昨日は、職場の文化祭を見学した。一年生有志たちの出し物であるゲームのようなものに参加する。楽しかった。雨だったのが残念で、室外の、三年生の模擬店などゆっくりと回ることができなかった。
今日は立教大に行き、千石先生の案内で控え室、図書館、教室などを見て歩く。図書館のカードを作ってもらった。いよいよ、金曜日から授業が始まる。愉しみでもあり、不安でもある。まあ、肩の力を抜いて、学生諸君と向き合うことからはじめよう。大学は今日が後期の始まりということで、にぎわっていた。雨のなか、若い人たちのエネルギーに圧倒されながらも、自分の身内にもなにか湧き出るものを感じた。
帰り、近くの夏目書房という古本屋で、尾形 仂の『歌仙の世界 芭蕉連句の鑑賞と考察』(講談社学術文庫)、他を買う。これは『卯辰集』所収の「山中三吟」歌仙を尾形が細かく評釈したものである。八王子に帰る電車のなかで、ずっと読んでいた。そのなかに次の芭蕉の句を発見して、強烈な印象を受けた。歌仙だから独立して味わうのは意味がないのだが、あえて、この句だけを覚えておこうと思った。
秋風は物いはぬ子も涙にて
これは初折裏の9句目の句だが、そのこととは関係なしに、この句だけが屹立して迫ってきたのである。秋の愁いの伝統的な句と言えば、それまでだが、私はこの句を家に帰って、ニュースを見ていて、もう一度深く思い出すことになった。福岡と千葉の子どもたちの死を報じたそれを見たとき、ゆくりなくもこの芭蕉の句が胸を突き上げてきたのである。「物いはぬ子」ではなくて「物いへぬ子」なのだが、秋の嘆賞ではなくて、子どもたちの悲惨さなのだが。文化祭で輝いている生徒たち、今日の学生たちの姿、それに決して到達できない悲運の幼子たちの姿を二重写しにする「秋風」に泣いたのである。
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