乾鮭も空也の痩も寒の内
旧臘、私は芭蕉の「長嘨の墓もめぐるか鉢叩」を取りあげながら、この句を挙げることを忘れていた。旧暦、新暦混合して訳がわからなくなるが、この「寒の内」は旧暦、鉢叩きの念仏の候である。この痩せた「寒さ」が、ちょうど我が身の寒さに響き合うので、この句を思い出した。また一つ、これは「春」の句だが、
衰ひや歯に食ひ当てし海苔の砂
も最近心によく浮かぶ、というのはこれは我が身の事実だからである。
沼波瓊音の「芭蕉句撰講話」にあるこの句の鑑賞を以下引用する。この講話では初句は「衰へや」になっている。
―名高い句である。秋声会の人達は竹冷先生をはじめ、この句を悪句だといふことに定めて居られるが、私はしみじみ佳い句だと思ふ。
海苔に交じって居た小さな砂を、歯にチリリと噛みあてたのである。それが著しく歯に響いた。こんな小さな砂を著しく感ずる、とその時身の老境に入ったことを思うたのである。―
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