもベケットらしい極から極の〈文学〉を象徴している。処女長編小説といわれる『マーフィ』(1938年出版されたが反響なし、1947年にベケット自身によるフランス語版が出て読み直されたという)の冒頭は、
「それ以外に方法がないままに、太陽はなにひとつ新しいところがないものの上に照り輝いていた。マーフィは、まるで自由であるみたいに、それに背を向けて、ロンドンのウエスト・ブロンプトンの袋小路の奥に坐っていた。」と始まる。このはじまりについていろんなことが言えそうだが…。

あくがれて今日まで待ちしベケット忌
日の下に新しきなきベケット忌
行くわれを低き日が嘲うベケット忌

書記典主故園に遊ぶ冬至哉   蕪村
穴八幡に札求めたり寒き日に
柚三個浮かぶ湯船に許されて
しわ深きベケット隠る冬至哉

2010年11月15日月曜日

Ohio Impromptu

どうしてこう疲弊するのだろうか?辛気くさい、老人の繰り言か。

 ベケットの「オハイオ即興劇」を読む。何故か知らんが、ベケットのことが最近いつも気にかかる。なにも知らないのに。極北のようなものか、あそこまで行けば文学も根絶やしだろうと思うからかもしれない。とにかく最近、「文学」が嫌になってきた。詩もそうかも。小説は読む体力がない。リョサも借りてきたけど、ほったらかし。

 英語で読みたいけど、面倒くさい。アマゾンの古書の出品のなかに、ベスト・オブ・ベケット3(白水社)「しあわせな日々・芝居」があって、そのなかに「オハイオ即興劇」も入っていた。700円ぐらいだった。今日届いていた。読んだ。このわけのわからなさの快感。現実と虚構と芝居と分身と読むことと聴くことの、すべてが曖昧な影を帯び、画定できない境や閾が息づきはじめて、いやすべてが…、

 最初に読み手は聞き手に向かって「語るべきべきことはもうほとんど残っていない。これを最後の…」と始まるテキストを読むのだが、これが舞台上の二人の役者(reader とlistenerという役柄)によって演じられる。この二人は区別不可能なほどに似ているという設定がある。聞き手は机の上をノックすることにより、朗読の部分を後退させたり進行させたりする。

 そのテキストの内容は、聞き手に対する誰かからの(聞き手が愛して、別れた人)メッセージのようでもある。その話は聞き手の経験のすべてがそこに記録されたもののようでもある。しかし読み手もすべてを理解して読んでいる、一つの身ぶりは、これは間違いないな、と言いながら、本を覗き込むのだが、これは間違いないな、と書かれているそこを読んでいるのである、そういう身ぶりがある。自分が書いたものを確認することの、その文字が、そのとおりそのページに書かれていて、それを読んでいるという仕掛け。

 その読まれるテキストの中の印象的な部分、
「川の二つの腕は、なんと喜ばしい渦を巻きながら相混じり、相抱いて流れ去ることか」、これには訳者(高橋康也)の注釈があって、「ベケットには珍しい抒情的エロティシズム」とある。

最後の部分で読まれるテキストの内容、それは読み手と聞き手の「今」を語るものでもある、

「そこで例の悲しい物語がもういちどこれを最後に読み直され、二人はまるで石に変じたかのように坐りつくしていた。ひとつしかない窓からは、夜明けの光も差さなかった。外の通りからは、ひとびとのめざめる物音も聞こえなかった。それとも、ゆえ知らぬ思いに耽っている二人の男にとって、それらのことはどうでもよかったということなのか?朝の光とか、めざめの物音などは。いかなる思いか、知るよしもない。思い?いや思いではない。心の深き淵だ。故しらぬ心の深き淵に沈んで。心呆けたる深き淵。いかなる光も届きえぬところ。いかなる物音も。かくして二人はまるで石に変じたかのように坐りつくしていた。例の悲しい物語がもういちどこれを最後に読み直された」、

注意、これはその読まれる物語であるということを忘れるな。この芝居の二人の訳者への言及とまがうこのテキスト、テキストと舞台上の区別が一気に混同される。

そして最後、もちろんこれもその読まれるものに書かれている内容を読み手が読む、

「語るべきことはもうなにも残っていない」、もう一回、この台詞がある。

そして最後のト書き、

―― 二人は同時に右手をテーブルにおろし、顔をあげ、互いに見つめあう。まばたきをしない。表情のない顔。十秒。 溶暗。――

「考え、いや、考えではない。こころの深み。どんな深みだか誰も知らないところに沈められ。こころの、ではない、こころのない深みに」(...profounds of mind. Of mindlessness.)
というような訳もある。こちらの訳のほうが好きだ。

2010年5月2日日曜日

午前0時の公共性

皆様

連休はいかがお過ごしですか?小生は白紙の原稿を抱えて、このよき天候に引き籠もり状態です。以前よりネット上の「ツイッター」なるものをのぞいて憂さをはらしていますが、高橋源一郎がとても面白いことをやらかしました。下は高橋のツイッターを自分のために読みやすくコピペしたものです。5月2日の午前0時から高橋はつぶやきはじめ、また2週間ほど、この試みをやるそうです。そこには、「公共性」の小説におけるとらえ方が展開されようとしています。暇つぶしに、お目を通しても損はないと思います。

水島英己


高橋源一郎(takagengen )による「午前0時の公共性」

予告編① あと少し、24時頃から「メイキングオブ『「悪」と戦う』」という連続ツイートを始めます。毎日、同じ時間に少しずつ、二週間ほど続ける予定です。中身は、ぼくの新作に関するあらゆること。具体的には始めてみないとわかりません。なにしろ、ふだん寝てる時間帯だから、起きられるか……。

予告編② ツイッターを始めて4カ月、なんとなくわかったことがあります。それは、ツイッターの「公共性」が、小説の「公共性」とよく似ていることです。いや、「小説」の「なにをやってもかまわない」という性質が、ツイッターのそれとよく似ているといっていいかもしれませんね。

予告編③ ツイッターという「歩行者天国」で、ギターを抱え、通りすがりの人に歌うおじさん(「なに、あの人? お客いないじゃん」)をやってみます。一つ決めているのは、ツイートすることは、ふだんぼくが原稿として書いているものと同等以上のクオリティーにすること。そしてそれを無料で配る。

予告編④ 昨日(今日?)、ツイッター上で、岡田斗司夫さんと町山智浩さんの間でちょっとした「論争」がありました。岡田さんが「社長の岡田さんに月1万円ずつ払う社員でできている会社」を作ろうとしたことに、町山さんが「違法ではないか」と言ったのです。確かに町山さんの言う通り、違法です。

予告編⑤岡田さんはなぜそんな変なことを思いついたのか、岡田さんは、社員から1万円ずつ集めた会社(そこでは岡田さんが社員にスキルを教えます)からの金で生活し、その代わり、どこかへ原稿を書く場合はすべて無料で書こうと考えたのです。ひとことでいうなら、「商品経済からの離脱」です。

予告編⑥ どんな表現も「商品経済」から逃れられないとするなら、岡田さんの「会社」は単なる夢想にすぎないのでしょうか。「商品経済」はきわめてよくできたシステムです。しかし、ぼくは、「商品経済」の「外」に、可能性を見いだそうとする岡田さんの強い願望がわかるような気がしたのです。

予告編⑦ 岡田さんの「会社」もまた、新しい「共同体」への希求の現れでしょう。そして、そういう人を見ると、人は「なんておかしなことを考えてるんだ、狂ってる」と言ったりするのです。でも、狂ってなきゃできないこと、狂ってなきゃ見えないこともあるんですけどね

予告編⑧ 最初のツイート以外にはなにも決めていません。ふだん原稿を書く時と一緒です。キース・ジャレットみたいに即興です。途中で立ち往生するかもしれないし、子どもたちが寝ぼけて書斎に侵入してくるかもしれない。その時はごめんなさい。それでは、「午前0時の公共性」をお待ちください。

メイキングオブ『「悪」と戦う』① この間、ゼミで村上春樹さんの『1Q84 』BOOKⅢを読んで、みんなの感想を訊いた。みんなはそれぞれ、テーマやメッセージや隠された謎やその解釈についていろいろしゃべってくれた。なかなかのものだった。その時、T君が、突然こんなことを言い出したのだ。

メイキング② 「テーマもメッセージもなにもないと思うんです。空っぽなんだと思うんです」。「じゃあ」とぼくは言った。「そこにはなにがあるの?」。すると、T君は、「村上さんは、小説を書いているんだと思う。というか、小説を書きたいんだと思う。ただそれだけ。他にはなんにもなし」

メイキング③ 「いちばん大切なのは、小説を書くこと、他はどうでもいい!」。T君の発言は、みんなを困らせた。なにがなんだかわからない。でも、ぼくはものすごくおもしろいと思ったんだ。村上さんのその本が、そうであるかは置いておくとして、T君は、ふつうの人が思いつかないことに気づいた。

メイキング④ ふつう、小説で大切なことというと、作者が言いたいことや、物語や、テーマや、文体やら、ということになる。でも、T君によれば、小説は、なにも積んでいなくても、ただそれだけで価値がある、積載物ではなく、それを積んでいる本体(車体?)の方に意味がある、のだ

メイキング⑤ なんだか抽象的な話になっちゃいそうだなあ。いかんいかん。具体的な話をしてみよう。「小説しかない」という小説の、最近のもっともいい例は東浩紀さんと桜坂洋さんの『キャラクターズ』だと思う(もちろん、「小説しかない」わけじゃなく、それ以外のものもたくさん詰まっているが)。

メイキング⑥ ぼくは『キャラクターズ』の評価が低いことに、というか、際物扱いされることにほんとにガックリしていた。東さんの『クォンタム・ファミリーズ』は「文学作品としては」『キャラクターズ』よりずっと上かもしれないが、「小説の強度」としては、『キャラクターズ』の方が上だ。

メイキング⑦ 『キャラクターズ』をの読者は(というか、批評する側は)、例外なく困惑する。作者がふたりいること、にだ。ぼくたちは、作者というものは一人であり、その一人しかいない作者のメッセージを解読することが「読む」ことだと「思わせられている」。
メイキング⑧ もしふたりの作者が、作品内で勝手に、それぞれの道を行ってしまったら、読者はどう解読していいのか、自信をもって言うことができなくなってしまうだろう。でも、それでいいのだ。わからなくっても。というか、わからなくするために、作者は、小説という手段を用いているのだ

メイキング⑨ 小説というものは、ほんとうは「『私』は、『私』以外の他人、『私』以外の『私』を実は理解できない」ということを証明するために書かれているからだ(とぼくは思っている)。だから、誰が書こうとほんとうは小説なんか意味がわからないのだ(他人の考えていることがわかりますか?)。

メイキング⑩ なのに、ふだんぼくたちは、わかったような気がしてしまう。他人が考えていることがわかるような気がしてしまう(そんな気にさせてしまう点こそ、多くの小説の重大な「罪」)。そんなぼくたちの目の前に、ふたりの作者が書いた一つの作品が現れる。ただそれだけでぼくたちは不安になる。

メイキング⑪ ふたりの異なった意見を持つ他人が目の前にいる。面白いのは、そのふたりがお互いに理解し合ってはいないように見えることだ。だから、ぼくたちは不安になる。彼らの間にコミュニケーションがないように、ぼくと彼らの間にも理解し合えるものはなにもないのではないか。

メイキング⑫ 以前、ある雑誌で阿部和重さんと中原昌也さんが「共作」するという話が出た。実現はしなかったけれど(たぶん)、その話を聞いた時、ぼくは「さすが」と思った(「馬鹿なことやってる」という反応が大半だった)。小説がほんとうはなに(でありうる)のか彼らにはわかっていたのである。

メイキング⑬ 小説はひとつの「公共空間」だ。公共空間とは「複数の、異なった、取り替え不可能な『個』がいる空間」だ。なぜ、そんなものを書こうとするのか、それはぼくたちが日々「公共空間」を生きているからだ。もしくは、いま生きている世界に「公共性」を取り戻したいと考えているからなのだ。

しんちゃんが泣きだしたので(たぶん歯痛のせい)、本日はここまで。質問等々あれば、リプライください。できるだけ返事します。とりあえず、子どもの様子を見てきます。んじゃ

メイキング・番外 しんちゃんに痛み止めを飲ませました。連休中やってる歯医者さんを探さなくちゃいけないかも。メイキングの続きは、また明日の24時(の予定)。みなさん、ご静聴ありがとうございます。これから、少しリプライします。

それも大きな理由だと思います。 RT @hirokilovinson 『キャラクターズ』が際物扱いされた理由には「哲学者・批評家である東浩紀に言語芸術である小説は書けない(書けたら最初から作家になっているはず)」という穿った先入観があったためではないでしょうか。 (

自覚しないで書けるのが理想ですね。 RT @sgkt1124 「私は、私以外の他人、私以外の私を実は理解できないを証明するために書いている」というのは、意識的にそう書いているということでしょうか(中略) 自分でも文字になるまで何を書いているかわからないということでしょうか

そこでは「個」にかなりの「強度」が必要とされると思います。ふつうの小説以上に、です。 RT @arayatakuto キャラクターズは二人で書いた分、個の複数性が際立つ。さらに言えばwiki小説などが公共空間という側面が強く、より小説らしくなりますか?


それでいいのだと思います。 RT @dzna @takagengen 私は、「私」のことを出来るだけ遠くから離れて見るために小説を書こうと思っていました。そうすれば理解できるかもしれないと。そんなことしなくても、人は自分を理解しているのでしょうか

偶有性と同時に成り立つ公共性が必要とされてます。 RT @shanti_aghyl しかし私は小説こそ、そのかけがえのない特定の個という偶有性を公共に対してまずは打ち立てる必要があると思います。ともすると閉じてしまう、特定の交換不可能な関係を帯びた「語り」が、いかに公共空間

そうです。一回分だけ読んだことを思い出しました。中身は覚えてませんがw RT @jeankenpom @takagengen 阿部和重さんと中原昌也さんの「共作」とは、赤ん坊が松明代わりに(『文藝』、第1回・2004年夏号、第2回・2005年春号)では? 私は未読ですが。

小説は、「ありうべき共同性」の、限界(とその先)まで描くことができると思います。 RT @aniooo 自己をも含む他者との理解不可能性が表現された小説を通じて構築し得る公共空間は、小説以外のコミュニケーションで構築される公共空間と、どのような特異性をもつのでしょうか。

同感です。韻文は共感を迫ります。散文は共感ではなく覚醒を迫るものです。 RT @it663 @takagengen 小説の、「あいだ」のメディア、幽霊的な(?)メディア性を考えた時、それが散文の(prosaicな、味気ない)表現であることが、逆に強みになるのではないですか?
はい。でも、「私の立場」って、考えてみると実はよくわからないんですけどね。 RT @aikank 私は相手のことを本当に考えてあげられているか?と考えるとき、私が彼だった可能性、彼が私だった可能性、私の立場が彼の立場だった可能性をどうしても考察の中に入れてしまいます。

ところで、この時間帯はふだんなら熟睡している時間帯です。さすがに頭が回らなくなってきました。すいません、ちょっと寝ます。それでは、お休みなさい。

(以上は今朝(5時半)現在までのツイッターの記録です。水島)
(この続きはどうなるか興味はありますか?)(興味のある方は、ご自分で追いかけてみて下さい)

2010年3月29日月曜日

皺ある寒さ

北村太郎の「死者について」(「北村太郎の仕事3」所収)というのを読んでいたら、その冒頭「W.H.オーデンが三月二十八日、ウイーンホテルで死んだ。」と始まるのが変な感じがした。これは1973年十一月の日付が記されているエッセイだ。初出誌はたぶん現代詩手帖だろうが、「パスカルの大きな眼」1976年思潮社、という単行本から収録されたということが後に付いている「書誌」からわかる。としたら、この今ぼくが読んでいる全集本にいたるまでに、少なくとも2回の校定、校訂、校正などの時機があったにもかかわらず、北村太郎の敬愛したW.H.オーデンの死亡期日が誤って書かれているという、これもプロの校閲者であった太郎の名誉にかかわるような基礎的・事実的な誤記が残されてしまったということになる。W.H.オーデンの命日は1973年の9月29日。どこで間違ったのだろうか、読みながら気になった。このことが気になった原因は実は、その間違った日付3月28日がわれわれ老夫婦の?十回目の結婚記念日だったので、あれあれオーデンの死んだ日だったの?などと思い、調べ直したことからわかったのだ。しかし、北村太郎のこのエッセイはすばらしいもので、オーデンのあの皺だらけの顔について次のように述べている。

あれは六十歳をすぎての写真であったろうか。面ながのその顔の、額だけでなく、目のまわり、頬、唇のあたりまで、深い皺が刻みこまれていた。毛唐の老人は、われわれの国の老人たちよりも、一般に皺が深く、また骸骨的であるように思われるが、肉を主とする食習慣によるものかどうか、わたくしには分からない。…(中略)とにかく、毛唐の老人のグロテスクさは、本邦のそれといちじるしく対照的である。オーデンのおびたただしい深い皺は、わが国では稀に老農夫の顔に見られるところのものであって、老詩人、老農夫の対比は決してオーデンに対するわたくしの冒瀆ではなく、むしろオマージュなのである。…(中略)とにかくオーデンの顔の皺は異様である。彼の日々は、知的にも感情的にも、あまりに充実しすぎていて、それが生理に、つまり皺に現れたのかも知れない。そして、その充実さの時間的限度が六十六年であったのだろう。


その人の顔の皺をもとに、その人の特異さを論じることのできるのは北村太郎一人だけだろう。

もう一つこの巻きには「「寒さ」について」という、これも面白いエッセイがあって、この季節外れの寒さの三月の終わりにこれを読んだことも、なにかの縁であると思う。その終わり、


いちどきに二日の物も喰て置      凡兆
雪けにさむき嶋の北風        史邦
火ともしに暮れば登る峰の寺      去来

の寒さこそ文明なのだ。そして「猿蓑」集は標題が示すように、「冬」が巻之一で、その寒さからすべてが始まるのである。


と「寒さ」こそ文明だと宣言し、これが書かれたのは1973年2月だが、そのときの「暖冬」の日々を唾棄している。寒さこそか、それにしても寒い。

2010年3月28日日曜日

現在

 やっと「詩的間伐」を読み終わる。どっと疲れた。この対談と同時性を生きてきたのであるが、この二人の苦闘と、ある種の寓話的な身振りの過剰さ(そうならざるをえないのかもしれない)を、その同時性から身を離した空間と時間(もうそうなんだ)で読んではじめて理解しえたという実感のようなものに包まれている。それにしても、こんなに困難な詩の時代を生きていたのか。慰藉も赦しも、この二人は徹底して与えてくれないのであった。でも、それが嫌だというわけではない。私も狂っていいだろう、そういう年だと思う。私の固有の問題として。

2010年2月27日土曜日

庭気色を増せば晴沙緑なり  林容輝を変ずれば宿雪紅なり

藤井貞和さんの「思惟とテクスト」(詩学のために2『詩論へ2』所収)を読む。『詩論へ1』所収の「文献学、時間、そして想起」の続きで章の番号から言えば17から41(プラス「まとめとして」)まで。圧倒的なボリュームだが、なんとか振り放されず論旨についてゆくことができた。平安漢文学の問題と近世朱子学の問題、それらから「詩」の内在的な成立をたどるというもの。ひたすら勉強をし、勉強になった、という読後感。読み終わってウイスキーの水割りを飲んだよ。

表題の詩は、藤井さんの論で引用されていた紀長谷雄の詩の一節で『和漢朗詠集』に見られる。

2010年2月15日月曜日

埃が

物音一つしないただ老人たちの息づかいとページをめくる音だけするとそのとき突然あの埃だった部屋中が突然埃でいっぱいになっておまえが目をあけると床から天井まで埃のほかはなにも見えなかったそして物音ひとつせずただ聞こえたのは埃が言ったのはなんだったけ来たれり去れりだったかなそんな言葉だった来たれり去れり来たれり去れり誰もいないあっというまに来たれり去れりあっというまに
(十秒間の沈黙。息づかいが聞こえる。三秒たつと目が開く。五秒たつと微笑する、できれば歯のない口がよい。五秒そのまま。次第に暗くなる。幕)

not a sound only the old breath and the leaves turning and then suddenly this dust whole place full of dust when you opened your eyes from floor to ceiling nothing only dust and not a sound only what was it it said come and gone come and gone in no time gone in no time
[Silence 10 seconds. Breath audible. After 3 seconds eyes open. After 5 seconds smile, toothless for preference. Hold 5 seconds till fade out and curtain.] The End


Samuel Beckett “That Time”
Written in English between June 1974 and August 1975. First published by Grove Press, New York, in 1976. First performed at the Royal Court Theatre, London, on 20 May 1976
その最後、Cの台詞とト書き。

2010年1月24日日曜日

アイヒェンドルフの思い出のために

アドルノの「文学ノート」Ⅰ・Ⅱ(みすず書房)を、ここ最近ずっと読んでいて、その思考のスタイルに引き込まれている。博識は言うまでもないが、博識を打ち砕く弁証法的過激さとでもいうべきものや、その論理展開と文章自体の面白さ、いろいろある。とくに音楽に関する思考の鋭さは、楽理に対する通暁と作曲家を当時の時代や哲学を背景にしながらその限界と未来を語り尽くすといった仕方で述べることにおいて、アドルノをしのぐ人はいないだろうと思う。「文学ノート」ではないが、「ベートーヴェン 音楽の哲学」(作品社)におけるベートーヴェン後期作品の解釈の切れ味のすごさ、「ベートーヴェン 晩年の様式」と題された断片の深さ、ここからエドワード・サイードの「晩年のスタイル」という概念も生まれたのだった。その全部をここに書き写したくなるのだが、『アイヒェンドルフの思い出のために』(「文学ノート」所収)と題された、後期ロマン主義の詩人、作家であるヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1788-―1857)の詩について論じたエッセイがある。そしてこのエッセイの終わりには「コーダ-シューマンの歌曲」と題されていて、「アイヒェンドルフの詩によるシューマンの歌曲集、作品39は、抒情的連作歌曲(チクルス)の傑作の一つである」と始まる、それこそシューマン音楽への蘊蓄を傾けながら専門馬鹿のような自己満足には堕さないぞといったアナリーゼが12の歌曲すべてに施されている。私にはここを紹介する余裕はない。カルチャーセンターなどで流行るレクチュアコンサートなどにも行って聴いてみたいと思うのだが、私の能力を超えている。もちろんアドルノのレクチュアも。しかし、―「リーダークライス」の構造はテクストの内実ともっとも密接な関連に置かれている―という言葉を読んだだけで、アドルノがどんなにふかくテクストであるアイヒェンドルフの詩に読解の自信があり、なおかつシューマンの曲の全体の布置に対して自らの理解の自信があり、そこから、はやるように言っているのがよくわかる。ああ、こういうとき楽理がもっと分かればなあと己の非才を嘆くばかりである。ここではアイヒェンドルフの「憧憬」という詩をアドルノ(サイ-ドによれば、アドルノ=晩年のスタイルの憂鬱な薄明をつかさどる大司祭、といういささか揶揄的な異名をたてまつられることもあるのだが、この読解はみずみずしくロマン主義的である)がどう解釈するかを同エッセイから抜き書きしておこう。まずアイヒェンドルフの詩。

憧憬

星々が金色に輝き、
一人で窓辺に立っていた僕に
遠くのほうから聞こえたのは
静かな田舎に響く郵便馬車の角笛。
心が身体のなかで燃え上がって、
僕は秘かに考えた。
ああ、郵便馬車に乗って行ける人はいいなあ
こんなきらびやかな夏の夜に!

二人の若者が
山の斜面を通り過ぎて行った、
僕には彼らが、静かな山道を歩きながら、
歌うのが聞こえた。
めまいがするような峡谷で、
森が穏やかにざわめいているのを、
清水が、断崖から
夜のような森に流れ落ちるのを。

彼らは歌う、大理石の像の数々を、
庭園が、岩の上で
夕暮れの樹々の蔭で荒れ果てるのを、
月の光に照らされた宮殿で、
少女たちが窓辺でじっと耳を澄ましているのを、
リュートの響きが目覚めるときに、
泉が寝ぼけてざわめくときに、
こんなきらびやかな夏の夜に。


以下○印は特記すべきアドルノの解釈、つまり私の好きな言い方。

○夜の風景について、それが靜かだと言うほど、いい加減な言い方はないし、郵便馬車の角笛ほど陳腐を極めるものもない。だが、静かな田舎に響く郵便馬車の角笛となると、これは意味深長な矛盾である。なぜなら、角笛の響きは静けさを破壊するのでなく、静けさ自身のアウラとなって、静けさをはじめて静けさにするからである。

○山についての四行が「君は知るや。レモンの花咲く国を」の影響下にあることは明白である。だが、「断崖をなす岩を、清水が駆け下りる」という、力強い、呪縛するようなゲーテの詩句と比べると、アイヒェンドルフの「森が穏やかにざわめいているのを」というピアニッシモはまるで天と地ほどに違う。アイヒェンドルフのこの詩句は、いわば聴覚の内空間でしか聞こえないような、微かなざわめきというパラドックスであり、そのなかへと消え去る壮大な風景は、イメージのはっきりした輪郭を犠牲にして、開かれた無限へと逃れてゆく。そうであればこの詩のイタリアも、官能的欲求の確固とした到達点なのではなく、それ自身が憧憬のアレゴリーにすぎず、うつろいやすいものの、荒れ果てたものの表現に覆われ、充足された現在ではほとんどないのだ。

○音楽の再示部と同じように、詩は円環をなして閉じている。きらびやかな夏の夜に一緒に旅に出たいと思っている者の憧憬の実現として、きらびやかな夏の夜がやはり憧憬自身として、再び姿をあらわす。この詩はいわば、「至福の憧憬」というゲーテの詩のタイトルのまわりを縁どっている。憧憬は自己自身を到達点として、自己自身のなかへと流れ込むのだ、それはまさに、憧憬をいだく者が、憧憬の無限性のなかに、あらゆる特定なものを超越したところに、自己自身の内的なあり方を見出すのと同じことである。愛は恋人のためにあるのと同様に、愛のためにもある。詩の最後のイメージが、窓辺でじっと耳を澄ましている少女たちに辿りつくことから、憧憬がエロティックなものであることはわかる。だが、アイヒェンドルフが至るところで肉欲を覆い隠す沈黙は、幸福の最高の理念に転化する。幸福のこの理念にあっては、憧憬そのものが充足に他ならず、神性の永遠の観照に他ならない。(訳はすべて、恒川隆男のものによる)


なんという読解であろうか。あの憂鬱なアドルノも、アイヒェンドルフの詩をシューマンの曲とともに「自明なもの」としてギムナジューム時代の親密な記憶と共に生きてきたのであるからか、これを書いているアドルノの中になにか明るいものとして輝いているのはたしかである。

2009年10月27日火曜日

センチメンタルジャーニー

「…少なくともぼくが詩を書きはじめた頃は、詩の世界に一種のコンセンサンス、あるいはオーソリティがあったと思う。それは戦後もじつに性懲りもなく続いてあった。それが七、八年前から崩れたという気もする。しかし根底から崩れたかというとこれも疑問で、マス社会、オーディオヴィジュアル社会に変わったことは認める。それならばいまは詩は瓦礫の時代なのかというと、そうともいえない。もっと壊すなら徹底的に壊れてしまったほうがいいんじゃないかと思うこともあるんです。たしかに瓦礫は大袈裟だけれども、そこまではまだいっていない。
 詩というのはどんなマス状況になっても一人一人に向かう。詩は一種の直撃力ですから、受け取る人がいるか、いないかということです。詩というものはわずかな人に向けるメッセージであるわけです。同時に、やはり一般大衆、マスに向けられている。そういう矛盾した二面性をもっているのが詩です。すべて絵画も音楽もそうですが、ことさら詩というのはその二面性がおもしろい現れ方をする芸術ではないかと思う。ポップなものであると同時に、やはりパウル・ツェランではないけれども、壜の中のメッセージで、どこに流れつくかわからないという面もある。」

1990年、その死の2年前に、詩人は上のようなことをテープにむかって語っている。ここで語られている事情は、2009年の今はどうなっているのか。同じだろうか、それとももっと瓦礫化は進行しているのだろうか。詩という「芸術」の二面性は健在だろうか?変わらぬことは「詩は一種の直撃力ですから、受け取る人がいるか、いないかということです。詩というものはわずかな人に向けるメッセージであるわけです」という覚悟にも似た詩の本質のとらえ方であるようにも思える。

この本『センチメンタルジャーニー』(草思社)の詩人、北村太郎の命日は昨日10月26日(1992年)であった。近くの図書館から借りて、昨晩読み終わったところで、そのことを同書所収のの年譜によって偶然発見したのであった。この不完全な自伝をベースに、ねじめ正一の『荒地の恋』も書かれたのだろうが、北村太郎という人の自らを遠慮無く語る力にはねじめの小説は負けていると思った。それほど明晰で容赦ない自己解剖の試みの自伝である。

2009年7月23日木曜日

大隠は朝市にあり、小隠は丘岳に入る

 
市中であれ、岳林、山林であれ、俗世(間)から「遁れる」とか「隠れる」というのには 、世間に対するなんらかの異和感、抵抗、諦念、敗北感、復讐心、抗議、ひょっとしたら、闘争の意識―たとえあまり自覚的でないとしても―さえ場合によっては秘められているかもしれない。もしそうなら、それらを徹底して隠すことであらねばならない。徹底しなければ、隠すべき対世間への意識の一部が外にもれてしまう。一方もらすことでただ凡庸なだけの者、あるいはたんに風変わりな者でないとの表示―世間への対抗を示したり、スネていることを示して、隠者ぶる、スネ者ぶる、反体制ぶる手合いももちろんある。
(『隠者はめぐる』富岡多惠子・岩波書店)


先日読了した本だが、富岡多惠子の『隠者はめぐる』は、ああでもない、こうでもない、と、いわゆる「隠者」「隠士」をめぐり、エッセイの醍醐味を著者本人自身が味おうというような ゆるいスタイルで書かれた「隠者」論だ。私も眠りに落ちる前の読書として、布団のうえで気儘に読んだ。扱われてる「隠者」たちの中心は契沖である。そのことが私の興味を引いたことの主な理由の一つだった。大著『万葉代匠記』の学僧。このタイトルの「代匠」とは、師匠に代わって、という意味だが、その師匠格の下河辺長流が光圀の水戸藩から万葉の注釈を頼まれていた、全部はできなかった、それに代わって契沖があとの仕事を完成させたということから付けられた名前である。その二人の交流、長流は契沖より十六歳年長であったが、二人の詠み交わした和歌からみると、そういうことは感じさせず、二人の親密な友情(むしろ恋情というほうがふさわしい)がうかがわれる。富岡は二
人の歌などから、同性愛的なものを、そこに見いだすのだが、それは彼女が『釋迢空ノート』でやった信夫と無染のそれの追求を思わせるが、なにしろこれは江戸時代前期の人の話であって、そこまでは行かない。契沖という「隠者」、彼は僧侶だから、まず出家という形で、世間を離れ、そのあとやはり「世間」と似たようなものであったとどこかで覚悟したのか(これは秘められているが)、専門僧侶としての、住職などの仕事から離れる、というように最終的には「二重の遁世」をした人であるというのが富岡の考えだ。専門僧侶の仕事を離れて、学問と歌でどうにか生活できたのは水戸藩からの毎年十両のボーナスのせいであったというのも、富岡が言っていることである。つまり「隠者」を支えたものはやはり金であった。しかし、この十両のボーナスのことを死ぬまで契沖は恥じたらしい。それが契沖という人の特異なところで、富岡はそこに惹かれたのだろう。冒頭に引用したような「隠者ぶる、スネ者ぶる、反体制ぶる手合い」ではなかったというところが彼女のお気に入りの隠者ということである。なにかを「徹底して隠した」人でもあろう。次の歌は何の技巧もない、それ故契沖の長流に寄せる思いがよくわかる歌である。

我をしる人は君のみ君を知る人もあまたはあらじとぞおもふ

(日録)
昨日は久しぶりに禁酒した。その前、連日飲酒の機会があったので、楽しかったが結構疲弊した。ところが今日は一日空けただけなのに、飲みたくなる、で、ビールと黒糖焼酎。
雨か晴れるか分からない天候の中を、女房と八王子へ。夏の友人との旅行のための新幹線などの切符を女房購入する。この夏はお互い別々の行動という初めての経験。
クマザワ書店で新しく出た岩波文庫『対訳 イェイツ詩集 高松雄一編』を求む。
そのあと、花マル?うどんで、温玉うどんの冷たいのを食べる。すっかり雨。

先日、NYCの湯浅さんから、すばらしいメールを頂戴する。例によって、無断だがここに転載しておく。どうして、こういう英語が書けるのか、私はいつも感動しないではいられない。私のアメリカ旅行の計画に対しての返信。


Mr. Mizushima,

That sounds like a great plan. While you are in Texas, I hope you get to go to San Antonio and Austin. I love visiting Spanish missions in San Antonio (not just the Alamo mission) and Austin is my favorite Texas city (and the UT, one of my favorite campuses). When I lived in Dallas, I used to visit these two cities quite often. A tour of the Faulkner's South should be interesting too. The gentility and poverty, decay and neglect, a great deal of cruelty - looking back (in time and space), the South, the land of my youth, stirs within me a lot of fond memories but also a little bit of chill. But then, Atlanta has changed so much in last 15 years that I hardly recognized it on my last visit two years ago. (Only things that were constant were light that played on young leaves and the dark quiet water of the Chattahoochee River). The greater South may have transformed itself too-- with the old wounds of poverty and injustice less visible. The South I know is a beautiful place with large milky flowers of magnificent magnolia trees and millions of fireflies that dance summer nights away.

Have a great time with your daughter and your friends in Dixie.

Best,

Mashiho

2009年2月17日火曜日

四山の瓢

ここ一箇月近く芭蕉関係の本を読み散らしている。嵐山光三郎の『芭蕉の誘惑』『悪党芭蕉』、中山義秀『芭蕉庵桃青』、ややアカデミックなものでは尾形仂―「おくのほそ道」を語る―、堀切 実、今 栄蔵などのもの。これから読むものも、読んだ本も。大体寝る前に、布団の中で読むのだが、読み始めるとすぐ眠くなる。しかし、これらに引用されている芭蕉自身の句や俳文などに向かうときは眠くはならない、威儀を正してというか、危座してというか、そんな気持ちで向うからか、いや単純に、すごく面白いから。最近読んだ中で面白かった芭蕉氏のもの。

① 四山の瓢(天和の火事で焼けた芭蕉庵の再興時に寄進された大きな瓢箪のこと。それにまつわる友人、山口素堂君の五絶にペダンテイックだが気合いのこもった文章で和したもの。老荘哲学への親炙)
「ものひとつ瓢はかろき我よかな」

② 「乞食の翁」句文(①よりも前。推定天和元年の「寒夜の辞」と同年。杜甫の詩の引用からはじまるが、その詩とは無縁。言いたいことは、侘び、であり、多病、であり、それらが形成する「乞食」の位相への飛躍である。これまでの談林的世界との訣別の短いマニフェスト)
 「櫓声波を打てはらわた氷る夜や涙」
 「氷苦く偃鼠が咽をうるほせり」  ― 四句のなかの好きな2句を掲げた。―

③ 「閑居ノ箴」(「酒のめば」の詞書) (貞享三年と推定される。これは①も同じころの作ということだから、①の漢文調のスタイルに対して、和文の感じが強い。芭蕉氏の柔軟さを思う。)
「酒のめばいとど寝られね夜の雪」

④ 柴門ノ辞(これは晩年、元禄六年に弟子の許六が彦根に帰るときに餞別とした与えたもので―予が風雅は夏炉冬扇のごとし―などという超有名な文句もある。芭蕉門の聖書の一つ。私は、そのなかの次の言葉に感銘したので、覚えておこう。―古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ。―芭蕉氏はこれを「南山大師」の言葉として書いているのだけど。)

まとめる必要などないのだが、こうして書いてみると少し整理されたような思いになる。すべて未だし。午後に八王子に出て、松岡書店、佐藤書店を覗く。これは八王子の二大古書店である。桐山襲『スターバト・マーテル』(河出文庫・105円)、矢田挿雲『江戸から東京へ(六)』『江戸から東京へ(七)』(中公文庫、各200円)、一番の買い物は『與謝蕪村の小さな世界』(芳賀徹・中公文庫)を315円で売ってあり、それを購入したことか。町を歩きながら、酔っ払い二世大臣などのことを西鶴はどう書くだろうかなどと思ったりした。

2009年2月14日土曜日

紫のにほへる妹

「万葉から万葉へ」と題されたNHKのカルチャーアワーのテキスト。実際のラジオ放送はほとんど聞いたことはないが、この種のテキストは比較的に安価でまた内容もおもしろいものが載っているときがあるから、立ち読みで調べて、気に入ったものは買うときがある。これがそうだった。坂本信幸・藤原茂樹という学者が二人で担当して書いている。私はこの二人の名前も知らない。坂本は万葉の表記や言葉の専門家らしいが、彼が書いた「紫のにほへる妹」という初回の講義を読んだ。通説をききかじっていた素人としてはおもしろく、ある意味で痛快でもあった。

巻1の20番と21番の、額田王と大海人皇子との有名な贈答歌。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(額田王20)

紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(大海人皇子21)

この贈答は大海人(その当時は皇太子)の兄天智天皇主催の遊猟の後の宴席での作という説が通説になっている。その説の前までは、額田王を争う天智・天武の恋の葛藤、それがひいては壬申の乱の遠因になったというような読み方、それは江戸時代からすでにあったが、それにプラスして近代的な恋の三角関係までを想定するような読み方までがあった。

そういう読みをナンセンスとして葬ったのが折口信夫門弟の読みで、坂本の引用してある『万葉百歌』(池田弥三郎・山本健吉・昭和38年・中公新書)がその先駆であるということだ。以下、二人の解説。

 これは深刻なやりとりではない。おそらく宴会の乱酔に、天武が武骨な舞を舞った、その袖のふりかたを恋愛の意思表示とみたてて、才女の額田王がからかいかけた。どう少なく見積もっても、この時すでに四十歳になろうとしている額田王に対して、天武もさるもの、「にほへる妹」などと、しっぺい返しをしたのである。(池田)


「野守は見ずや」つまり、人が見てますよとたしなめてはいるが、見られて悪いわけではなく、宴席の座興であり、あけひろげた気持での戯れなのである。四十女の場馴れした気持が、そんな冗談を言わせるのである。
 大海人の和(こた)え歌は、相手の言った「紫」という言葉をそのまま取って、「紫の匂へる妹」と言った。当意即妙である。四十女の残りの色香を讃めるポーズをして見せた。真情を吐露しているように見えて、座興であり、仮構なのである。(山本)


今、書き写していて不思議に思うのだが、どうして、こういうテキストを全く無視した読み、とくに池田弥三郎の「宴会の乱酔」時などという設定が成立するのだろうか、それになんの反発ももたなかったのだろうか。万葉などに興味を持って読み始めたのは、私の場合、昭和四十年の終わりごろからだから、こういう考えは当時読んでいて知っていたし、それがもう通説になっていたからだろうか。それにしても、この二人の疑いのない快刀乱麻ぶりの読み方、今書き写していて、なにかとてもおかしい感じがする。笑ってしまうような。額田王を、二人とも「四十歳の女」(もちろんこれには想定する根拠があるけど)といい、何かお化けみたいな感じで扱い、そこからすべての読み、少なくとも大海人の反応(切り返し)を想定している。四十女の「からかい」に対して、大海人も、わざと「紫のにほへる妹」などと真面目な顔をして切り返してみせた、そこに宴席の笑いが生まれたというように。この説を受けて、決定的にしたのは伊藤博の「遊宴の花」という論文だったということ。「天智七年の頃初老40歳に近かった額田王を―紫のにほへる妹―といかにも艶な美しさをもった女性として歌うことによって、宴席に居る天智天皇以下、もろもろの臣下の者の笑いを買ったというのである。この伊藤説が大きく学界に影響を与えることとなった」と坂本は書いている。池田、山本、伊藤の通説に対して、坂本信幸奈良女子大大学院教授はどう反論するのか?

坂本は次のように反問する。

…早く結婚して、早く子どもを作り育て、早く老いるのが古代の女性の実態だったろう。今日のような生命のリズムではない。とすると、額田王の年齢を35歳としてみても、今日の52、3歳ほどの感じとなる(一般に古代人の年齢は、1・5倍すると現代の人の年齢に見合う)。たしかに、そのような年齢の女性を、「むらさきのようにはでばでしいわが愛人よ」(『万葉百歌』の口訳)というのは、いかがなものかと思われる。そこに皮肉が込められていると考えざるを得ないであろう。
 しかし、本当にそう考えるべきであろうか。
 大海人皇子は、後に壬申の乱を勝利し、天武天皇として即位、帝紀及び上古諸事を記定させるなど、政治の基礎を固めた、いわゆる英主である。その大海人が、二人の間に十市皇女という子までなした額田王の年老いて容色の衰えたことを種にして、天智天皇を始め群臣居並ぶ満座の前で、笑いを取るというようなことをするであろうか。その場には、娘の十市皇女も十市の夫の大友皇子も居た可能性のある宴においてである。


坂本のこのような考え方(大海人皇子論)もテキストとは無縁といえば言えるのかもしれない。しかし、この反問を確かめるために、「紫のにほへる」という表現についての考究が坂本の論の根本になっている。なにをいまさらと思うのだが、まず彼は「にほふ」の語義の確定からはじめる。「にほふ」は、花や女の容姿の(主として赤系統に)照り映えることをいう、というのが小学館の『新編日本古典文学全集』の説、それに伊藤博の『万葉集釈注』では、赤い色が美しく照り映える意、となっている坂本は書く。そして「紫のにほへる妹」は「紫色の照り映える妹」として理解するものがほとんどであるという。とくに武田祐吉説をもとにした岩波の『新日本古典文学大系』では「『にほへる妹』は赤く照り映える妹。紅顔の美貌を言う」とまであるらしい。

坂本はこれらの「『紫のにほへる妹』についての、従来の諸注釈の解釈は間違っていると私は考える」。

まず坂本は集中から「むらさき」の表記の全ての例(仮名一例、難読一例の2例を除き)13例を検討する。

紫草を 草と別く別く 伏す鹿の 野は異にして 心は同じ(12・三〇九九)と
当該歌21番の
紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも

以外の11例はすべて「紫」という用字であり、この2例だけが「紫草」となっている。この二つは「植物としての『むらさき』を歌ったものである」、それに比べて一字の「紫」の用例はすべて「色彩のムラサキを歌う用例」である。従って、ここは「紫色の照り映える妹」ではなく、「紫草の美しく照り映える妹」でなくてはならない、というのが坂本の考えである。

次に「にほふ」という表現と発想について坂本は調べる。特に、Xの「にほへる」Y、というときのXにあたるものは「実際に照り映える素材」が集中の用例にあたるとすべてであり、「紫色」などという色彩名に関わったものはないという。

つまり、「にほふ」という表現においては、その「にほふ」、つまり照り映えるモノを具体的に歌うのが、万葉人の発想であったといえる。
 蒲生野での遊猟が行われた天智七年五月五日は、太陽暦では六月二十二日にあたる。まさに紫草の開花している頃であり、そのまっ白な清楚な花が満開の「紫野」であり「標野」であったはずである。ニホフが赤い色に限るものでないことは、

たくひれの 鷺坂山の 白つつじ 我ににほはね 妹に示さむ(9・一六九四)
馬並めて 高の山辺を 白たへに にほはしたるは 梅の花かも(10・一八五九)
池水に 影さへ見えて 咲きにほふ あしびの花を袖に扱入れな(20・四五一二)

などの白の映発の歌々の存在によって明らかである。万葉人の表現と発想からして、紫草という素材が映発する「紫草の白い花が照り映える妹」と考えるのが正しい解釈であろう。
 そうすると、「紫のにほへる妹」という表現からは、「はでばでしい愛人」などではなく、紫草の白い小さな花が照り映えるように清楚な美しさの女性として、気品のある女性が立ち現われてくる。若い頃とはまた違った静かな美しさをたたえた額田王が想起されることになる。つまり、40近い女を「紫のにほへる妹」といってのけたところに満座の笑いがあったという論は、論拠を失うことになる。


というのが坂本信幸の結論であり、私はそれを肯うものである。

2008年9月2日火曜日

『歌仙の愉しみ』(1)

『歌仙の愉しみ』(岩波新書)を読んでみた。序にあたる部分を丸谷才一が書いている。そこで書かれている俳諧(俳諧の連歌、連句)についての説明と、いつものような、それが近代文学に与えるカンフル剤的な意味合いについての言辞は省略する。丸谷による連衆の紹介を書き写せば、「詩人と歌人と小説家」、同じく連衆を「仏文系と国文系と英文系」、「静岡県生まれと三重県生まれと山形県生まれ」「教員の子と神官の子と医者の子」というように紹介している。こういう紹介の仕方にすでに丸谷的な俳諧味があるといってほめてもいいかも。すなわち、大岡信、岡野弘彦、丸谷才一の三名によって巻かれた「歌仙」八つ(8巻)と、それぞれの巻の各自の句意や付合いの加減についての三名の楽しいお喋りが付加されたのがこの本である。さきほどの丸谷の「わたしたちの歌仙」という、これだけは書き下ろしだが、序にあたる部分が本の最初にあるという体裁。それによれば、1960年代の半ばごろ、安東次男を宗匠として大岡と「歌仙」を「事始」めして四十年余り、「近頃は大岡さんを宗匠格にして岡野弘彦さんとわたしの三吟で巻くことが多い。これがわりあひ具合がいいみたいです。」
さて、この三吟八歌仙は成立順に、岩波書店の雑誌『図書』の2000年9月号から2008年1月号にいたる8冊にわたる雑誌に掲載された。ただし、作品自体である36句の歌仙は、それよりも(掲載時よりも、もっと)前に成立している。たとえば、2008年1月号初出の「まっしぐらの巻」という歌仙について、「ちょうど一年前の2007年一月十一日、木曜日だったと思います。私が発句を出す順番に当たっていまして、…お二人に見ていただきました。宗匠がこれがよかろうとおっしゃってくださって、丸谷さんとも意見が一致しまして、
来むかふは猪年の老いのまっしぐら  乙三
これが発句に決まったのでした。」と、この巻で発句をつとめた乙三=岡野弘彦の発言が、この巻の「お喋り」の冒頭にある。どういうことだろうか?一年近くも、それぞれの句の推敲があったということもあろう。私が言いたいのは、どうしてもそれぞれが作りあげた句に対しての事後の「お喋り」が必須であるということだ。カノンである『芭蕉七部集』などに、このような「お喋り」が付随していることはない。いくら「共同体」の、「集団」の文芸と言っても、江戸時代の人にサッカーのルールを教えるのと同じような事態があるから、「評釈」「お喋り」の連綿たる積み重ねがあるのだと言える。要するに、これらの「評釈」「お喋り」を含めてしか、それぞれの歌仙は読めないのである。その「面白さ」も。正直に言うとそうなる。

2008年6月29日日曜日

高貝弘也『白秋』を読む。

宛名のない手紙

 高貝弘也の『白秋』(書肆山田)を読む。この手紙形式で書かれた北原白秋の「童謡」についてのエッセイの美しさは比類がない。対象への純粋な愛情がどの行文にも静かに秘められていて、それが読む者の胸をまっすぐに打つ。ここには高貝という稀有な詩人だけが発見できる詩人白秋の「現代的」な意義があるのだが、そのことについては後日ゆっくり考えてみたい。
わたしは、ただ幼いときから、白秋の童謡になじんできただけのものです。けれどもこれから、白秋の高く広い世界へ、あなたとともに足を踏み入れようとしています。それは、迷ってばかりの堂々巡りが関の山かもしれません。せめて、トンボの眼玉に潜りこんで、千も萬もの小人と一緒に、言葉の光を内側から覗きたい…と思いながら、この寄る辺ない文をはじめます。何かにつけて、あなたの感じ方と違っている点などあるかもしれません。そのつどお知らせ願えましたならば、真に幸いに存じます。      不一

「第一通 三月の柳川」の最後の文である。「あなた」と呼びかけられているのはわれわれ読者。「トンボの眼玉」は白秋の第一童謡集『トンボの眼玉』の巻頭詩篇から。基調となる高貝の文体は以上のようなものだが、私はそれを「呼びかけ」の文体と呼んでみたい。その「呼びかけ」は手紙形式ということで採用されたものかもしれないが、それ以上に、高貝弘也という詩人に固有のものであると私は考えている。彼の詩には、虚空に呼びかけるという趣(粗雑な言い方だが)が、いつも感じられる。応答の彼方にあるものに呼びかけるから、普段の詩人はいつも寡黙すぎるほど寡黙なのだ。もちろん、詩人は「何かにつけて、あなたの感じ方と違っている点などあるかもしれません。そのつどお知らせ願えましたならば、真に幸いに存じます」というように応答を拒否しているのではない。私は彼の詩とエッセイを混同しているのだが、それを承知で書いている。

引用文より前に、「前略」と題された文章がある。私は、―「あなた」と呼びかけられているのはわれわれ読者―と先ほど書いたが、正確には「前略」には次のようにある。

これら十一通の手紙は、宛名のない手紙です。
ささやかなこの書物をひもといてくださる、
あなたへ宛てた手紙です。
そして、あなたは、白秋でもあります。


なぜ、わたしたち読者は白秋でもあるのか。それは「白秋」という筆名が偶然に文学仲間たちとのくじ引きで採用されたものであり、そのことで北原「隆吉はたちまち無名性を帯びはじめ」「普遍的な世界へとつながった」、それゆえ―「白秋」とは、単に個人名や固有名詞ではありません。/そう、白秋は、あなたでもある」―からだ。「前略」は以下のように結ばれる。

 

 だから、これらの手紙は、宛名のない手紙です。
 なによりも詩と童心を愛する、
 あなたへ贈る手紙です。

 
 私には、これは高貝弘也の自作詩の解説としても読めるということを言いたい気持ちがあるが、それはさておいて、「白秋」という無名性の他者、「なによりも詩と童心を愛する」あなた、という規定が、このエッセイの美しさを保証するものになっているということを確認したいのである。そして、この宛名のない手紙は、たしかに「届いた」のである。

 「詩と童心を愛する」ということにこだわる必要はない。彼方にあるもの、それが「詩と童心」だと私はとらえる。それに、かそけく呼びかけること。その応答を決して期待しないこと。呼びかけ自体が「言葉の光」となるまで。

 

 赤い鳥、小鳥、
 なぜなぜ赤い。
 赤い実をたべた。

 白い鳥、小鳥。
 なぜなぜ白い。
 白い実をたべた。

 青い鳥、小鳥。
 なぜなぜ青い。
 青い実をたべた。


私は、この書物を終りまですべて読んだわけではない。まだ、その「第六通 マザー・グースは天の配剤か」までだが、一貫して、玲瓏とした美しさ、という言葉を思っていたのである。

2008年6月19日木曜日

twice-born

 魚津郁夫『プラグマティズムの思想』(ちくま学芸文庫)を拾い読みしていたら、ウィリアム・ジェイムズについての章のなかに、次のようなことが書かれていた。

 ジェイムズはその著『宗教的経験の諸相』(1902年)のなかで、人間にはふたつのタイプがあると書いた。もちろん、このタイプは理念的に抽象化された、それであって、ほとんどの人間はその中間に属しているという留保をつけながら。ひとつは「健全な心」の持ち主であり、もうひとつは「病める魂」の持ち主である。この二つの類型化のもとにあるのは、イギリスの神学者、フランシス・W・ニューマン(1805-97)の「一度生まれ(once-born)」と「二度生まれ(twice-born)」という二つの系統の子を神はもうけた、という考えらしい。

 つまり、「健全な心」の持ち主は、ニューマンのいう「一度生まれ(once-born)」にあたり、「病める魂」の持ち主が「二度生まれ(twice-born)」に属するのである。前者の特徴は「万物を善きものとして楽観的にみる傾向をもち、いわばただ一度この世にうまれただけで幸福になることのできる人」であり、後者は「この世を悪いものとして悲観的にとらえる傾向をもち、幸福になるためには、もう一度うまれかわらなければならない人」である。

 「一度生まれ(once-born)」の代表選手として、ウィリアム・ジェイムズが挙げているのは同国人の詩人、ウォルト・ホイットマンである。「彼にとっては、草や木や花、小鳥や蛙、空の様子、…森羅万象が魅力を持っていた。彼はいかなる国籍や階級の人も、世界史のいかなる時代も非難せず、…天候や病気、その他なにごとについてもけっして不平をいわなかった。彼はののしることをせず、恐怖をおもてにあらわしたこともない。そもそも恐怖を感じたことがあるとは思えないほどだった」というのはホイットマンの弟子の言葉である。哲学者としては、スピノザを挙げている。これはもっともだと思える。

 「二度生まれ(twice-born)」の代表選手としては、聖アウグスティヌスが取り上げられる。宗教者の前身はたいてい破戒無慚なものだが、その典型としてオーガスティンが挙げられているのだろう。このタイプは「回心」conversionという第二の誕生が、その生のなかで設けられているので、見やすい。それゆえ、生まれかわる必要はないのではないかとも思ってしまうけど。一身にして二生を経たということか。あと、トルストイの回心にもジェイムズは触れ、ト翁も「二度生まれ(twice-born)」のタイプに整理している。

 今日は太宰治の命日、「桜桃忌」。この自殺未遂の偏愛者はたしか13日に入水したのだが、その遺体が確認されたのが昭和23年の今日である。ウィリアム・ジェイムズが彼のことを知っていたなら、まぎれもない「二度生まれ(twice-born)」の代表選手として彼を特筆しただろう。彼は「生まれてすみません」というのだから、その前世においても苦悩の旗手だったのであり、三度、四度生まれ変わっても、彼の嘆きは尽きることがないだろう。そういう意味で、稀有な人物であり、その徹底さが、いつの世でも、悲嘆にくれるものの味方になる。

2008年5月27日火曜日

さねをさねてば

― 伊香保ろの八尺(やさか)の堰(いで)に立つ虹(ぬじ)の、あらはろ迄も、さねをさねてば

【折口信夫による口語訳】伊香保の山の八尺、即ち、幾尺とも知れぬ高い用水壕の辺りに立ってゐる、虹ではないが、あの様に、人の目に付いて現れる迄も、満足する程寝たならば、見つかってもかまはない。―

中沢新一の『古代から来た未来人 折口信夫』を読んでいたら、上の万葉の一首が引用され、古代人の「喩」―異質なものの重ね合わせ―の実例と、それが如実に理解されている折口の訳ということが書かれていた。「類似性能」というのを折口信夫の思考の根源に見て、それが「古代人」折口の直観によるもので、近代的な「別化性能」とは異なるものだというのが、中沢の折口理解の一端である。「類似性能」とはアナロジーである。全く異なるもののなかに類似を発見することが折口の学問の根底にあったというのだ。このことの意味は、中沢にとって、己もそのような学問を作り出したいというほど大きなものである。

虹を媒介として、その「あらはろ」という類似が、恋の露見(あらはろ)とかさなる歌、正確には虹のように現れてもかまわない、あなたと充分に寝ることがかなうならば。この歌の上句を「序詞」などと呼ばないことが中沢のいいところだ。東国の荒々しい恋の歌。

こういう歌を読むと、日ごろ「別化性能」、ちがいだけを言い立てている自分も含めて、その「衰弱」の「あらはろ」さをいやおうなく気づかされる。

和史は今北海道の原野で自力で家作りの第一段階にとりかかっている。その日記を読むと、北海道の寒さが伝わってくるようだ。これも「類似性能」と言っておこう。

2008年5月12日月曜日

緩叙(litotes)

①私はうれしい。
②私はかなしくない。
③私はうれしくないわけではない。

①の平常文に対して、②は緩叙法であり、③も二重否定の緩叙法である。

 緩叙法の古典的定義は佐藤信夫の参照しているピエール・フォンタニエによると「あることがらを積極的に肯定するかわりに、それとは反対のことがらをはっきりと否定する。あるいは、そのことがらを、程度の差はあるにしてもとにかく、弱めて表現する。その意図はまさに、緩叙表現がおおいかくしている積極的な肯定に、いっそうの力と重みを与えることにある」。佐藤はこの後半の「弱めて表現する」という定義と、「意図」に関する説明を留保して、「あることがらを積極的に肯定するかわりに、それとは反対のことがらをはっきりと否定する」ということを緩叙法の定義として採用する。後者の定義は誇張の逆であり、この表現の意図については「ひたすら強調するとはことにある、とは考えにくい」という理由からである。

 佐藤は緩叙法(ライトティーズ)の意図を大きく次のように説明してみせる。

――  ある大きな黒いものが目の前に立ちはだかっているとき、ただそればかりを見ていると、やがてそれは黒いものとして感じられなくなるだろう。黒さに取りまかれ、私たちは黒い世界のなかにあり、その黒さが自然のようになる。なぜなら、そのそばには、比較検討すべきほかの色が存在しないからだ。万一私たちが、生まれてから死ぬまでその黒さのなかにいるのだとしたら、それを黒さと呼ぶことも、知らずに生涯をおえてしまうかもしれない。緩叙法は、存在しない白さを、強引に思い浮かべる方法である。その想像力の働きによって、はじめて私たちは、黒いものが《白くない》ものであることを知る。緩叙的姿勢が、ときには私たちにとって認識上の救いになる。(『レトリック感覚』)――  

①私はうれしい、という文にもどろう。「うれしい」ということだけを私たちが知っている世界、あるいはそう強いられている世界を想像せよ。あるいは強制的にそうであるようにさせられている世界、社会、国などを想像せよ。「私はかなしくない」と、そこで発言することは、その世界では許されないだろう。でも、そう発言することがその体制に罅をいれることにもなろう。かすかな罅。「かなしくない」という発言が成立させる認識は「かなしさ」のすぐ隣にあり、「かなしさ」を誘発させることにもなろう。③の二重否定はもっと微妙に隠微であるがゆえに、もっと権力者の忌避にふれるものになるかもしれない。「認識上の救い」とは、言語の無意識の力の発動にもなる。

田村隆一の詩の一節を思い出した。

  晩年のムンクの自画像を見て
  ぼくはぼくらの時代の漂流物が散乱している
  虹色の渚を帰ってきた
  病める生というものはない
  生そのものが病んでいるのだ

  裸足の青年がひとり
  むこうから歩いてくる           (『新年の手紙』「虹色の渚から」)

 「病める生というものはない/生そのものが病んでいるのだ」という表現は、小林秀雄の「美しい花がある、花の美しさというようなものはない」などと似た形式の表現だが、この二つのフィギュール(あや)は、もちろん緩叙法ではない。一種の漸層法(クライマックス)的な強調の仕方だが、小林はさておいて、私には田村の言い方には緩叙法的な余韻があるような気がする。この表現には「救い」があるから。「病める生」の否定は「健康な生」であろう、そのようなありふれたアントニムを破壊するような認識がここにはある。「生そのものが病んでいる」ということが「健康」の見捨てられた、しかし重要なもうひとつの認識の側面であることを知らされる。「むこうから歩いてくる」裸足の青年のきらめく肉体。