賀茂へまゐる道に、「田植う」とて、女の、新しき折敷のやうなるものを笠に着て、いと多う立ちて、歌を唄ふ。折れ伏すやうに、また何ごとするとも見えで、うしろざまにゆく。「いかなるにかあらむ。をかし」と見ゆるほどに、郭公をいとなめう唄ふを聞くにぞ心憂き。「郭公、おれ、かやつよ。おれ鳴きてこそ、我は田植うれ」と唄ふを聞くも、いかなる人か、「いたくな鳴きそ」とは言ひけむ。仲忠が童生ひ言ひおとす人と、「郭公、鶯に劣る」と言ふ人こそ、いとつらう憎けれ。 (二一〇段)
八月晦、「太秦に詣づ」とて見れば、穂に出でたる田を、人いと多く見騒ぐは、稲刈るなりけり。「早苗取りしかいつのまに」、まことに先つ頃、「賀茂へ詣づ」とて見しが、あはれにもなりにけるかな。これは男どもの、いと赤き稲の、本ぞ青きを持たりて刈る。何にかあらむして、本を切るさまぞ、やすげに、せまほしげに見ゆるや。いかでさすらむ。穂をうち敷きて、並みをるもをかし。廬のさまなど。 (二一一段)
朝、そして午後、自宅に居るときに、よく郭公の鳴くのを聞く。同じ郭公だと、私は鳴き声で見当をつけているのだが、その姿を見たことはない。清少納言も郭公が好きだったということが「枕草子」でよくわかる。また、この郭公が農事、田植えと密接な縁を持っていたこともわかる。平安女房は田植えの早乙女たちの作業をよくしらないというふうに書いているが、そんなことはあるまい。清少納言の面白いのは、田植えの女性たちが、郭公に向かって「おまえが鳴くから私は田植えをしなければならないのだ」という唄、労働歌だろう、それをちゃんと採集しているところだ。それを郭公好きの自分としては郭公を悪くいうようで嫌いだと書いている。鶯よりも好きだったのだ。田植えから稲刈りまで、彼女はきちっと観ていたのだ、知っていたのだ。「あはれにもなりにけるかな」という感慨は身にしみるものだ。彼女を「をかし」などとは誰言ひけむ。
6月25日、真柄希里穂さんがコーディネイトしている研究会に出た。空閑(くが)睦子さんの博士論文の発表会。その論文のタイトルは「変化する価値観におけるコミュニティ創生の研究 ―グローカルな次元でみんながつながる、ウエルビーイングを求めてのコミュニケーション・コミュニティの発想―」。空閑睦子さんは「実践:田舎の探し方」(ダイヤモンド社)をはじめ、いわゆる田舎探しの本などを書いている。震災後ということもあって、コミュティの問題はこれからいっそう切実な問題として考えなければならなくなるだろう。とても刺激的で参考になる発表だった。彼女はこれで博士号を取得したということだった。その助言者(スーパーバイザー)として、中山和久さんという民俗(族)学、社会学の先生が来られていた。発表の後のまとめや、その後の懇談会での話が印象的だった。ぼくよりもちろんお若いが、今のテーマは「巡礼」ということ。お遍路の話などを聴いた。「日本における巡礼景観の構成原理」というお勤めの大学の紀要に書かれた論文の別刷を頂戴した。夏休みの読書の一冊として、楽しみにしている。真柄さんは日本福祉教育専門学校、精神保健福祉養成学科の教員であり、阪大の院生でもある。そして高校のときの私の教え子でもある。
0 件のコメント:
コメントを投稿