2010年10月24日日曜日

湯殿川晩秋









土曜日の写真。

2010年10月20日水曜日

「頓死」の頓死

…
…
どのみち世界で
厳粛な破壊の儀式が始まったら
押潰されたヒューマニズムの声など役に立たぬ

だがみよ ヒットラーは死んだんだ
ムッソリーニも死んだ
スターリンも死んだ
毛沢東も死んだ
なのに この世はさっぱりよくならない

はてさて 七十年代も終わりですか
あとに残っているのは小者ばかりだから
世界はやがて筋萎縮性の痙攣を起こし
まもなく頓死するだろう

(後略)

と鮎川信夫は「独白(1979年年十二月某夜)」という詩に書いている。これを読んで考えるのは、この世界はなかなか「頓死」などということをしないし、むしろ「死んだ」とか「頓死」とかいうことが死んだし、頓死するしかないような道を、われわれは最後まで歩いて行くことしかないのだろうということだ。最後のない最後へ、でも毅然として背筋を伸ばして歩くということは、そう簡単なことではないだろうが。

今日の「歩く」、8㌔。6時はもうすでに暗く、先ごろまでの感覚とは違う。背中が痛んでいたが、今日はゆっくり歩く、すこし痛みがやわらぐ。ハードすぎたのだ。

奄美で大雨。父に電話したら、徳之島でも大変な大雨で、海沿いの本川があふれていて、山のほうに迂回させられて、やっと亀津から喜念に帰ることができたということだ。母は風邪ぎみ、だった。

2010年10月17日日曜日

私の病んでゐる生き物

昨日(10/15)の授業はプリントした詩が多かった。急いだが90分でも足りないくらいだった。反省。的確なコメントを寄せられると、作者は何も言えなくなる、そういう応酬があり、聞いていて面白かった。自作詩を発表させた後、作者にすぐコメントさせ、その後2、3名に批評させるやり方だと、作者の解説に縛られて、それですべてが終わってしまうという意見があったので、昨日は反対にしてみたのだった。でも両方のやり方で試みるのがいいと私は考えている。山村暮鳥、蔵原伸二郎、リルケ、ツェラン、(梶井基次郎、田村隆一)などの詩を紹介する。梶井は「ある心の風景」のなかの、

川の此方岸には高い欅の樹が葉を茂らせてゐる。喬は風に戦いでゐるその高い梢に心は惹かれた。稍々暫く凝視つているうちに、彼の心の裡のなにかがその梢に棲り、高い気流のなかで小さい葉と共に揺れ、青い枝と共に撓んでゐるのが感じられた。
「あゝこの気持」と喬は思つた。「視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分或ひは全部がそれに乗り移ることなのだ」
喬はそんなことを思つた。毎夜のやうに彼の座る窓辺、その誘惑―病鬱や生活の苦渋が鎮められ、ある距りをおいて眺められるものとなる心の不思議が、此処の高い梢にも感じられるのだった。

という大好きな部分をコピーして配布するつもりだったが忘れていた。こうして書き写していても、日本近代文学のなかで私小説が純粋詩に最も近づいた、いや最近のはやり言葉で言えば、クロスカップリングしたあとに生まれた未知の結晶体がここにあると言える。この感覚の切ないほどの凝集の頂上の不可視の部分に、女郎買いの陰惨な現実、性病の憂鬱が潜んでいる。(視ることと見えないことの対比、視ることの新しさの席捲と見えないこと、見ないこと即ち性の触れることの古さとの対比etc.)

授業を終えて、5号館から外に出たところで、千石先生に二年ぶりにばったりと遭った。
彼は今から授業。終わってから飲もうという話になって、私は図書館で時間をつぶした。ディープ池袋の片端を堪能した夜だった。それにしても千石さんのとびきり面白い話をサシで、しかもおいしくてチョウやすい居酒屋三福のホッピーや料理を堪能しながら、6時半から10時過ぎまで聴くことができたのは近来稀なる痛快事であった。そしてだ、私は千石先生の講義を来週から聴講することを許されたのである、というより私の方からそう決めたのである。講義が終わったあとの池袋居酒屋探訪の愉しみは言うまでもないが、次回はフォークナーの「八月の光」と小島信夫の「墓碑銘」を対比していろいろと考えるというのだから、その壮大さにまず眩暈がする。(千石さんによれば、その講義に出ている院生たちで、私の2008年の授業に出席していた連中が結構いるということだった。)
                     

2010年10月11日月曜日

秋の多義性

書き終わって、直す余裕があまりないほど、最近追い込まれているのか?そうではないが、樹木や雲が秋を告げているのを立ち止まって見たり、思ったりする心の余裕がというか、あまり好きな言葉ではないが「感受性」がほとんど壊滅状態にあるのではないかなどと、自らを省みて最近思う。

まず、あらゆる書き物の、そのそこに秘めている「自己宣伝」に飽きた。
その欲望がいとわしいものに思えて、その匂いを嗅いだとたん読む気がしない。
古典はまだいい、しかし現実に生きている連中で、しかもしょっちゅう書いている、いわゆるプロと称するもので、宣伝の悪臭を放つもの、それには我慢がならないし、そういう予感(先入主でもいい)があるから、とにかくいやだ。

秋の多義性、
こころと欲望はよく入れ替わる。

昨日、西荻ブックマーク。古本屋、音羽館の広瀬さんとも会う。こういうイベントを今回で46回も地道に続けてきたその実践に敬意を表する。そして、この会の前半で佐藤泰志の文学と人間について講演した福間健二の細やかで強さをも兼ねた「観察」もすばらしかった。泰志の二十回目の命日の日の、人々のあつまり。映画もでき、文庫も出た、あの世から泰志はなんと言うだろうか? 和史よ、どう思いますか?

2010年10月1日金曜日

グアドループに

返答と贈答の形式で


グアドループに。

風の吹く平坦な土地と森が生い茂る凸型の土地とを均等に隔てる境界に。

微笑がたわませる、その計り知れない気分に。

グランド=ヴィジ岬の断崖で風が浸食する灰色のマプー木に。

グアドループ住民のなかでおそらくもっともマルティニック的なデルグレスに。

潮が訪れない、数多くの隠れた入江(アンス)に。

双方の海岸で再開する、レザルド川とラマンタンに。

見事に生き抜いた、グランド=テールのヒンドゥーの民に。

絶対に涸れ尽きえない、ウアスー蟹に。

グアドループに、そして昔のライバルたちに。

ロランの若者たちが死んだように、ここで死んだ若者たちに。

シャトー岬の黄金の砂粒に。無限が君の踝を捉える、サン=タンヌに広がる遠大な海に。

農業労働者の最初の民族的組合に。

間違いなく憤死(マルモール)が叫んだ場所である、我慢の限界(マランデュール)と呼ばれる場所に。

ポール・ニジェールに。

クレオール語の詩人たちに、グオカ太鼓を叩く者たちに。

不思議なことに、蛇が一匹たりとも生き残らなかった島、グアドループに。





エドゥアール・グリッサン、Le discours antillaisより。(中村隆之 訳)

2010年9月26日日曜日

夏の足跡

9月第4週追い書き、19日西荻から八王子へもどる。卒業生の一人と久しぶりの飲み会。楽しかった。元気であった。
21日、渋谷に出る。八王子の市民である私はこの混雑に驚く。 寒い地方の、貧しくあたたかい人々の物語をベースにした映画の試写を観る。後半部はひきこまれていた。この原作を書いた作家は20年前の10月6日に自死した。
(その死を聞いて、そのときに書いた詩、)

曲線を下る (佐藤泰志の死を聞いて)

 雨に濡れた山の稜線について
 語ろうと思うが
 黙ってしまう
 隆起し
 そこにあり
 さらされ
 減っていく
 そのものについて
 ぼくは語ることができない

 岩を
 友とぼくは
 静かになだめた
 恐怖は時おり訪れるが
 謙虚に
 しびれるだけだ
 手に負えぬ巨岩の前で
 立ち竦むぼくに
 友は
 ホールドを示しながら
 「飛べ」と言う
 ぼくは飛んだ
 草つきに出て振り返ると
 水の音
 いつも流れているものにはかなわない
 歩くことを手向けて
 乾いた喉に
 ビールを流し込む

 曲線は秘密ではない
 減らされることに耐えている
 自らを裁つもの
 それは
 かなしい秘密
 語ることのできないものと
 語ることで死を呼び寄せるもの

 曲線を駈け降りる
 友に遅れまいと必死に
 出発点を目指す
 立ち止まると転ぶから
 曲線を蹴る
 その
 循環のなかに
 死者を葬るかのように

23日、ものすごい雨、びしょ濡れになる。岩田さんと二人で子安市民センター。「七部集を読む会」の二回目。ぼくの発表だった、「冬の日」の第二歌仙、「はつ雪のことしも袴きてかへる 野水」の巻。勉強不十分の成果を見せることになったのを悔やむ。精一がウイスキーとホッピー、氷まで用意している。大広間で飲みながら講読。終了してから雨の中を八王子の沖縄居酒屋へ。そこで泡盛の各種をグラスでほとんど飲みほしてしまったようだ。精一、岩田さん、小生、酒が嫌いなわけではない。そのことを実感する俳諧の雨ノ夜。

24日、午前中は二日酔い。それでも朝起きてシャワー。午後12時過ぎに池袋に向かう。10年度の授業の開始。控室も教室も変わっているので、それを確認するためにはやく大学に着いた。5号館になっていた。4枚ぐらいの原稿をそれぞれ60部ほどコピーして授業に持参。去年は足りなかったが、今年は50名ほどの受講者だった。

25日、小雨のなかを朝散歩する。約8㌔。帰って、由井市民センターへ、10月30日の七部集の読書会のための会議室を600円で予約する。精一も心配してジョギングのついでに来ていた。予約して帰る。寒気、悪寒、ダウン。国立の「詩のワークショップ」(福間健二・講師)休む。以下その課題として書いた詩、


(夏の足跡)           
                              

You TubeでBuena Vista Social Clubの
IbrahimとOmaraが歌うSilencioの哀切な、哀切という言葉を越えて
ベンダースが聴取したハバナの生(ムージカ・クバーナ)を
八王子の片隅の片倉の夜に
その他のCompay SegundoのChan Chanなど(のムージカ・クバーナ)とともに
再生リストに貯蓄のように貯めこむ、老人の習癖のように
すべてを鳴らしてみる、聴いてみる、その日のために?
でも、どんなその日がくるというのですか?(ミズスマシさん)
いつでも聴く、今も聴いている、私は聴きながら書いているのではないか
夏の死の、肉の腐乱の、懸念について
〈少女〉に訊ねられた
どの巻のどこ、どの人物のどの死?
「泡の消え入るやうにて」、「物の枯れ行くやうにて」死ぬ人のゲンジモノガタリagain
八月は秋、紫と中宮と源氏の聖家族の三重唱
「風にみだるる萩の上露」に腐乱はない、ないはずだ、消えゆく露のように
死んだ紫の〈少女〉のときの弾む声が響くムージカ・クバーナ 
その声の肉に腐乱は予兆としてあったというのか 
夏の入口/高原できみを追い回し/立原道造を気取る
ブルースもディランもSilencioも知らんかった裸の日々
生と夏をただ秤にかけて
草いきれのなかで、虫のようにミミズのように座っていたかった
〈少女の〉悲しい目はきみの未来永劫にわたる欺瞞をこそ予想していた
川面をなめながら鋭く飛行する
水色、緑色の一瞬のきらめきを翼の間に隠しもつ生きもの
川底にはきみをあざける太った鯉たちが尾びれを利息のように引いて長生きする
「ああ!」
「疲労困憊(セグンド)の私はハバナに行きたいのです!」
その日のために
ピンと誇らしく鯨のジャンプのように背筋の伸びた老人たちに会いに行く日
果てしなく前に開けては後に閉じる河筋を
その闇の奥の奥へと、問題はそこにつきるのでは? ないよ!
分け入ることだ、そこうと思い悩むまえに溯行するのだ、下流へと下流へと
知らんかったSilencioの二重唱は何をこじ開けているんか
老いらくの来るという河の上流ではなかった
夏がいやがっている
熱中症の老人たち、苦しい毛の猫たち、恋の記憶と過去とを読みまちがえている
果てしなく前に閉じては後に開ける嘔吐と恥(オント)
背と腹に眼を持つというミズスマシさん
暑い夏をひたすら瞑目して瞑目せり
冷たい静寂が下りると、やがて朝が来る(肉の腐乱が来る、と訂正せよ)
10/09/21
 

 

2010年9月20日月曜日

詩の小径をたずねて

 三鷹駅で総武線に乗り換え、西荻で降りる。西荻窪は久しぶりだった。そこから東女を目指して歩き、善福寺公園に出た。昔々、杉並高校に勤めていた頃、この場所ではないが成田東にあった学校そばの善福寺川堤防緑地でクラスの生徒たちとホームルームの一時間を遊んだことなどをゆくりなく思い出した。
 公園に入って、若い父親、母親たちの一団がそれぞれの子供たちを連れて弁当を食べている、そこを抜けてすぐ「詩の小径をたずねて」が開かれている白い洋館風の家があった。三日間のセッションだが、今日は「詩の女子トーク」と「辻征夫の肖像」というタイトルで2部制の、その一部の「詩の女子トーク」を聴きにやってきたのだった。他の用事があったので、それしか参加できないというのが実情だったが。
 
 はじめてその声(朗読)を聴き、他の詩人が読むその人の詩を私がはじめて聴いた詩人、鳥居万由美、清水あすか。そして新詩集を頂戴した北爪満喜さんもそうで、彼女の犀利な批評(参加者が互いの詩を批評したり、自作についての質問に答えたりする形でのトーク)に感心した。鳥居と清水の詩にも驚いた。あとは三角みづ紀、新井豊美、杉本真維子の三名。新井さんや杉本さんと話をする暇もなく5時過ぎには善福寺公園を後にした。