ラベル 音楽 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 音楽 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年6月19日日曜日

Forget your sorrows and dance!

父の日、桜桃忌、仏滅、なにか三題噺のようだと、ツイッターで清水さんが書いておられた。

天候もぱっとしない。これから晴れてくるのだろうか。
昨晩は、息子夫婦から父の日のプレゼントとして、最近私が凝っていると知っているのだろう、Bob Marleyの"LIVE FOREVER"(1980年9月23日、ピッツバーグでのライブの収録)という二枚組のCDと"after Bob Marley"というDVDを貰った。今聴いている。知らない曲もあるからうれしい。

Forget your sorrows and dance!
Forget your troubles and dance!
Forget your sickness and dance!
Forgete your weakness and dance!

http://www.youtube.com/watch?v=F5kAxuye5xY&feature=fvwrel

2011年6月9日木曜日

I shot the sheriff

 最近はBob Marleyばかり聴いている。遅れてきたラスタマンを自認している。髪があれば、ドレッドヘヤーにする、絶対にする。70年代から80年代にかけて、今聴いても面白い、クラッシックではないポップスのジャンルですごい音楽が一杯あったのに、おれはそのころ何をしていたのだろう、と思う。くだらない文学などにつきまとわれ、さえない頭で酒の勢いにまかせてくだらない詩を書いていたのだと思うと、情けない。もっとそのころ同じ世代のすてきなミュージシャンたちの歌や詞を浴びるように聴いておくべきだったと思う。たとえばBob Marleyもそうだ。You Tubeの再生リストに入れた彼の曲を聴きながら書いているのだが、No woman no cryが今鳴っている。歌に反して、泣きたくなる。この歌の発表の時点での、挫折の歌だが、比べるものがないほどリアルでそれゆえ切ない希望の輝きがあふれている。
 "I shot the sheriff "はエリック・クラプトンがカヴァーして大ヒットさせ、レゲエという音楽を世界中に知らしめるきっかけを作った曲らしいが、なるほどクラプトンの演奏はこれ以上ない最高のもので、彼のハイドパークでのライブをYou Tubeで視聴できるが、まさに鳥肌モノである。しかし、どうだろう、クラプトンの重装備に比べると貧弱きわまりない本家Wailersの演奏は、陳腐な言い方だが、魂が叫んでいる、そのぎりぎりの叫びである点で、私はクラプトンに勝るとも劣らない演奏だと思う。両者とも素晴らしいと言えばそれでもいい。

2010年4月25日日曜日

DEATH AND THE FLOWER

 足を引きずりながら散歩に出た。読んだり、書いたりする気力が全然わかない。それまで古いCDを埃の山のなかから手当たり次第引きずり出して聞いていた、KEITH JARRETTの"DEATH AND THE FLOWER"というのを何回か聞いた。とくにCHARLIE HADENのベースの響きがいい。この二人は何もおしつけない、それぞれがどこか遠くをぼんやりと見て、二人のそれぞれの抒情詩を呟いている趣、でもそれが期せずして美しいハーモニーを、そう変な言い方だが自発的に形成する。

2009年10月19日月曜日

over the rainbow

 
Posted by Picasa


Jacksonvilleから娘が送ってきた写真。仕事場の駐車場で写したということだ。


Somewhere over the rainbow
Way up high
There's a land that I heard of
Once in a lullaby

Somewhere over the rainbow
Skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true

Some day I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far behind me
Where troubles melt like lemondrops
Away above the chimney tops
That's where you'll find me

Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can't I?

Some day I'll wish upon a star
And wake up where the clouds are far behind me
Where troubles melt like lemondrops
Away above the chimney tops
That's where you'll find me

Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can't I?

If happy little bluebirds fly
Beyond the rainbow
Why, oh why can't I?






2008年6月6日金曜日

夏の歌

2週続けて、南大沢に私用で。今日で終わった。帰りに橋本の山野楽器に寄る。ディーリアスの管弦楽曲集を一つ買って帰る。ジョン・バルビローリ指揮のもの。ずいぶん多くの曲が入っている。解説は三浦淳史。ダウスンの歌はなかったが、ディーリアス入門として聴きたかったので。EMIのCDで邦題は『春初めてのカッコウを聞いて』となっている。
今2枚目のディスクの最初の曲『夏の歌』を聴いている。三浦の解説によれば、この曲はディーリアス晩年(1929年)の曲。青春時代のパリ放蕩の報いで失明と四肢の麻痺状態にあったディーリアスのもとに、同郷の音楽青年エリック・フェンビーがボランティアとして住み込み、ディーリアスの口述をもとに、その眼と手を代行して完成した最初の作品であるとのこと。フェンビーの名著『私の知っていたディーリアス』によれば、『夏の歌』について次のように説明したという。

「われわれはヒースも生い茂っている断崖の上に腰を下ろして、海を遠望するとしよう。高弦の保持された和音は青く澄んだ空とその情景を暗示している…曲が活気を帯びてくると、君はヴァイオリン群に現れる、あの音型を思い出すだろう。わたしは波のおだやかな起伏をあらわすため、その音型を導入しておいたのだから。フルートがすべるように海上を飛んでゆくカモメを暗示する。この冒頭の素材は2つのクライマックスのあいだに再現され、さいごにも現れて静謐のうちに曲を終結へ導いてゆくのだ」。

おそるべし、you tube といおうか。Frederick Delius で検索していたら、ケン・ラッセル監督のDeliusの、これは声だけだが、映画までもアップされていた。フェンビー青年の眼からとらえられた巨匠Deliusのポートレイト。ここには、『夏の歌』の最初の部分が少し聞ける。歌曲ではなく、管弦楽です。

2008年6月1日日曜日

Liederkreis

 南條竹則の本『悲劇の詩人ダウスン』には、ダウスンと同時代の英国の作曲家フレデリック・ディリーアス(1862-1934)がダウスンの詩に曲をつけた「日没の歌」という管弦楽伴奏つきの声楽曲があるということが書いてあった。トマス・ビーチャム指揮で1911年にロンドンのクィーンズ・ホールで初演されたらしい。「シナラ」の作曲も手を染めながら、未完のまま放置され、ディーリアス晩年に助手エリック・フェンビーの協力を得て完成されたなど。これも1929年にビーチャム指揮、ジョン・ゴスのバリトンで初演された。これらをすべて収録したcdがあるのかどうか、この本でははっきりわからないが、トマス・ビーチャム指揮『ディーリアス管弦楽曲集』(東芝EMI・1993年)が紹介されていた。なお、南條はこのディーリアスという作曲家が好きで、そこからダウスンを知ったという。それを媒介したのが、三浦淳史という音楽批評家で、ディーリアス作曲の「シナラ」について音楽雑誌に書いたのを読んだことだという。三浦淳史というすばらしい音楽批評家もディーリアスもすべてぼくにとっては初耳であった。

 トマス・ビーチャム指揮『ディーリアス管弦楽曲集』に三浦淳史がつけた解説の一節を南條の本から孫引きしておく。

 ――恋に破れたダウスンは傷ついた獣のように紅灯の巷をさすらい、その弱い肉体と心を衰えさせていった。ディーリアスもパリ時代には夜の巷を彷徨し、芸術家仲間と奔放な生活を送った。《日没の歌》は「イングリッシュ・ヴェルレーヌ」といわれたダウソンの絶妙な抒情詩に付曲したソング・サイクル(通篇歌曲)である。――

こういう解説を読むと、このcdを求めたくなるのはあたりまえである。

 金曜日、私事で南大沢に行く。その帰り、橋本の山野楽器でディーリアスのcdを探した。一つだけあったが、件のものはなかった。シュトラウスの「四つの最後の歌」のそれが二、三枚もあったのには驚いた、吉田さんの本の影響だと思う。お店のパソコンで調べてもらったが、というより自分で調べたのだが『ディーリアス管弦楽曲集』はなかった。あまり追求する元気もなかったから、そのままにした。

そのかわり、目に飛び込んできたのが、グールドのThe Complete Goldberg Variations 1955&1981という、02年に出たソニーのメモリアルバージョン。三枚のディスクが入っていて、三枚目は、ティム・ペイジという若い批評家とグールドの対談が入っている。なぜか、我が家には、あの有名な初演?と再収録のグールドのGoldbergがなかったので、衝動買いする。これを聴きながら書いている。55年のテンポの速さ、81年の<パルス>(グールドはティムに答えて、テンポをパルスと言い直している)の見通しによる、生から死までの、ゆったりとして、しかし毅然と耐えているような、まさに脈動としかいいようのない、そのリズムの刻み方と変化に、茫然としつつ。

 演奏家というのは、その曲の「解釈」にすべてをかけていると思うのだが、とくにグールドはそうだ。グールドはあるときからモーツアルトに絶望して、弾かなくなった。それに比して彼をここまで執着させたバッハというのはともかくもすごい作曲家だったのだろう。

 ところで、歌曲の作曲家というのも、そのもとになる「詩」の解釈というか、読みがすべてであろう。R・シュトラウスはヘッセの詩に付曲したが、ヘッセはシュトラウスが大嫌いで、ある人があなたの詩にシュトラウスが、というのを聞いても、おれには関係ないという態度を貫いたらしい。これは吉田秀和の本にある。それぞれが、もう、その段階では別の位相にあるということか。バッハもグールドを聴いたらヘッセのような感想をもらしたかもしれない。互いに関係はあるが、自立した「作品」。

 日本の詩人でいえば、谷川俊太郎の詩はよく作曲されている。ここが日本的なのだが、そのほとんどが合唱曲である。ああ、と今ぼくは思うのだが、それもコンクール用のものが多いのだ。木下牧子の曲などぼくは好きではある。しかし、谷川の詩を管弦楽つきで作曲したのがあるのだろうか。シュトラウスやディーリアスが作曲したヘッセやダウスンのように。リーダー・クライス、同じことだがソング・サイクル(通篇歌曲)のような形式で書かれた日本の詩人の曲を聴いてみたいものである。(合唱曲ではなく)

2008年5月2日金曜日

五月に

季節はずれの歌について書く。友人から頂戴した、―吉田秀和『永遠の故郷 夜』歌曲選集―に入っているR・シュトラウスの歌曲《万霊節》のこと。友人はこの曲を二人の歌手のCDから入れてくれている。一つはブリギッテ・ファスベンダーの歌、もう一つはジェシー・ノーマンが歌っているもの。二人の歌の優劣ではなく(ぼくに、そんなことができるはずはないが)、この詩がとてもいいので書きたいと思った。ドイツ語は読めないけど、鬚のようなものが幸にもあまりついていないので書き写してみる。訳は秀和さんのもの、その本から。原詩はヘルマン・フォン・ギルム。

Allerseelen

Stell’ auf den Tisch die duftenden Ressden,
Die letzten rotten Astern trag’ herbei,
Und laß uns wider von Liebe reden,
Wie einst im Mai.

Gib mir die Hand, daß ich sie heimlich drücke,
Und wenn man’s sieht, mir ist es einerlei,
Gib omir einen deiner süßen Blicke,
Wie einst im Mai.

Es blüht und duftet heut’ auf jedem Grabe,
Ein Tag im Jahr ist ja den Toten frei,
Komm an mein Herz, daß ich dich wieder habe
Wie einst im Mai,
Wie einst im Mai.


 万霊節

よく匂う木犀の花をテーブルにのせて
そこに赤い残菊をつけそえよう
そうやってから もう一度愛を語ろうよ
かつて 五月 そうしたように

手を出して ぼくにそっと握らせて
誰かに見られたって かまわない
たった一度でいい 君の甘い眼差しをくれないか
かつて 五月 そうしたように

今日はどの墓にも花が咲き 香が漂う
そう 一年に一日 死者たちが自由になれる日
ぼくの胸に来て またぼくのものになっておくれ
かつて 五月 そうしたように
かつて 五月 そうしたように


 「万霊節はカトッリクの祭日で11月2日、日本の秋の彼岸みたいに、みんなが死者を悼んでお墓詣りにゆく日」と秀和さんは書いている。そこから言えば、季節はずれだが、でもまぎれもない五月の詩。失われた切ない五月の詩。Wie einst im Mai.のリフレインをR・シュトラウスがどのように処理しているか、これは聴くものだけに許された歓び!

この曲で「五月」を知らされた。そこからシューマンの「詩人の恋」の冒頭の曲、ハイネの’ Im wunderschönen Monat Mai’が聴きたくなり、それを聴いた。「リーダークライス」もついでに聴いていると、詩はすべてアイヒェンドルフではないか。吉田秀和のこの本の中で、一番力を入れて書かれているのが、R・シュトラウスがその死の前年に作った歌曲、「四つの最後の歌」についてだが、これはヘッセの三つの詩と、アイヒェンドルフの《夕映えの中で Im Abendrot》という詩に曲をつけたものである。秀和さんは、このアイヒェンドルフの《夕映えの中で Im Abendrot》という詩とその曲について、ちょっと凄すぎる鑑賞をしている。このことについても書きたいが、もう疲れた。でも、Im Abendrotは傑作です。

五月、今は雨が降っている。

2008年5月1日木曜日

吉田秀和著『永遠の故郷 夜』歌曲選集

 吉田秀和の『永遠の故郷 夜』に取り上げられている歌曲のどれでもいいから聴いてみたいと、読んだとき思った。忙しさにまぎれて、そのことを忘れていた。ところが、今日友人から、手造りのCD二枚が送られてきた。吉田秀和の写真の表紙をつけた本格的なもの。あっと、驚いた。きれいに印刷されたタイトルを見ると、吉田秀和著『永遠の故郷 夜』歌曲選集とあるではないか。添えられた手紙を読むと、秀和さんのこの著作鑑賞の一助として奥様の求めに応じて、所有のCDから作ったものということだ。小生の「退職祝い」にもと考えてコピーしたとある。持つべきは友である。そのなかでも、こんなにクラッシクに堪能な友人はほかにはいない。お互い『源氏物語』が好きで、公開講座などを一緒にやったりした。彼は今、そのメンバーたちの何人かと月に一回ほどの源氏講読のサークルをボランティアでやっている。去年、ドレスデンのオペラにもチケットがあるからと誘われたのに行けなかったこともあった。(Kさん、今年は暇をもてあましています、いつでもお誘いください。)今晩から、少しずつ、本を参照しながら、聴いていこう。Kさん、ありがとう。

2008年4月20日日曜日

シフのワルトシュタインを聴いた。

金曜日の夜、友人たちと八王子で飲んだ。酔っ払って帰宅した。女房が観ていたテレビで、A・シフのピアノを始めて聴いた。ヴェートーヴェンのワルトシュタインを、酔っているのだが鮮明に頭脳に響き、心に残る演奏だった。すごいと思った。女房からいろいろ聞いたが、全部忘れてしまった。でも、このピアノの響きはまだどこかに残っている。

夢うつつのような感じで読んでいた、オコナー短編集(下)も読み終わりに近づいた。オコナーのような「想像力」はまったく私にはないが、その展開の予測のしがたさが、実はこの日常の予測のしがたさと密接に対応しているということ、つまり、「奇想」やファンタジーではなく、ごみためのような「生活」が、こんなにも深く、こんなにも暴力と光りに満ち満ちているものであることを、彼女はまさに「啓示」して見せる。

一音の深さと拡がりがピアニストによって全く異なる、それと類似している。

2008年3月20日木曜日

音楽展望

吉田秀和の「音楽展望」を読む幸せ。今日の展望では、中原中也が取り上げられていた。実際に中也に会った人で、しかもその思い出を語ることのできる人は、今の日本では吉田秀和一人である。

今日の文章で描かれた中原中也はすばらしい。そのように彼のことを思い出す吉田秀和もすばらしい。読んでいて、涕が出そうになった。


月の光りのそのことを、
盲目少女に教へたは、
ベートーヴェンか、シューバート?
俺の記憶の錯覚が、
今夜とちれてゐるけれど、
ベトちゃんだとは思ふけど、
シュバちゃんではなかったろうか?
(『在りし日の歌』より)

中也が若き秀和に、機嫌のいいときに歌ってくれた、ざれ歌だという。


もう一つ、今日の新聞から。
来日予定だったアントニオ・ネグリにビザが発給されないということで、来日が延期になったということ。
「7月の洞爺湖サミットを控えて入国管理が厳しくなっており」、その余波らしい。笑わせるなといいたい。彼がそのむかし「赤い旅団」と関係があったということで発給を見合わせているとしたら、おかしなことだ。自国のなかの政治は最低のテイタラクだが、いつでも入管関係になると、偉そうになるのはやめてほしい。