久しぶりに。
6日に、昔の「文芸部」の教え子たちと飲む。三名とも、今は大学院の学生。一人は一橋、一人は外大、一人は都立大。楽しかった。
7日は散歩の途中豪雨に打たれる。湯殿川一帯が急に暗くなり、稲妻と雷鳴、いつの間にか人の子一人いなくなった堤防を必死に走りながら帰る。こわかった。でも、幼い頃に帰ったような気もして、叫びながら走ったのである。午後のあやかしに遭ったようでもあった。
8、9、10、11と授業。その間に書評を一つ書く。気に入らず、直して今日12日送る。
またチャレンジした禁煙、一ヶ月目を迎えた。この一ヶ月の間に、二回喫煙した。一回は橋本でSさんと飲んだとき、もう一回は那覇でKさんたちと飲んだとき。それ以外はなんとか禁煙できている。こんふうに思うことにしている、「もう一生分の煙を吸ったのではないか」と。実にはかない、はかない禁という状態。
寂しさや須磨にかちたる浜の秋
浪の間や小貝にまじる萩の塵
この芭蕉の、「奥の細道」の句は、旅程も最後近くの敦賀の「種(いろ)の浜」で詠まれたものだが、いつもこの「萩」の句には驚く。小貝との取り合わせの素晴らしさ。それを秋の浪が包み込む。
駅にゆく坂道に咲く萩の花
思い出は淡き紫萩咲けり 蕃
「今日は、いとよく起きゐたまふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし。」と聞こえたまふ。かばかりのひまあるをも、いとうれしと思ひきこえたまへる御気色を見たまふも心苦しく、つひにいかにおぼし騒がむ、と思ふに、あはれなれば、
おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露
げにぞ、折れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたる、をりさへ忍びがたきを、見出だしたまひても、
ややもせば消えをあらそふ露の世に後れ先立つほど経ずもがな
とて、御涙を払ひあへたまはず。宮、
秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草葉のうへとのみ見む
と聞こえかはしたまふ。(『源氏物語』―御法―より)
この鼎唱はたとえばチャイコフスキーのピアノトリオ「偉大な芸術家の思い出」のエッセンスと通い合うような気がする。今聴きながら書いているのだが、このイ短調の切迫した曲の美しいモチーフと、この三人の歌がぼくの心の中で共鳴している(無理にそう思っているのかも知れないが)。ところで、この場面は五島美術館所蔵の国宝の絵巻にも採られているのだが、これについて三谷邦明・三田村雅子夫妻共著の「源氏物語絵巻の謎を読み解く」(角川選書)では次のような解説がされている。「紫上の命が失われていく瞬間を描くこの場面は、互いに愛し合った夫婦が、その最後の瞬間にさえ信頼を取り戻せないことを示唆している。紫と養女明石中宮の距離と光源氏の距離を比べれば、前者の方がはるかに近く、紫が最後の最後にはこのなさぬ仲の娘にすべてを委ねていることは明らかである。それに対して源氏は紫の心を捉えられないばかりか、不断の心労に巻き込んでいくばかりの存在になってしまっている。源氏の後方に靡く秋草は激しい野分の訪れを告げているが、その風が今御簾を吹き上げ、紫の最後の生気を奪い取って行く。紫をおびやかす風が、源氏その人から発するかのように描かれることで、紫の病の本当の原因も、ここに示唆される。」これは、またあまりにも酷な読み方ではある。紫はここではそのような源氏を心の深くから「許している」のではないか。だから「つひにいかにおぼし騒がむ、と思ふに、あはれなれば」と彼女の心中が語られているのではないか。
というようなことを、ぼくは2002年にノートに書いている。紫の上の、萩の歌、
おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露
「萩」というと思い出す歌である。芭蕉の名句とともに。
探求す文の間に秋の草 蕃
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