2008年9月2日火曜日

『歌仙の愉しみ』(1)

『歌仙の愉しみ』(岩波新書)を読んでみた。序にあたる部分を丸谷才一が書いている。そこで書かれている俳諧(俳諧の連歌、連句)についての説明と、いつものような、それが近代文学に与えるカンフル剤的な意味合いについての言辞は省略する。丸谷による連衆の紹介を書き写せば、「詩人と歌人と小説家」、同じく連衆を「仏文系と国文系と英文系」、「静岡県生まれと三重県生まれと山形県生まれ」「教員の子と神官の子と医者の子」というように紹介している。こういう紹介の仕方にすでに丸谷的な俳諧味があるといってほめてもいいかも。すなわち、大岡信、岡野弘彦、丸谷才一の三名によって巻かれた「歌仙」八つ(8巻)と、それぞれの巻の各自の句意や付合いの加減についての三名の楽しいお喋りが付加されたのがこの本である。さきほどの丸谷の「わたしたちの歌仙」という、これだけは書き下ろしだが、序にあたる部分が本の最初にあるという体裁。それによれば、1960年代の半ばごろ、安東次男を宗匠として大岡と「歌仙」を「事始」めして四十年余り、「近頃は大岡さんを宗匠格にして岡野弘彦さんとわたしの三吟で巻くことが多い。これがわりあひ具合がいいみたいです。」
さて、この三吟八歌仙は成立順に、岩波書店の雑誌『図書』の2000年9月号から2008年1月号にいたる8冊にわたる雑誌に掲載された。ただし、作品自体である36句の歌仙は、それよりも(掲載時よりも、もっと)前に成立している。たとえば、2008年1月号初出の「まっしぐらの巻」という歌仙について、「ちょうど一年前の2007年一月十一日、木曜日だったと思います。私が発句を出す順番に当たっていまして、…お二人に見ていただきました。宗匠がこれがよかろうとおっしゃってくださって、丸谷さんとも意見が一致しまして、
来むかふは猪年の老いのまっしぐら  乙三
これが発句に決まったのでした。」と、この巻で発句をつとめた乙三=岡野弘彦の発言が、この巻の「お喋り」の冒頭にある。どういうことだろうか?一年近くも、それぞれの句の推敲があったということもあろう。私が言いたいのは、どうしてもそれぞれが作りあげた句に対しての事後の「お喋り」が必須であるということだ。カノンである『芭蕉七部集』などに、このような「お喋り」が付随していることはない。いくら「共同体」の、「集団」の文芸と言っても、江戸時代の人にサッカーのルールを教えるのと同じような事態があるから、「評釈」「お喋り」の連綿たる積み重ねがあるのだと言える。要するに、これらの「評釈」「お喋り」を含めてしか、それぞれの歌仙は読めないのである。その「面白さ」も。正直に言うとそうなる。

4 件のコメント:

岩田英哉 さんのコメント...

この本、わたしも持っています。歌仙を巻くとはいかなることかと興味を持って、買いました。しかし、これはむつかしいものでした。遊びの世界ですが、教養も必要と思われます。なんと、なんと。

ban さんのコメント...

教養も必要、というところが、この遊びを入りにくくしているんでしょうね。でも、碁のように入ってみれば、という世界かもしれません。

匿名 さんのコメント...

今となってみれば教養としか言いようのないものが、普通だったことがあったのでしょうか。詩吟に教養は必要か・・・。教養が人間の中心にあるものだとすれば、ホーメイはその末端にあるものかもしれません。身体の微細な挙動に対する観察がすべてで、予備的な「知識」はむしろ不要です。
終電に乗り遅れての、秋葉原のカプセルホテルにて。デルのキーボードがことのほかよくできていて、往年のIBMPCのキーをたたく快楽を思い出させてくれました。

ban さんのコメント...

高野さん

お久しぶりです。この遊びの「教養」とは農事暦のようなものだったんだと思います。あるいは町の旦那たちの身体的な何かだったのではないかなどと思います。


最近、いろんなことから脱退したいと考えています。