2009年3月22日日曜日

春日狂想

春日狂想                            

    奉仕の気持に、ならなけあならない(中原中也「春日狂想」より)


チェスタートンが指摘しているように
詩人は発狂しないが、チェスプレーヤーや数学者は発狂する。
某大臣が指摘したように
政治家は発狂しないが、教師たちは発狂する。
思うに詩人は想像に生き、政治家は何も考えないから
彼らには「たまる」ということがありえないからなのか。

春楊 葛山 発雲 立座 妹念
(これは、人麻呂歌集の、万葉集中の最短字数の表記の歌。)
春柳葛城山に立つ雲の 立ちてもゐても 妹をしぞ念ふ
このたまらなさは、たまらないほどすき、
春の葛城山に、春のはるかな、野に山に、私は連れ出される、
そこに雲が立つ、私も立つ、私は座る、立っても座っても思うのだ
あなたのことが、たまらなくすき、

しかし
「さもしい」埃のような親譲りの「矜持」をちらつかせ、
短いフレーズで、たまらなく「感動した」そぶりをし、
人を追いつめ、人にストレスをたまらせ、人を狂わせる、
梨園にまがうばかりに二世、三世のみたまる議会とは何か?

私がそれをたえるならば私はたまるだろう
私はそれをたえた
私はたまった
(この推論は正しい。)
私がそれをたえるならば私はたまるだろう
私はたまらない
私はそれをたえたことがない
(この推論も正しい。これは先の推論の適切な否定の形である。)

私がそれをたえるならば私はたまるだろう
私はたまる
私はたまった
(この推論は正しくない、このような生き方も正しくない。)

政治家だけがたまる国、
朦朧として発狂もしない国はたまらない。

2009/03/21

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