2010年8月24日火曜日

Every cloud has a

 湯殿川を西に向かって、その源の方へ歩くのだが、午後5時過ぎ、大きな入道雲がそれだけ一つ西空の半分近くを占めて、それに向かって歩いて行くぼくを睥睨している。輝く夕日が、その大きな塊に遮られている。でもその輝きは、ぼくの見ている大きな雲の縁にはみだして、そこが沈んだ金色ににじんでいる。"Every cloud has a silver lining."
 
 縁で田んぼが輝いている。都会と都会と都会の縁で…。対比するものなどすべてないのだが、その道は湯殿川によって分けられている。川のなかにはコンクリートの堰がある、両岸が作られ、葦や名を知らない草が密生し、それが中州を作っているところもある。カワセミを見る日とそうでない日。
 「周縁」と書いて終焉するわけにはいかない。どこかで生きているのかもしれない。

「クレオール」とはなんだろう。歩きながら、切れ切れに浮かぶ思念の一つ。定義できないものに囲まれている?そうではなくて、定義を誘うひと欠片の魅惑もないものに囲まれて、その草としか言えないもどかしさの豊穣から無縁な、ありふれた(和音)の……

 運動だ。絶えざる感情の色、時間の堆積を破砕する(不協和音)、きみの吹くカワセミの色、すばやく空から落ちて、水を狩れ!

 藍色のムードだとすぐわかる、ムードの日。言い忘れたことがある。百日紅の咲き競う道の近く、16号道の交差点で小さな亀が轢かれていた。片倉城趾公園の池のなかで生きて、歓びのコミューンを作っていた亀。そこからぼくの足で2分もしない交差点、きみは何時間かけて、この激しい交通の、その中心で、きみの甲羅を無残に押しつぶされるために、歩いてきたのか?

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