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2011年3月12日土曜日

condolences,assistance

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相模原に住んでいるアメリカの友人がfacebookに、地震に遭ったこと、その後の余震のことなどを書いている。
"With every tremor the adrenaline pumps and your heart beats fast so you can't tell if the ground is still shaking or if it's just you."
まさにこれと同様で、家の中で、いつも地面が震えているような感じがした。思い立って散歩に出かけた。午後四時前。住んでいるところ八王子は、昨日の地震の目に見える被害はなかったようだ。建築中の家やアパートがあり、地震の後の土曜日だが変わることなく仕事をしている人がいる。

風が強い。湯殿川の堤防などを注意して観察したが、どこも決壊しているところはなかった。

昨日の地震とそのあとの津波のすさまじさが、この地震国の経験した最高度の強力なものであることなどが発表され、一夜あけて被害の拡大とその悲惨さがより明瞭になった。言葉も出ない。被害を受けた東北の各県、なかでもリアス式の美しい沿岸を持つ岩手、宮城、福島の津波による被災は想像を絶するものであった。青森も茨城もダメージを受けた。

アメリカの友人が心配して、メールなどで安否を問い、励ましてくれる。東京と東北との区別もつかず、すべて同じところで起こったことと思っている友人もいる。怖かったけど、東京の被害は少なかった。あらためてこの地震で被害を受けたすべての人に心からのお見舞いの言葉と励ましの言葉を送りたいと思う。東京のぼくが友人や親戚から受けた言葉と同様な。

The trail for blue is like a transparent sorrow.

 
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2011年2月3日木曜日

独り歌へる

 昨晩、詩を書き上げて送る。いつも不出来。
「酒井抱一生誕250年 琳派芸術 ―光悦・宗達から江戸琳派―」をやっている
出光美術館へ行こうと思ったけど、秋川さんの書いたものや、美術館のホームページなどを見ているうちに考えが変わる。2月11日からの第二部の展示を見ることに決めて、百草園に出かけることにした。坂道を登りつめて、平日であまり人気のない園内に至る。かぐわしい「蝋梅」や、梅、早先の「あやめ」や水仙などを見て歩く。見晴台の「すだ椎」の巨木群に圧倒された。
 その後高幡不動駅まで歩いて、バスに乗り日野駅に出る。寿司を食べたくなって、日野駅から20分ほど歩いて(空気の悪い、幹線道路と工業団地の道路歩かなければならないが、それを我慢して)、「日野寿司」という昔から名前だけは知っていて、行ったことのなかった店に入る。魚介サラダというのを、まず頼んだ。その大きさに思わず「一人前ですか?」と念を押す。しかり。美味なり。次にヤリイカ煮、生たこ、などをつまみにして「会津ほまれ」の燗酒2合瓶で700円を頼む、癖無く喉こしよし。寿司ネタの大きさに驚く。妻と二人で一つの寿司を食べる(私は呑んでいるから)ことにしたが、これが大正解。最後に頼んだメバルの煮付けの美味しかったこと。久しぶりに、外食の満足感を得ることが出来た。

 百草園には牧水の次の三首の掲示と、ご長男の旅人さんの書による歌碑(若山牧水生誕百周年建立歌碑)がある。その歌碑の説明に云う。「明治四十一年春、恋人園田小枝子と共に百草園で楽しい一時を過ごし「小鳥よりさらに身かろくうつくしくかなしく春の木の間ゆく君」と恋人に対する親しみと憧れの心を詠み、翌年夏この歌を加えた歌集「独り歌える」を編纂し歌人としての名声を得ることになりました。ここに生誕百周年を迎えるにあたり、歌人若山旅人氏(牧水の長男)の選歌揮毫による歌碑を建立し記念するものであります。」これには昭和61年11月吉日というクロニクルが付されている。

山の雨しばしば軒の椎の樹にふり来てながき夜の灯かな

摘みてはすて摘みてはすてし野のはなの我等があとにとほく続きぬ

拾ひつるうす赤らみし梅の実に木の間ゆきつつ歯をあてにけり
                 
(旅人書による歌碑の一首を改めて書く。旅人さんには個人的な思い出がある。いつか書いてみたい。)
小鳥よりさらに身かろくうつくしくかなしく春の木の間ゆく君



すだ椎はスカイツリーを睥睨す
蝋梅の黄なる色香をめで歩く  
牧水の一人歌へる百草苑    ― 蕃 ―

 
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2011年1月31日月曜日

2011年1月28日金曜日

冨士残照

 
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湯殿川、稲荷橋から午後5時頃に撮影する。

この週は、ちょっと鬱状態で過ごしていて、出来ることと云ったらただ歩くことだけであった。そのときにデジカメも携行した。歩いて、鳥たちと風景を映してさえいれば、いろんなことを忘れることができた。今日の冨士山を見て、少しずつ気分も晴れて行くようだ。

2011年1月27日木曜日

路次の細さよ

 
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今日の散歩でカワセミを三度目撃す。生まれてはじめて、この美しい鳥をデジカメで撮影することが出来た。杉の木の枝と二度目の遭遇時の土手の写真である。興奮した。三度目は高速で川面をなめながら飛行していった。この眼に恵まれた幸せだけでいいと思った。

ダイヤモンド冨士などと喧伝するから、撮ってみよう思うのだが、昨日も今日も冨士はその姿を見せなかった。ただ、その近辺の残照の美しさは今が最高である。

蕪村に「桃源の路次の細さよ冬ごもり」という句がある。尾形 仂の鑑賞はこうだ。
「…桃源境に到達するまでの途中の道の何と狭いことだろう、と嘆じたものにほかならない。一句は、冬ごもりを極め込んではみたものの、世間の俗用が立て混んで、容易に桃源の安楽な気分には浸らせてくれない、というのである。」

「路次ロシ」は「路地ロジ」ではないという読みから、尾形先生はちょっと日常につきすぎた読みをあえて出しているのだが、それはこまごまとした日常そのものを桃源と読む読み方を行き過ぎであろうと思ったからにちがいない。

今の私はどらかといえば尾形説に与したい。日常を非日常に化するエネルギーの減衰と、しかしそれゆえ美なるものへの敬愛の強さを最近とみに感じているからである。

2010年9月7日火曜日

something the matter with us?

午後4時半から歩く。どうして今まで考えなかったのだろうか。道中の途中で、妻と離れて先を急ぐことにした。互いの速さが合わないので、ぼくのほうが自分のスピードで、自分の距離を歩くことにした。妻よりも遠くへ、妻よりも速く歩くことにした。妻の帰路のどこかで僕が後ろから追いついて合流することにしたのだ。妻は7キロぐらい歩く、ぼくは走りを入れて9キロぐらい、片倉城趾の池の所で一緒になることを計画して、今日実践してみた。池の前の湯殿川の堤防でハーハー息を切らせながら、ぼくは追いついた。妻は足の親指の具合がここ数日悪い。休めば、とぼくは言うのだがきかない。親指の調子がよかったら、あなたは私をここで追い抜けなかった、と言いたいようだった。ぼくはすっかり疲れて、いい気持ちだった。

2010年9月6日月曜日

Walker's high

9/1 (9.5㎞)
9/2 (8.3)
9/3 (9.0)
9/4 (9.0 )
9/5 (7.7)
9/6 (8.2)
 
9月からは、午後5時頃から歩き始めて、7時頃に帰宅する。妻は庭の花や木に水をあげ、私はシャワーを浴びる。その順番が逆なときもある。
 妻は9月の2日から歩きはじめた。二人で湯殿川の堤防を往復するのが日課、水源までは行かない。水源がどこかは私も知らない。2日、妻の歩き始めの日に、大きめのカワセミを発見する。
5日の日はあまり距離的には歩いていないが、6日の仕事始めを意識して、夏休み最後というノリで歩き出し、家に帰ってシャワー、猫の給餌を終え、二人で駅前の「養老の滝」にくり出す。生ビールのおいしかったこと。私は連続三杯、普段飲まない妻がおいしいと言って一杯を飲みほした。久しぶりの養老、それに久しぶりの満席状態で、顔見知りのお店のSさんに 「よかったですね」というと満面の笑みだった。珍しいことに、団体客が入っていて、先ほどもう一つの団体が帰ったのだという。なんか祭りでもあったのか。
 昨晩入稿する。それでホッとしたのか、今日はやる気がない。仕事から帰ったのが、3時半すぎ。4時半から二人で歩き始める。昨日は五時半だったので、真っ暗な道を帰ったのだが今日は大丈夫。それにしても確実に暮れるのがはやくなった。

twitterで娘が写真を送ってくるようになった。Omarと二人でジャクソンビルのビーチ(大西洋)に行ったとのこと。

逆立ちで海辺を歩くOmar

 
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