2010年9月7日火曜日

something the matter with us?

午後4時半から歩く。どうして今まで考えなかったのだろうか。道中の途中で、妻と離れて先を急ぐことにした。互いの速さが合わないので、ぼくのほうが自分のスピードで、自分の距離を歩くことにした。妻よりも遠くへ、妻よりも速く歩くことにした。妻の帰路のどこかで僕が後ろから追いついて合流することにしたのだ。妻は7キロぐらい歩く、ぼくは走りを入れて9キロぐらい、片倉城趾の池の所で一緒になることを計画して、今日実践してみた。池の前の湯殿川の堤防でハーハー息を切らせながら、ぼくは追いついた。妻は足の親指の具合がここ数日悪い。休めば、とぼくは言うのだがきかない。親指の調子がよかったら、あなたは私をここで追い抜けなかった、と言いたいようだった。ぼくはすっかり疲れて、いい気持ちだった。

2010年9月6日月曜日

Walker's high

9/1 (9.5㎞)
9/2 (8.3)
9/3 (9.0)
9/4 (9.0 )
9/5 (7.7)
9/6 (8.2)
 
9月からは、午後5時頃から歩き始めて、7時頃に帰宅する。妻は庭の花や木に水をあげ、私はシャワーを浴びる。その順番が逆なときもある。
 妻は9月の2日から歩きはじめた。二人で湯殿川の堤防を往復するのが日課、水源までは行かない。水源がどこかは私も知らない。2日、妻の歩き始めの日に、大きめのカワセミを発見する。
5日の日はあまり距離的には歩いていないが、6日の仕事始めを意識して、夏休み最後というノリで歩き出し、家に帰ってシャワー、猫の給餌を終え、二人で駅前の「養老の滝」にくり出す。生ビールのおいしかったこと。私は連続三杯、普段飲まない妻がおいしいと言って一杯を飲みほした。久しぶりの養老、それに久しぶりの満席状態で、顔見知りのお店のSさんに 「よかったですね」というと満面の笑みだった。珍しいことに、団体客が入っていて、先ほどもう一つの団体が帰ったのだという。なんか祭りでもあったのか。
 昨晩入稿する。それでホッとしたのか、今日はやる気がない。仕事から帰ったのが、3時半すぎ。4時半から二人で歩き始める。昨日は五時半だったので、真っ暗な道を帰ったのだが今日は大丈夫。それにしても確実に暮れるのがはやくなった。

twitterで娘が写真を送ってくるようになった。Omarと二人でジャクソンビルのビーチ(大西洋)に行ったとのこと。

逆立ちで海辺を歩くOmar

 
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2010年9月1日水曜日

闘牛

 
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息子のtwitterの写真から。徳之島の闘牛。説明によると、まだ試合デビュー前の牛らしい。優しい目をしているね。
考えてみれば、強くもないし、戦う気持ちもなかったけど、追い立てられて、私も闘牛と同じような生を歩んできたのか、歩まされたのか。

9月か。はやいな。

2010年8月30日月曜日

泉重千代翁

 今朝の、永久歩行者(見習い)の歩行記録。11キロ余り、130分ほど。感想、ウォーカーズハイ寸前、または熱中症寸前。
 道中「みみず」の屍体多きを観察す。土中の熱さに耐えかねてそこより脱出せんとするも、地上のアスファルトの更なる熱に焼死せしものならん。帰りてシャワー。計量器に乗る。昨日より寸毫の減量ならんか。
 
 『思想』9月号ほとんど読了す。ともに沖縄出自の仲里 効と前嵩西一馬の論考の対照的なるを面白く思う。「どっちもどっちだ」というシニカルな思いもわくが。アンティーユ諸島の去年のゼネスト、そのときに出されたグリッサンらのマニフェストが「高度必需品宣言」だが、これを一番理解し、冷静にわれわれに伝えようとしているのは、これを訳出した中村隆之である。わたしは彼の、この宣言の背景としてのアンティーユ、とくにマルティニックの歴史、経済の解説を何回となく読んだ。そこから考えていきたい。安易にフランス海外県の置かれた状況と沖縄のそれとをと結びつけないことが大切だと私は思う。

 八月の30日は、高尾山のビアガーデンでいつも飲むことになっている。昔の同僚たちの自然の取り決めだが、今日は私と友人の二人だけだ。みんな忙しいのだろう。でも二人は楽しく飲み食べた。これにまさるものはない。
 
 帰宅すると、息子のTwitterの写真が待っていた。息子夫婦は私の両親、息子にとっては祖父母のいる徳之島に今滞在している。今年の6月に結婚したのだが、彼の嫁さんを祖父母に披露するという旅でもある。今日着いたのだが、じいさんやばあさんも大喜び、いろいろ連れ回しているらしい。その途次の写真で、泉重千代翁のもの。私はこれを知らない。見たことがなかった。本当に立派で堂々とした像だ。願わくは「超越高齢者」たちのすべてがかくのごとき尊崇を受けんことを!

 
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2010年8月29日日曜日

噴火

 
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ベスビオではなく、桜島の噴火。
先ほど息子がTwitter上にアップロードしたものだが、この凄さは地域の人たちには
毎度のこことは言え、大変なものだろう。静まれ、桜島よ。

今朝の散歩、10キロ。ここ数日10キロ歩く。さすがに疲れるが、やせ我慢が意地みたいなものに爆発した。
(何に対する?)

今日から、原稿書きに突入する。orつもり?

2010年8月28日土曜日

反情報

 Skypeなるものをはじめた。アメリカ在住の娘とそのパートナーと、日と時間を決めて、今まで二回ほど対話した。ビデオ電話。よく宇宙から手を振りながら誰かが喋っている映像をみた、それを相互に、この地球上で実演しているようなものだと最初は思った。しかし違っていた。話している間、ずっとこちらの日常、あちらの日常もビデオに静かにながれていて、それを見るともなくお互いが見ている。ぼくたちが喋っている、その後ろを我が家の王である猫(人間)アトムがのそりと通過する。それを娘が見て「ああ、アトちゃん」と呟く。きわめて日常的で、そこがジャクソンビルで、ここが片倉という距離など、あっという間になくなってしまう。だからどうだというのではない。

2010年8月24日火曜日

Every cloud has a

 湯殿川を西に向かって、その源の方へ歩くのだが、午後5時過ぎ、大きな入道雲がそれだけ一つ西空の半分近くを占めて、それに向かって歩いて行くぼくを睥睨している。輝く夕日が、その大きな塊に遮られている。でもその輝きは、ぼくの見ている大きな雲の縁にはみだして、そこが沈んだ金色ににじんでいる。"Every cloud has a silver lining."
 
 縁で田んぼが輝いている。都会と都会と都会の縁で…。対比するものなどすべてないのだが、その道は湯殿川によって分けられている。川のなかにはコンクリートの堰がある、両岸が作られ、葦や名を知らない草が密生し、それが中州を作っているところもある。カワセミを見る日とそうでない日。
 「周縁」と書いて終焉するわけにはいかない。どこかで生きているのかもしれない。

「クレオール」とはなんだろう。歩きながら、切れ切れに浮かぶ思念の一つ。定義できないものに囲まれている?そうではなくて、定義を誘うひと欠片の魅惑もないものに囲まれて、その草としか言えないもどかしさの豊穣から無縁な、ありふれた(和音)の……

 運動だ。絶えざる感情の色、時間の堆積を破砕する(不協和音)、きみの吹くカワセミの色、すばやく空から落ちて、水を狩れ!

 藍色のムードだとすぐわかる、ムードの日。言い忘れたことがある。百日紅の咲き競う道の近く、16号道の交差点で小さな亀が轢かれていた。片倉城趾公園の池のなかで生きて、歓びのコミューンを作っていた亀。そこからぼくの足で2分もしない交差点、きみは何時間かけて、この激しい交通の、その中心で、きみの甲羅を無残に押しつぶされるために、歩いてきたのか?