―いろんな話がある程度の量のある文章(散文)で書かれていて、それも作者が想像力を働かせて作った虚構で、とくに人間の経験が題材として取り上げられているもの―
こういうような定義ができあがると、生徒たちもなかなかのものだなと思います。相互にやりとりする授業は普段はあまりできないのですが、たまには思いっきり羽目をはずして遊ぶのも精神衛生の上からも必要です。五月のさわやかな風がクラスを吹き抜けていく。
いちはつの幼き紫を愛づる日 蕃
I waited no longer to make my thrust. I turned to him with a solemn air. True, the solemnity was a part of my tactics, but it was certainly in keeping with the way I felt. And I was too tense to see anything comical or shameful in what I was doing. I said cruelly, “Anyone who has no spiritual aspiration is an idiot.” ……(中略)
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…… I said again:” Anyone who has no spiritual aspiration is an idiot.” I watched K closely. I wanted to see how my words were affecting him.
“ An idiot …”he said at last. “Yes, I’m an idiot.” (以下略)
言語について思考するのがいかに困難でありながら大切なことであるかを学んだのは、昔、イェール大学で仏文学を専攻していたときである。ポール・ド・マン、ショシャナ・フェルマン、マリア・パガニーニの諸先生に感謝する。また、当時、加藤周一氏、そして柄谷行人氏が日本文学を教えるために招かれていた。まったくちがった視点からだが、まだ二十代だった私がお二人から日本文学にかんする色々な話をじかに聞くことができたのは実に幸運だった。さらにそのころはエドウィン・マックレラン先生が日本近代文学を教えていた。日本近代文学をあそこまで愛し―漱石のこの部分がいいという話になると、ほとんど涙ぐまれたりした―くり返しくり返し読んでいた人物を私はほかに知らない。アメリカで育ったゆえの恵まれた出会いであった。
【ニューヨーク=田中光】夏目漱石の「こころ」「道草」など日本文学を英訳した米エール大学名誉教授(日本学科)のエドウィン・マクレランさんが4月27日、肺がんのため、コネティカット州ハムデンで死去した。83歳だった。
1925年、神戸市生まれの英国人。「こころ」のほか、志賀直哉の「暗夜行路」や吉川英治の「忘れ残りの記」を翻訳するなどして、94年に菊池寛賞、95年に野間文芸翻訳賞を受賞している。
五月の貴公子 萩原朔太郎
若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でをどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
私は五月の貴公子である。