金曜日の夜、友人たちと八王子で飲んだ。酔っ払って帰宅した。女房が観ていたテレビで、A・シフのピアノを始めて聴いた。ヴェートーヴェンのワルトシュタインを、酔っているのだが鮮明に頭脳に響き、心に残る演奏だった。すごいと思った。女房からいろいろ聞いたが、全部忘れてしまった。でも、このピアノの響きはまだどこかに残っている。
夢うつつのような感じで読んでいた、オコナー短編集(下)も読み終わりに近づいた。オコナーのような「想像力」はまったく私にはないが、その展開の予測のしがたさが、実はこの日常の予測のしがたさと密接に対応しているということ、つまり、「奇想」やファンタジーではなく、ごみためのような「生活」が、こんなにも深く、こんなにも暴力と光りに満ち満ちているものであることを、彼女はまさに「啓示」して見せる。
一音の深さと拡がりがピアニストによって全く異なる、それと類似している。
2 件のコメント:
私も女房に教えられて聴きました。ワルトシュタインのまえのベートーヴェンはテンペストで、両方を聴き、ベートーヴェンって、改めて佳いなあと思いました。何よりも現在、多く冷笑の対象となっている「人間的だなあ」という嘆息を呼び覚まされました。あと、シューマンの幻想曲がすばらしかったと思います。何かなつかしかったのは、これがかつてのピアノ奏法の正統であることを思い出させられたことで、そういえばルービンシュタインなどはこんな感じではなかったでしょうか。
的確なご感想です。たまにはクラッシクもいいですね。
コメントを投稿