長嘯の墓もめぐるか鉢叩き
何にこの師走の市にゆく烏
芭蕉の師走の句を二句。はるか元禄の冬を思いながら、あれこれと書くべき原稿のイメージを考える。あの時を、この時に重ねる。素朴で無知な疑問だが、「鉢叩き」はまだ行われているのだろうか。見たいものだ。空也忌は11月13日というが、その時に京都の極楽院で念仏踊りが行われると辞書などにはあるが、これは芭蕉が去来と一緒に見た「鉢叩き」ではないだろう。似たものだろうが。
大江健三郎の「水死」を読み終わった。大江自身の「沖縄ノート」をめぐる裁判などの経験が随所に取り込まれている。その終わり方はちょっと唐突な感もした。オープン・エンドな終わり方と言うべきか、まだ彼自身のモチーフのきっかりとした終焉というようなものではない。だれかの「水死」論を読んでみたい。
この一月号から「現代詩手帖」の「詩誌月評」という欄を担当することになった。一年間の長丁場で息が続くかどうか心配だが、自分なりにやるしかない。この一ヶ月随分いろんな雑誌を読み、詩や短歌や俳句、評論などにも目を通した。これ自体は苦痛でもなんでもなく率直に言って面白い。これが一年間続くのだから楽しみだ!こんな多くの詩誌が発行されているのである、長い年月を数えている詩誌も多くあるし、近日発行された小冊子やノートのようなものもある。それらと対峙し学び、個々の作品の私の読みを提示していく作業、まずはそこから出発していこうと思っている。1月号はたぶん月曜日(28日)頃に店頭に並ぶはず。ご高覧を乞う。
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