南條竹則の本『悲劇の詩人ダウスン』には、ダウスンと同時代の英国の作曲家フレデリック・ディリーアス(1862-1934)がダウスンの詩に曲をつけた「日没の歌」という管弦楽伴奏つきの声楽曲があるということが書いてあった。トマス・ビーチャム指揮で1911年にロンドンのクィーンズ・ホールで初演されたらしい。「シナラ」の作曲も手を染めながら、未完のまま放置され、ディーリアス晩年に助手エリック・フェンビーの協力を得て完成されたなど。これも1929年にビーチャム指揮、ジョン・ゴスのバリトンで初演された。これらをすべて収録したcdがあるのかどうか、この本でははっきりわからないが、トマス・ビーチャム指揮『ディーリアス管弦楽曲集』(東芝EMI・1993年)が紹介されていた。なお、南條はこのディーリアスという作曲家が好きで、そこからダウスンを知ったという。それを媒介したのが、三浦淳史という音楽批評家で、ディーリアス作曲の「シナラ」について音楽雑誌に書いたのを読んだことだという。三浦淳史というすばらしい音楽批評家もディーリアスもすべてぼくにとっては初耳であった。
トマス・ビーチャム指揮『ディーリアス管弦楽曲集』に三浦淳史がつけた解説の一節を南條の本から孫引きしておく。
――恋に破れたダウスンは傷ついた獣のように紅灯の巷をさすらい、その弱い肉体と心を衰えさせていった。ディーリアスもパリ時代には夜の巷を彷徨し、芸術家仲間と奔放な生活を送った。《日没の歌》は「イングリッシュ・ヴェルレーヌ」といわれたダウソンの絶妙な抒情詩に付曲したソング・サイクル(通篇歌曲)である。――
こういう解説を読むと、このcdを求めたくなるのはあたりまえである。
金曜日、私事で南大沢に行く。その帰り、橋本の山野楽器でディーリアスのcdを探した。一つだけあったが、件のものはなかった。シュトラウスの「四つの最後の歌」のそれが二、三枚もあったのには驚いた、吉田さんの本の影響だと思う。お店のパソコンで調べてもらったが、というより自分で調べたのだが『ディーリアス管弦楽曲集』はなかった。あまり追求する元気もなかったから、そのままにした。
そのかわり、目に飛び込んできたのが、グールドのThe Complete Goldberg Variations 1955&1981という、02年に出たソニーのメモリアルバージョン。三枚のディスクが入っていて、三枚目は、ティム・ペイジという若い批評家とグールドの対談が入っている。なぜか、我が家には、あの有名な初演?と再収録のグールドのGoldbergがなかったので、衝動買いする。これを聴きながら書いている。55年のテンポの速さ、81年の<パルス>(グールドはティムに答えて、テンポをパルスと言い直している)の見通しによる、生から死までの、ゆったりとして、しかし毅然と耐えているような、まさに脈動としかいいようのない、そのリズムの刻み方と変化に、茫然としつつ。
演奏家というのは、その曲の「解釈」にすべてをかけていると思うのだが、とくにグールドはそうだ。グールドはあるときからモーツアルトに絶望して、弾かなくなった。それに比して彼をここまで執着させたバッハというのはともかくもすごい作曲家だったのだろう。
ところで、歌曲の作曲家というのも、そのもとになる「詩」の解釈というか、読みがすべてであろう。R・シュトラウスはヘッセの詩に付曲したが、ヘッセはシュトラウスが大嫌いで、ある人があなたの詩にシュトラウスが、というのを聞いても、おれには関係ないという態度を貫いたらしい。これは吉田秀和の本にある。それぞれが、もう、その段階では別の位相にあるということか。バッハもグールドを聴いたらヘッセのような感想をもらしたかもしれない。互いに関係はあるが、自立した「作品」。
日本の詩人でいえば、谷川俊太郎の詩はよく作曲されている。ここが日本的なのだが、そのほとんどが合唱曲である。ああ、と今ぼくは思うのだが、それもコンクール用のものが多いのだ。木下牧子の曲などぼくは好きではある。しかし、谷川の詩を管弦楽つきで作曲したのがあるのだろうか。シュトラウスやディーリアスが作曲したヘッセやダウスンのように。リーダー・クライス、同じことだがソング・サイクル(通篇歌曲)のような形式で書かれた日本の詩人の曲を聴いてみたいものである。(合唱曲ではなく)
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