あれは六十歳をすぎての写真であったろうか。面ながのその顔の、額だけでなく、目のまわり、頬、唇のあたりまで、深い皺が刻みこまれていた。毛唐の老人は、われわれの国の老人たちよりも、一般に皺が深く、また骸骨的であるように思われるが、肉を主とする食習慣によるものかどうか、わたくしには分からない。…(中略)とにかく、毛唐の老人のグロテスクさは、本邦のそれといちじるしく対照的である。オーデンのおびたただしい深い皺は、わが国では稀に老農夫の顔に見られるところのものであって、老詩人、老農夫の対比は決してオーデンに対するわたくしの冒瀆ではなく、むしろオマージュなのである。…(中略)とにかくオーデンの顔の皺は異様である。彼の日々は、知的にも感情的にも、あまりに充実しすぎていて、それが生理に、つまり皺に現れたのかも知れない。そして、その充実さの時間的限度が六十六年であったのだろう。
その人の顔の皺をもとに、その人の特異さを論じることのできるのは北村太郎一人だけだろう。
もう一つこの巻きには「「寒さ」について」という、これも面白いエッセイがあって、この季節外れの寒さの三月の終わりにこれを読んだことも、なにかの縁であると思う。その終わり、
いちどきに二日の物も喰て置 凡兆
雪けにさむき嶋の北風 史邦
火ともしに暮れば登る峰の寺 去来
の寒さこそ文明なのだ。そして「猿蓑」集は標題が示すように、「冬」が巻之一で、その寒さからすべてが始まるのである。
と「寒さ」こそ文明だと宣言し、これが書かれたのは1973年2月だが、そのときの「暖冬」の日々を唾棄している。寒さこそか、それにしても寒い。