山の上の学校、3時間。貧しきものは幸いなるかな、世界で一番有名な逆説。というようなことを一クラスで喋る。もう一クラスでは、クラスの皆で小説を定義するということをやってみる。「兎の楽隊」「兎の眼」「ハリーポッター」「泥流地帯」など、生徒が発言してくれた、自分が読んだ「小説」、どういう話?と訊くと、いろいろ言ってくれるから、それを黒板に書く。たとえば「兎の眼」は、心を閉ざした男の子が蛙を切り裂くことから始まる話、などと。こういうことをすぐにはっきりと言える生徒はすごい。それをそのまま黒板に書いてみせます。「小説」を辞書で調べてきていますから、その調べたことと自分の経験を重ね合わせるようにして、「小説」の定義を考えようと、ちょっと火をつけてやるのです。どういう定義ができるのでしょうか?
―いろんな話がある程度の量のある文章(散文)で書かれていて、それも作者が想像力を働かせて作った虚構で、とくに人間の経験が題材として取り上げられているもの―
こういうような定義ができあがると、生徒たちもなかなかのものだなと思います。相互にやりとりする授業は普段はあまりできないのですが、たまには思いっきり羽目をはずして遊ぶのも精神衛生の上からも必要です。五月のさわやかな風がクラスを吹き抜けていく。
いちはつの幼き紫を愛づる日 蕃
2 件のコメント:
生徒諸君の定義は、たいしたものだなあと思いました。この感想の方が平凡過ぎるなあ。
稀なる日の稀なる授業です。
山の学校は五月の緑が見ものです。平凡ですが。
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