アメリカ在住の娘からは昨日の弱気の日記は読むにたえないから削除せよ、物書きとして、自分の作品が批判されるごとに、こんな情けないものを書くつもりかときびしく批判されてしまった、もちろん、ぼくに対する励ましの気持からである。
でも、消さないでおこう。これを読んで、自分の戒めとしようと思うからである。なんの戒めかは、これは書かないでおこう。自分の胸の中に秘めておこう。
渡辺玄英のクリティックに対してcontroversialな対応をしてもよかったのだが、その元気が単純になかったのだった。この件にはここではもう触れない。
tabという発行物の主宰・編集は倉田良成がやっている。彼の書くもののすばらしさにいつも眼を瞠るのだが、先日web上の彼の日記に「ミモザ」の語が在った。私は驚いた。倉田さんの日記を読む以前から、このミモザの美しい黄色に魅せられていたのである。今日改めて、山の上の学校の傾斜地に咲くこの花を、庭に出てゆっくりと眺めた。その房状の花を触ってもみた。つややかで、やわらかな感触だった。
しばらくして猛烈に句を作りたいという衝動のようなものがわいてきた。こういう感じが最近なかったのだと思った。これを書いている今はもう消えてしまったが。それでもミモザの黄色の幻がちらついていて、友人たちとのコミュニオン(友愛)の光のようにも感じる。
ミモザの黄の柔らかなる日を愛す 蕃
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