今年の三月まで勤めていた職場で、一緒に「源氏物語」の公開講座を通算3回にわたって一般の愛好者むけにやった同僚が亡くなった。彼女は一年前に、ちがう職場に異動したのだが、彼女が休職していると知ったのは今年になってからだ。「乳がん」の手術だとわかったのは、その後。術後退院して、抗がん剤治療のために、「ちょっと」再入院したという知らせが、共通の友人からメールで届いたのはこの4月も半ば過ぎ。見舞った友人のメールは「退院して落ち着いたらまた連絡します」そしたら三名で一緒に飲みましょうというものだった。それが22日に亡くなり、24日は雨の日のお通夜。
息子さんと娘さんが残されたが、喪主をした息子さんの挨拶を聴きながら涙を禁じえなかったのはぼくだけではない。斎場には彼女が大好きだったジャズとロックが低く流れていた。それを背景に、どこかかすかな笑みをたたえた息子さんは、「母は堅苦しいことがきらいでした。みなさんがこの雨をおかして母のために集ってこられた、それだけで母はきっと喜んでいることでしょう。どうか、母のために、それぞれが母との楽しい思い出を胸にこのときを過ごしてください。それが何よりの母への供養だと存じます」というようなことをシャイだがよく通る声で語ったのだ。娘さんも兄に負けずに笑みをたたえながら、しかし姿勢正しく会葬者のすべてに応対していた。この二人を見て、ぼくは改めて同僚の凄さを感じた。
残されたこの二十代の兄と妹。彼女が一人で育てきった「傑作」、失礼な言い草かもしれないが、そんなことを思ったのだ。
棺の中の彼女は、普段の豪胆さに似ず、小さかった。「さよなら、さよなら、あなたは決して愚痴を言わなかった、そしてどんなルサンチマンとも無縁だった。」
国立高出身で、渋沢孝輔の奥様に源氏を習った人、大学では小林秀雄を読んだ人。FARMの朗読会に欠かさず参加してくれて、ありがとう。
あなたが好きだったロングピースの一箱が祭壇には供えられていましたよ。入院の時期にはだめだったでしょう?こころゆくまで深く一服してくださいというように。
2 件のコメント:
昼休みに読みましたが、歳のせいもありなむ、覚えず涙が出ました。
以下は、生者のおごり:
昨日は昨日とて、TVの水戸黄門を見ていたら、親のない子の話し、このやうな話には弱い我である。不覚にも涙。
いろいろと考えさせられる「五月の別れ」でした。
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