2012年9月24日月曜日

オスプレイ配備

 クローズ・アップ現代を見ていて、思ったこと。オスプレイ配備の問題について、先日ニューヨーク・タイムズの社説には、沖縄の古傷に塩をなすりつけるようなものだということが書かれていたが、アメリカの大新聞に、そのように書かせたのは誰だったのか?それは沖縄県(民)の地道な努力、知事公室に対アメリカの基地政策を分析する部門を設けたり、アメリカの関係者たちとの接触を重ねて、直接に沖縄の問題を訴え続けてゆくという努力、自治体の今までとは異なる情報収集能力やアメリカとの直接的なパイプ(専門家などとの)の建設などの、画期的な変化によるものであって、決して日本政府ではない、というようなことが報じられていた。私もそうだと思う(そのような部門がこれからも県民のために働いてくれることを望む)。ことほどさように、クニのアメリカとの安全保障(特にその地位協定など)における、その従属性とそれに慣れた政治家、官僚には到底できない対応だと思う。ここまで沖縄は歩いてきたのだ。何名かわからないが、自民党の総裁選に出ている候補者のおしなべての対米従属の考えには、今さらながら吃驚した。民主が壊したアメリカとの関係をしっかりしたものに直す、などと大昔の冷戦時代に逆戻りするかのような話ばかりだ。(仮想敵は中国とロシアと今度は韓国と言うのか。アメリカも驚くだろう。)

2012年9月18日火曜日

汽水域 

汽水域                          

本当に大丈夫なの?
いつもはこんな体育会系のようなこと嫌いなのに。

やりたくないのはあなたでしょう、そう言えばいいのに。

図書館にある島尾さんの記念室を見学する、
その前に旧居跡に行く、その後に行こうか。

最初からそう言っているでしょう。

作家がその家族と住んだという家が
作家を愛する人々の努力で残されていた。
旧約の言葉が自筆で刻印された記念碑。
「病める葦も折らず けぶる燈心も消さない」
昨日、レンタカーとフェリーで行った加計呂麻島のビデオも図書館で見た。

泣いているの?

あそこで雨宿りしようよ。

図書館の先にマリア教会が見えた。

聖堂にはだれもいなかった。暑さとスコールをしのいで
古仁屋行きのバスを待つ。

原生林の濃い緑の山が落ちて来るように迫り、その反対には入江が連なる、
道は海と山の間を曲折と昇降を繰り返し、その先を隠しているよう。

レンタカーより、やっぱり楽でしょう。
でもバスの運賃より、レンタカーを半日借りた方が安かったね。
お盆前で、空きがなかったじゃない。バスは住用の道の駅に唐突に停まった。

マングローブは「命のゆりかご」だって説明があったよ。
ヒルギの落葉や種子を食べたり、木そのものを生息場所としている小さな生物たちの。
シオマネキ、フジツボ、ハゼの類など。

カヤックに乗るために、そんなことまでも勉強したの?

赤いライフ・ジャケットをつけた君は、あっという間に先頭のガイドさんの
すぐあとについて、上手にパドルを操りながら進んでゆく。

少年たちの舟の間を抜けることができずに、ぼくはぐるぐる廻る。
右に曲がりたいときは左舷の方にパドルを入れて漕ぐ、
まっすぐ行きたいときは、どうするんだったけ。

そのうちに体の力が抜け、ただ揺られている。
赤ん坊のように。母に抱かれて口を開けて寝ている赤ん坊。
川と海が抱き合う河口のマングローブ。

汽水域に出たんだ。なにか匂うけど、その匂いを言えない。
二人乗りにしようよ。いいえ、一人がいい、と君は言った。
海と水の大きな混合が一人を浮かべる。パドルが水に入ると、水がパドルを重くし、
その重さが両手から脚に伝わってくる。

両側にヒルギの群生―緑葉で遮られたトンネル状の水路。
木漏れ日が一人の君を、「漕ぐ人」の絵に変える。
デジカメをロッカーに入れてきたのを後悔する。

ゆっくりと夢の中でのように漕ぐ。そして、
すべての人が静止する、少年たち、二人乗りの老人夫婦。
すべての流れと速さが混ざり合い、淀みが生まれる。

ガイドさんがカヤックから降りて
浅い水の中に立ち、静かに説明をはじめる。マングローブの意味、
ヒルギたちの性質、一つの葉が他の葉に代わって塩分を集中的に吸収して落ちるなど、
犠牲という物語、生きて流れることのなつかしい暗喩、シオマネキが掘った穴に
奇蹟のように着床する生の種子のことなど。

眠くなる。水中の垂訓は終わった。帰還のためのパドルが淀みを分けつつ起こして行く。
ゆっくりと、そしてはやくなる。
いつのまにか、君はまたトップに出ている。

水と水が出会うところ、というレイモンド・カーヴァーの詩を思い出す。
The places where water comes together with other water. Those places stand out
in my mind like holy places. それらの場所、心の中で聖地のように

息づいている場所。そういう場所をぼくは持っているのか。
加計呂麻島、呑之浦は確かに島尾敏雄にとっての聖地に他ならなかった。
その〈深く奥へ切れこんだ入り江〉の潮の干満のように、

死と生は出会いと別れをくり返し、そこに謎のような淀みをつくる。

淀みは場所なのか。
そこにパドルを入れると
淀みがゆっくりと一人、一人を、あるいは老夫婦たちを
送り出すのだ。ゆっくりと、そしてはやく。

さかのぼって、そして、くだっている
曲がっている、廻っている、でもいつの間にか元に
そう、背筋を伸ばして漕ぐ、前や後ろに寄ったりしないで

住用川と役勝川が流れ込む住用湾。
その広大な干潟がマングローブの母で、
奄美にのみ生息するリュキュウアユの母でもある、彼らは

湾の汽水域、君のカヤックの水路、そこに集まり遡上のために
その初期の生活を送るという。初期生活者は淡水に馴致しなければならない。
だから、海と水が混ざるところ、低塩分で、
しかも低温である汽水域が君にとっての初期の必須の生の訓練の場所になったのだ。

稚魚の前、孵化の後の君を、何と呼ぶのだろう?  初期生活者ではなくて。
仔稚魚(しちぎょ)?  君の心臓が透けて見える。
血が君の中で虹を架ける。

ほら眼を覚まして、ついて来てよ。

眠くなる、汽水の上で眠くなる。
母の乳の匂い、放たれた精液の匂い、放たれた幾万の卵の匂い
役勝橋の岩の藻の匂い、瑠璃カケスの糞の匂い、ハブさんの蹲る匂い

あなたはそこに、いなさい。
君はゆっくりと、そしてはやくカヤックを漕いでゆく。
あなたの場所に、〈深く奥へ切れ込んだ入り江〉の汽水域に!

ぼくは眼を覚ます、背筋を伸ばして遠くを見つめて漕いでいる君に
沈黙の中で問いかける。

鮎、君が人間なら、留まることと出発のどちらを選ぶ?
どちらも、と君は笑いながら答える。
選んでも選ばなくても同じだ、と。

2012年9月17日月曜日

『フォークナー、ミシシッピ』を読む①

【〈全―世界〉氏ムッシュ-・トゥモンド(Monsieur Tout-monde)】 
 
 今日は、書きかけの詩「汽水域」、自分にとっては最も長い詩になるが、まだ完成に到らないそれの続きを考えながら、グリッサンの『フォークナー、ミシシッピ』(中村隆之訳・インスクリプト)の最初の章「ローワン・オークに向かってさまよう」と、中村隆之の「訳者解説」を読んだ。 正直言って、フォークナーは「エミリーへの薔薇」などの短編などしか満足に読んだ覚えはない。しかし、このグリッサンのフォークナーをめぐるエッセイ(そう言ったほうがいいほど、それ自体が自由で詩的な文章である)は文句なしに面白いし、引き込まれる。「ローワン(ローアンとも)・オーク」はフォークナーの邸宅の名前だ。グリッサンはマルティニックの詩人で、訳者の博士論文は彼の文学についての研究であった。訳者「あとがき」に一読して忘れられない印象的なエピソードが述べられている。中村隆之は2010年一月に研究員として滞在していたマルティニック島でグリッサンの自宅に迎えられ、敬愛する詩人と会った。以下引用する。
―詩人はヴェランダに私を招き、ゆったりとした椅子を勧め、自分は小さな肘掛け椅子に腰掛けた。身長一メートル九十センチ、体重百キロほどに見えるその大柄な体軀が窮屈そうにその小さな肘掛け椅子に座っている様子は、遠方からの客に対する歓待の精神以外の何ものでもなかった。私はそのヴェランダで、本書における花々の風景に思いを馳せながら、小さな質問をした。「マルティニックを花に喩えるなら何でしょう。たとえばセゼールであればバリジエの花(その色と形から燃えさかる剣に見える花)を自分の政党の象徴に選びましたが」。老齢の詩人は私の言葉に耳を澄ませながら、ゆっくりとこう答えてくれた。「マルティニックを一つの花に喩えることはできない。私にはマルティニックは無数の、繁茂する、様々な花々だ」。―
まさに、この本も「フォークナー、ミシシッピ」をミシシッピだけでなく、アメリカス、いや全―世界の他者、花々のためにさまよいながら開いてくれた、大きな、優しい人グリッサンの「遺書」のようなものだとおもう。もちろん、1996年に発表されたこの本はグリッサンの最後の著書ではないが、訳者中村隆之さんにとってはいろんな意味でそうであろうと思う。よけいな忖度かもしれないが。グリッサンに手渡すべきこの書物は、2011年2月3日の彼の死(享年82歳)によって「叶わなくなってしまった」。中村君は続ける、「しかし、この作家の場合、当人の死によって作品の存在感は弱まるどころか、ますます強まるようだ。今はエドゥアール・グリッサンのこの著作が一人でも多くの読者に出会うことを心から祈りたい」と。ぼくもそう思う。それに値するすばらしいさまざまな示唆を含んだ著作だ。とくに、今の、この状況は以下の恐ろしい認識と全く変わりはない以上、グリッサンの開いて行く全―世界の混合を探求するしかないと思う。
―「彼は(フォークナー)私たちの世界が見棄てられてあることを、部族や民族や国民などのあいだで交互に繰り返される虐殺を―彼らは相手を虐殺することが急務であるという点でのみ意見を一致させる―徹底的に預言した」―

2012年5月31日木曜日

こころのなつかしい新しさ―白井明大「島ぬ恋」を読む

朝、NHK・FMで亡くなった吉田秀和の番組「名曲の楽しみ」を聴く。あと6本収録済みがあって、すべて木曜日十時からの番組で順次放送するというというから、楽しみだ。今日はシューベルトの第一、第二シンフォニー(の途中の楽章まで)だった。ただ吉田さんの声が聞こえるだけでいい。第二は当時、ベートーベンのエロイカや第九に次いで長いと言われたとか、第一とはちがって、いろんなものまとわりついているとか、そういう短い話しだがこころに入ってくる。これを聞きながら、白井明大さんの新詩集『島ぬ恋』を読み終わった。昨晩、寝る前にフランス装のこの本のまだ切っていないページを、すべてナイフ(友人が昔スイスの山ツェルマットかどこか、に登ったときの土産として買って来てくれた赤いナイフ。ぼくの名が彫られているが、間違いや脱字がある。向こうの職人が間違えたのだと友人は情けなそうに言った。)で切って、明日の朝読もうと思って寝た。そして今朝、何も邪魔が入らず穏やかな気持ちで、しかも吉田秀和の番組を聞きながら読了できたおいうことがうれしい。詩の感想の前にこういうことを書くのはおかしいだろうか。
白井さんの詩は放っておけばすぐ消えていくような「こころ」の微細な動きをモチーフにした織り物のようだ。島の芭蕉布のように薄くて、光りと影がそこで遊びたわむれているような織物だ。着る人の肌になじみ、島の暗川(クラゴー)の薄明に流れる地下水で洗い、ガジュマルやアダンに架けて干し、輝く砂粒の上に脱ぎ捨てる。

なつかしい砂粒

…(省略)…

光線はあたり
分子はまたたきだしているだろうか
分子はこころをつくっていないで

きっと目や肌
あたたかいと感じるひかりのなかにへ

ひとすくいあかるみから砂つぶをつまみとれば
砂つぶもまたこころとなって
いくいちどの映りかたにつれて砂としてこぼれていく

なつかしいとも
初めてとも


上記の詩を参考に、白井さんの詩法の特徴を私なりに整理してみよう。砂粒の分子という極小のものへ「光線」をあて(微細さの反応を探る)、「いくいちど」(一回限りのものの反復の差異への固執)の「こころ」の変化の姿を見る、それままさに「なつかしい」とも言えるし「初めて」とも言える何かであり、それを白井明大は「詩」という「こと」としている。次のようにも言える、「みつめるときそこここにある/ものことはわたしのこころや身に/わたしはまたものことのこころや身に/互いに互いをが伴い伴われあっている」というエピグラフめいた書記があるが。この詩句が意味するのは、「そこ」と「ここ」の交換、混合や、「ものこと」と「わたし」の「こころや身」の相互の交換の経験が一回限りの、それでいて「なつかしい」純粋な経験を生み出してゆくということだろう。そのことが詩のエクリチュール自体として実践されているのも彼の詩の特徴であろう。

こころは身のそとに

こころは身のそとにあるもの
、てしたら
そ、て
こころにふれるのは
そ、て野花にふれるのとおなし

野花のなかに
こころはあるの、てきく代わりして
野花のこころは
このあたり

ゆびを宙に円かいてみせ
ちがう
、ておおきなこえする
子のあたりに

いくつもこころが
寄せていく
あかるみに照らしだされる虫の
角のふれ先を
そのままにして

ちょうどおもらしの水たまりをひろげて
ぬれているのが
こころなように


私は詩集中、この詩が一番好きである。彼の独特の表記、たとえば行頭の「、」や、「そ、て」などのそれ自体としては無意味な助詞(辞)に意味を持たせたかのような使い方(「てしたら」もそうか)などよく分からないが、別にことさらな異化効果を狙ったものとも思えず、このように無意味な助辞群も、きみのこころと結びつくと(というより、それ自体がこころの直接性を表しているのだが)悲しみやよろこびの表出そのものになるのではないか。もちろん私がこの詩に惹かれるのは最後の連のこころの様子のこれ以上はない「なつかしさ」と新鮮さにうたれるからだ。

2012年4月27日金曜日

入りなさい(come in 私訳)

Come In   (Robert Frost)

As I came to the edge of the woods, 
Thrush music -- hark! 
Now if it was dusk outside, 
Inside it was dark. 

Too dark in the woods for a bird 
By sleight of wing 
To better its perch for the night, 
Though it still could sing. 

The last of the light of the sun 
That had died in the west 
Still lived for one song more 
In a thrush's breast. 

Far in the pillared dark 
Thrush music went -- 
Almost like a call to come in 
To the dark and lament. 

But no, I was out for stars; 
I would not come in. 
I meant not even if asked; 
And I hadn't been.

森の端まで来ると
ツグミの音楽―聴け!
今、ここ森の外が夕闇なら、
内部は暗闇だ。

森の中は暗すぎて鳥でさえ
うまく羽ばたいても
心地よいねぐらは見つからない、
まだ歌うことだけはできる。

太陽の光の最後の一筋は
西の方に消えて行ったが
もう一つの歌のために
光りはツグミの胸のなかに生きている。

樹々の柱のはるかな暗闇に
ツグミの音楽は響いてゆく―
入りなさい、という呼びかけのように
闇へと、そして嘆き悲しめというように。

いや私は入らない、ここで星を眺めていよう
私は入らない。
たとえ頼まれたとしてもお断りだ、
頼まれたことも今までなかったけど。

2012年4月6日金曜日

僧侶になる

今朝の朝日新聞、知花昌一さんが、大谷派の僧侶になったという記事があった。写真も添えられていた。1987年の沖縄国体で読谷村(知花さんの村だ)のソフトボール会場に掲げられた「日の丸」を引きずり下ろし焼いた人だ。ノーマ・フィールド「天皇の逝く国で」にはノーマによる彫りの深い知花さんのルポルタージュ― a supermarket owner―がある。これを読んで知花さんの行動の必然とその人となりを知り、普通の人による内在的なconformism批判の行動の重要性というのを学んだ。もちろん沖縄、読谷における「集団自決」の出来事などが知花さんに戦前、戦争時の軍国主義日本とそのシンボルとしての'rising sun'に対する憎悪の念を抱かせたには違いないが、そのような憎悪の気持ちと一人の普通の人間として日常の行動の中で思想として組み立て、訴えていくこととはまた別のことだとも思う。その困難な道を知花さんは妥協することなく歩んできて、今は僧侶になったということだろう。かつての過激な「反戦地主」と今はどうつながっているのだろうか。「沖縄を戦争のためにもう使わせない。仏教は平和と平等を願うもの。その精神を基地問題にも貫いてゆきたい。」と語っている。知花さんならやれるし、やるだろう、と思う。

2012年4月1日日曜日

少年たち

二本松と会津に行ってきました。風景と人と酒と湯。沈黙のなかに深い思いを抱かせる場所でした。二本松では智恵子と光太郎の文学を越えた生のつながり、それと岳温泉のしんしんとした寂しさを感じました。二本松の霞ヶ城公園の頂にあるのが光太郎書の碑「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」。そこから初めて見る白雪を戴いた実際の阿多多羅山の美しさ。郡山から磐越西線で会津若松に向かってゆくときに車窓から見た磐梯山の雄姿も忘れがたい思い出になりました。会津では、飯盛山はとくに霊的なものを感じさせました。猥雑さも混じっているのですが、白虎隊自刃の記憶がすべてを覆っている、そこから産まれる寒々としたものに圧倒されました。二本松でも戊辰戦争で戦った少年隊の記憶が共有されていました。歴史の変わり目において変革の前衛というのではなく、その前衛たちの犠牲になったのが16、17歳の少年たちだったということを考えるとやりきれない気持ちになります。「佐幕派」として切り捨てられてゆく「寂しさ」、それだからこそ大勢にのみ込まれまいとする「矜持」、この二つのメンタリティが現代の福島の空間にも漂っているように思いました。近代の入り口での犠牲、高度成長の終焉の果ての原発事故による犠牲、もちろん、これら二つに限定して福島を考えることはできないでしょうが、日本歴史の変換のメルクマールとなる事件に集約的に身を曝している場所のような気がしました。

ブレヒトの『少年十字軍 1939』という詩を、白虎隊や二本松の少年隊と重ね合わせて思い出しました。1939年の戦火のポーランドを逃れ、平和の国目指して彷徨い、力尽きて死ぬ55人の少年(少女)たちの話です。飯盛山で自刃した白虎隊19名の「原理主義者」たちのように見える少年たちと、ブレヒトの描くヒッピーたちのように自由なコミューンを形成しているかに見える少年たち、その二つのタイプの少年たちに優劣の差があるのでしょうか。一方は過去(事実として)へ、一方は未来(創作として)へと意味づけられているのですが、両者とも挫折するのです。この二つの少年たちの在り方に思いを馳せることのできる想像力。それが今必要とされているのではないでしょうか。


ぼくには見えてくる、さまようかれら、
浮ぶ、眼をとじればまぶたの裏へ。
かれらはさまよう、けしとんだ農家の跡から
けしとんだ農家の跡へ。
空の上、雲のかげにも、ぼくには見えてくる
べつの、あらたな列また列が、はてもなく!
寒風にさからい、ようやっと足をひきずる
ふるさともなく行くさきもなく。
探してるのは平和な土地、
雷鳴もなく猛火もない
かれらが棄ててきたのとちがう土地。
列は大きくなる、しだいしだい……         
(ブレヒト「少年十字軍」より。野村修訳)