この話自体も面白いが、暗号解読の経験を積んだ北村太郎が、その詩のなかで「暗号の詩」(『センチメンタルジャーニー』)を試みたことは、ある意味でとても自然で必然なことだったのかも知れない。それは、
――ぼくの詩のなかに5,6篇だけれど、恋人へのメッセージを組み込んだ詩があるんです。たとえば原稿用紙の上から5番目の斜め左にずっと下がっていくと「なに子ちゃん、ぼくは君を愛しているよ」なんて書いてある。――
ここから恋人へあてた「暗号の詩」はすべて明らかにされたのだろうか、5.6篇とあるが、もっと多くの詩のなかにも暗号が組み込まれてあると聞いたこともある。宮野一世氏などの研究ですべては明らかになったのだろうか。その「暗号の詩」の一つを、宮野一世氏の述べたもの『北村太郎を探して』所収「暗号」より)を参考に書き写してみる。
横書きにして引用する(この書式ではそうするしかないのだが、しかしこの方がかえって隠されたメッセージをたどりやすい)。
冬を追う雨
雨のあくる日カワヤナギの穂が
土に一つのこらず落ちていた
はじめは踏んだら血(青い?)の出る毛虫かと思った
かたまって死んでる闇の精
ヤナギは不吉な植物なんていうけれど
たしかに繁ったおおきなシダレヤナギは
髪ふり乱して薄きみわるい
カワヤナギは穂をつけて
冬のあいだは暖かそうでかわいい
春になると黄色い細かな花で穂がおおわれ
近くに寄って観察すると
その一つ一つは大層かれんだが
少し離れて見るとややわいせつで
この変形は自然の悪い冗談みたいだ
ゆうべの雨はひどい音だった
冬を追っぱらうひびきを枕にきいた
そしてけさふとカワヤナギの毛虫を見てもう桜が近いと思った
最初から明かせば、この詩には宮野氏によると「かずちやんきみをあいすかわいいひと」というメッセージが隠されていることになる。全17行の詩だが、各行のある文字を連続して折り込んで行けば、17文字の暗号ができるわけだ。各行の任意の一字ではわからない(しかし、北村の詩を愛する人は、そういう覚悟で探すこともいとわないだろうが)が、この詩には冒頭の一行から最後の行までの、それぞれ7、8、9、10、11、10、9、8、7,8、9、10、11、10、9、8、7文字目に該当文字が隠されている。数字の順にある規則性が見られるのも、暗号解読に従事した経験の名残なのだろうか。この解読には北村自身の先ほどの言葉「たとえば原稿用紙の上から5番目の斜め左にずっと下がっていくと」なども参考になったのだろう。
この詩もアクロスティック(折句詩)と言ってよいのだろうが、一番簡単なのは行頭の文字を折りこむことである。次の詩も宮野氏によるもの。これは簡単で、北村太郎が「一番初めは、単純にやったらすぐに見破られた」と言っているものかも知れない。
三月尽
髪の毛のひとつひとつから
ずり落ちていくまぼろし
故園に倒れる木
とおく水平線が傾き
若いざわめきがきこえ
肉体はすでに空へかけ登ろうとしている
きらめく闇へ
見返りながら消えゆくたましい
同じことばのくりかえしに
あしたの骨は真っ青
石を投げ
少し静まる一日
鳥は去る
湾の波のよせてくるほうへ
にぶいニルヴァーナへ
この2作で呼びかけられた「かずこ」とは田村隆一の奥さん田村和子のことだろうが、それにしても小説「荒地の恋」で描かれた恋とは全然違う、高雅さというか余裕というか、あるいは覚悟というか、そんなことをこれらの表の詩と、そのこめられた断片のメッセージの組み合わせから私は感じる。別に小説「荒地の恋」の話は出さなくともいいことだが。
「三月尽」の「にぶいニルヴァーナへ」が面白い。「冬を追う雨」を読みなおすと、暗号メッセージはもうどうでもよくなり、この詩人の細部へよせる奇妙な情熱に惹かれてしまい、植物「カワヤナギ」のことを知りたくなる。これも北村太郎の詩の魅力である。これこそか。
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