そのあと一時間半散歩に出かける。散歩というよりwalkingというほうがいいのかもしれない。かなりハードに身体に負荷をかけるようにして歩く。とにかく体重を減らしたいのである。血圧を下げたいのである。あと少しでジョギングか。でも昔のようには走れない、悔しいが。8キロ余りを歩く。それでも減らないのだ。まだ、と書いておこう。
道の途中で眺める樹木、草花、畑、川の流れ、聞く鳥たちの声、行き交う散歩する同年代のおじさん、おばさんたち、これらすべてを深く抱擁したい気持ち。その気持ちが深まっていくことを痛切に感じる。なんですかね、これは。何回歩いても新鮮なんだ。今日はエゴの花の落花を踏みながら歩く、そのかぐわしい匂いがあたり一面に漂う。たぶんエゴだよね。この白い鈴のような花は。コデマリでもオオデマリでもない。匂い。流れの音。空気。光。
昨日は母の日。女房と一緒に立川の昭和記念公園に行く。母の日だから?「あなたを産んだ覚えはないよ」「いや、あなたはぼくを産んだのだよ、もうぼけて忘れたのか」などと話しながら強烈な日差しのなか、広大な公園を二人でさまよいましたね。日本庭園にも行きました。盆栽が展示されていたけど、三百年ものの「松」や何十年という「五葉の松」など、すばらしいものだった。若い時は、「ヘン!テヤンデー、ボンサイなん大嫌い」という調子で生きていたが、確かに生きてきたが、この素晴らしさに目を開かれたのは、いいことなんだろう、陽水さん。ポピーの乱舞、ポピーのコマーシャルを二人で歌いながら歩いていました。アイスランドポピーなど。これはケシですよね。アヘンの原材料。ハシッシュは大麻か、タイマーズは清志郎か。大きな樹木、水木の枝が湖面に垂れて花が散っている。昭和記念公園はすごい。年間パスポートを持っている友人もいるほどだ。季節、季節にまた来ようと、母ならぬ女房と誓った日。芭蕉先生も言っているではないか。「風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす」と。先日、キーン先生の番組を見たとき、先生が最後に色紙に書いていて披露したのも、この芭蕉の言葉から示唆を受けたものという説明だった。「四季も他人も友とすべきだ」これはまた、ドナルド・キーンでなくては書けない言葉である。なんてすてきなんだろう。
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