○「釋迢空歌集」から、「夏相聞」というタイトルのついた短歌を抜き出してみた。
ま昼の照りきはまりに 白む日の、大地あかるく 月夜のごとし
真昼の照りみなぎらふ道なかに、ひそかに 会ひて、 いきづき瞻(まも)る
青ぞらは、暫時(イササメ)曇る。軒ふかくこもらふ人の 息のかそけさ
はるけく わかれ来にけり。ま昼日の照りしむ街に、顕つおもかげ
ま昼日のかがやく道にたつほこり 羅紗のざうりの、目にいちじるし
街のはて 一樹の立ちのうちけぶり 遠目ゆうかり 川あるらしも
目の下に おしなみ光る町の屋根。ここに、ひとり わかれ来にけり
「海やまのあひだ」1925年(大正14年)発行。1904年(中学時代)から25年までの作品691首を収録所収
あかしやの垂(シダ)り花(バナ) 見れば、昔なる なげきの人の 思はれにけり
ひそかに 蝉の声すも。ここ過ぎて、おのもおのもに 別れけらしも
あかしやの夕目ほのめく花むらを 今は見えずと 言(コト)に言ひしか
「水の上」1948年(昭和23年)発行。1930年から35年までの作品468首を収録。
○同じく「釋迢空歌集」から、「夏」(夏の季節に詠まれたものも含む)の歌で、好きなものを抜き出してみた。
沖縄の洋(ワタ)のまぼろし たたかひのなかりし時の 碧(アヲ)のまぼろし
夏の日を 苦しみ喘ぎゐる時に、声かけて行く人を たのめり
裸にて 戸口に立てる男あり。百日紅の 黄昏の色
道のべに 花咲きながら立ち枯れて 高き葵の朱(アケ)も きたなし
「倭をぐな」1955年発行 より
庭暑き萩の莟の、はつはつに 秋来といふに 咲かず散りつつ
夏山の青草のうへを行く風の たまさかにして、かそけきものを
「水の上」より
夏海の
荒れぐせなほる昼の空。
われのあゆみは、
音ひびくなり
気多の村
若葉くろずむ時に来て、
遠海原の 音を
聴きをり
「春のことぶれ」1930年発行より、1925年から29年までの501首を収録。
青うみにまかがやく日や。とほどほし 妣(ハハ)が国べゆ 舟かへるらし
天づたふ日の昏れゆけば、わたの原 蒼茫として 深き風ふく
馬おひて 那須野の闇にあひし子よ。かの子は、家に還らずあらむ
なむあみだ すずろにいひてさしぐみぬ。見まはす木立 もの音もなき
谷風に 花のみだれのほのぼのし。青野の槿 山の辺に散る
緑葉のかがやく森を前に置きて、ひたすらとあるくひとりぞ。われは
糸満の家むらに来れば、人はなし。家五つありて、山羊一つなけり。
処女のかぐろき髪を あはれと思ふ。穴井の底ゆ、水汲みのぼる
山深く われは来にけり。山深き木々のとよみは、音やみにけり
夏やけの苗木の杉の、あかあかと つづく峰(ヲ)の上(ヘ)ゆ わがくだり来つ
「海やまのあひだ」より
いろいろ考えることもあるが、まとまらない。「夏相聞」の連作は、藤無染との別れの記憶が沈んでいる。「水の上」歌集のそれも同じかもしれない。富岡多惠子編の岩波文庫の「釈迢空歌集」は読みやすい。
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